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ボクシング5階級制覇のシュガー・レイ・レナード、メイウェザーとの意外な因縁

ハグラーに右をヒットするレナード,Ⓒゲッティイメージズ
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Ⓒゲッティイメージズ

フロイド・メイウェザーが朝倉未来をノックアウト

9月25日にさいたまスーパーアリーナで行われた「超RIZIN」で、ボクシング元5階級王者のフロイド・メイウェザー(アメリカ=45)が朝倉未来に2回TKO勝ちした。エキシビションとはいえ、メイウェザーは立ち上がりから体が重く万全の状態には程遠い動きだったが、それでも右一発で倒すあたりは次元が違ったとしか言いようがない。

5階級制覇と口で言うのは簡単だが、実際に成し遂げるにはとてつもない努力と才能がないと不可能だ。1階級違うとパワーも体格も大きく違うボクシングで複数階級を制覇するのは並大抵のことではない。メイウェザーが来日後の練習で披露した、流れるように滑らかなミット打ちは、いかに地道な練習を繰り返して体に覚え込ませているかを端的に示していた。

世界で初めて5階級制覇したボクサーはトーマス・ハーンズ(アメリカ)。1988年11月4日、ジェームス・キンチェンに判定勝ちで5階級目となるWBOスーパーミドル級王座を獲得したが、WBO(世界ボクシング機構)は当時設立されたばかりの新興団体だったため、タイトルの価値を疑問視する声もあった。

その3日後の11月7日、WBCライトヘビー級王者ドン・ラロンデを倒して5階級制覇したのが、ハーンズのライバルでもあったシュガー・レイ・レナード(アメリカ)だ。レナードのボクシング人生を改めて振り返ってみたい。

ウェルター級から5階級制覇したレナード

レナードは1956年5月17日、アメリカ・ノースカロライナ州で生まれ、1976年のモントリオール五輪ライトウェルター級で金メダルを獲得。アマチュアでは145勝(75KO・RSC)5敗の戦績を残し、プロに転向する。

1979年11月、史上最年少の17歳6カ月で世界王座を獲得した「天才児」ウィルフレド・ベニテスから15回TKOでWBCウェルター級タイトルを奪取し、まず1冠。ライト級から上がってきたロベルト・デュランに判定負けして王座を失ったものの再戦で8回TKO勝ちして雪辱すると、1981年6月にはWBCスーパーウェルター級王者アユブ・カルレを下して2階級制覇を達成した。

1981年9月、WBAウェルター級王者トーマス・ハーンズと統一戦に臨み、ハーンズのリーチの長いジャブに苦しみながらも14回TKO勝ち。ハーンズをロープ外に吹っ飛ばす痛烈なダウンで王座を統一した。

試合後に網膜剥離が発覚したため一度は引退したが、1987年4月、世界ミドル級統一王者として12度の防衛に成功していたマービン・ハグラーに挑戦するためカムバック。大方の予想を覆して僅差の判定をものにし、3階級制覇を果たした。

当時はミドル級(72.57キロ)の上はライトヘビー級(79.38キロ)だったが、その間にスーパーミドル級(76.2キロ)が新設。WBCライトヘビー級王者ドン・ラロンデと、スーパーミドル級、ライトヘビー級の2王座をかけて戦うことになった。

勝てば一気に5階級制覇となる大一番が決まり、慌てたのがすでに4階級制覇していたハーンズ。「史上初の5階級制覇」という偉業にこだわり、レナードの3日前にWBAスーパーミドル級タイトルをかけてフルヘンシオ・オベルメヒアスと戦うことになっていたが、オベルメヒアスがケガでリングに上がれなくなくなったことから急遽、創設間もないWBO王座をキンチェンと争うことになったのだ。

結果は先述の通りハーンズが判定勝ちしたが、ダウンを奪われたこともあり、消化不良の印象は拭えなかった。3日後、レナードはライトヘビー級王者ラロンデの強打を受けてダウンを奪われたものの、9回に凄まじいラッシュを見せて逆転TKO勝ち。一気に2つのタイトルを手に入れて5階級を制覇した。

ハーンズは当時まだまだマイナー団体だったWBO、レナードもダブルタイトル戦のためライトヘビー級のウェイトでは戦っておらず、両者ともに5階級制覇というには説得力に欠ける面があるのは確かだ。

父メイウェザー・シニアはレナードと対戦

その後、レナードとハーンズは再び相まみえる。1989年6月、世界スーパーミドル級王座統一戦で引き分け。この試合ではダウンを奪ったハーンズを支持する声も少なくなかったが、記録上はレナードの1勝1分けとなった。

1989年12月にはロベルト・デュランとの3度目の対戦で判定勝ちし、WBCスーパーミドル級王座を防衛したが、1991年2月にテリー・ノリスに敗れて引退。1997年3月に6年ぶりにカムバックしたもののヘクター・カマチョに5回TKO負けを喫して、ついにグローブを吊るした。

最終戦績は36勝(26KO)3敗1分け。目を見張るスピードと滑らかなフットワーク、ここ一番のラッシングパワーでファンを釘付けにした。「シュガー」のリングネームは元ミドル級王者シュガー・レイ・ロビンソンにあやかったもので、砂糖のように甘い、華麗なボクシングスタイルから名付けられた。

レナードにとって幸運だったのはライバルに恵まれたことだろう。ハーンズ、デュラン、ハグラーとの中量級スターウォーズは、ボクシングの本場ラスベガスでヘビー級から主役を奪い、目の肥えたファンを熱狂させた。その中で、いずれのライバルにも勝利したのはレナードだけだった。

実はレナードが最初に世界王座を獲る前、メイウェザーの父フロイド・メイウェザー・シニアにTKO勝ちしている。後の5階級王者に敗れたボクサーの息子が5階級制覇を達成するとは、因縁めいた巡り合わせである。

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