プロ野球における背番号40の名選手たち|【SPAIA】スパイア

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プロ野球における背番号40の名選手たち


2017年現役選手の背番号「40」

2017年各球団の背番号「40」は下記の選手が背負っていた。

日本ハム:高良一輝選手(投手)
ソフトバンク:小澤怜史選手(投手)
ロッテ:島孝明選手(投手)
西武:田村伊知郎選手(投手)
楽天:ウィーラー選手(内野手)
オリックス:鈴木昂平選手(内野手)
広島:磯村嘉孝選手(捕手)
巨人:谷岡竜平選手(投手)
DeNA:飛雄馬選手(内野手)
阪神:福永春吾選手(投手)
ヤクルト:グリーン選手(内野手)
中日:桂依央利(捕手)

不在:0球団
永久欠番:0球団
投手:6球団
捕手:2球団
内野手:4球団
外野手:0球団

2017年シーズンに背番号「40」を背負った選手で、もっとも実績を残したのはウィーラー選手(楽天)だろう。ウィーラー選手は、球団史上初となる助っ人外国人選手による30本塁打を達成。ひょうきんな性格でも知られ、チームのムードメーカーにもなっている。2018年シーズンの残留も決まっており、更なる活躍も期待される。

また、2017年シーズンから加入した選手に多く与えられた番号でもあった。高良一輝選手(日本ハム)、島孝明選手(ロッテ)、田村伊知郎選手(西武)、谷岡竜平選手(巨人)、福永春吾選手(阪神)と5人の新人がこの番号を与えられた。
また、新外国人であるグリーン選手(ヤクルト)もこの番号となった。各選手ともに「40」を自分の番号とできるような活躍に期待がかかる。

広島の名捕手でもあり珍プレーの常連!達川光男選手

2017年シーズンは、福岡ソフトバンクホークスのコーチとしてユニフォームを着ている達川光男氏。現役時代は広島東洋カープにおいて、長らく正捕手を務め背番号「40」を背負っていた。

広島商業高校時代には『怪物』こと江川卓選手を擁する作新学院高校を破り、春のセンバツで準優勝。その後、東洋大学へ進学し東都大学でもベストナインを獲得するなどの結果を残す。1977年のドラフト会議で4位指名を受けプロ入りを果たし、背番号「40」を与えられた。

6年目の1983年にレギュラーを獲得すると、1992年に現役を引退するまで正捕手として活躍。通算で1334試合に出場し895安打を放っている。達川選手は成績よりも珍プレーでの印象が強い。
現役当時の達川選手はコンタクトレンズでプレーしており、試合中にコンタクトレンズが外れ、地面に這いつくばりながら探していた。その姿がおもしろく珍プレーでも取り上げられていたのだ。当時の場内アナウンスでは「コンタクトレンズを紛失したため」と流されるなどほのぼのとしていた。

現役引退後は広島で監督を2年間務めるが5位に終わり、結果を残すことはできなかったが、その後もコーチとして他球団で指導を行っている。

中日、日本ハムで活躍し名球会入りした大島康徳選手

2017年にがんの闘病を発表した大島康徳氏。現役時代は中日ドラゴンズ、日本ハムファイターズの2球団で活躍し2204安打を記録。名球会入りも果たしている。また、2000年から2002年までの3年間にわたって日本ハムの監督を務めたりもした。

その大島選手は、1968年ドラフト3位で中津工業高校から中日へ入団。背番号「40」を与えられ現役生活を開始する。1971年に71試合で出番を与えられると、翌1972年には124試合に出場。打率.230(387打数89安打)と確実性は低かったがレギュラーに定着する。
以降、1976年までこの番号でプレーし1977年から背番号を「5」に変更。すると、1977年にはじめて打率3割を超え打率.333(433打数144安打)をマークする。

1983年には36本塁打で初の打撃タイトルとなる本塁打王を獲得し、1987年オフまで中日で活躍した。その後1988年から日本ハムへ移籍し、1994年まで現役を続けている。日本ハム時代の背番号は「11」だった。

監督としてはAクラス1回(2000年3位)の成績を残したものの、優勝には届かず2002年に退団。その後は解説者などを歴任し、現場での指導は行っていない。

広島のトップバッター!高橋慶彦選手

広島東洋カープで、赤ヘル軍団の一員として活躍した高橋慶彦選手。広島、ロッテオリオンズ、阪神タイガースの3球団でプレーし、通算1826安打を放った名選手でもある。ブレイク前の高橋選手の背番号は「40」で、1974年ドラフト3位で城西高校から広島へ入団している。
高卒ルーキーということもあり、1年目は一軍昇格がなく二軍で1年を終える。2年目に一軍で5試合に出場すると、3年目の1977年には58試合で出番が与えられる。そこで規定打席には届かなかったものの打率.292(130打数38安打)の成績を残し、ブレイクのきっかけを掴んだのだ。このオフに背番号を「40」から「2」へと変更している。

1979年に広島が日本一となった際は有名な『江夏の21球』を遊撃手から見守っていた。その日本シリーズで高橋選手はMVPに輝く活躍を見せた。その後、盗塁王を3度獲得するなど俊足としてならし、広島の中心選手として活躍を果たしている。

また、豪快な人物でも知られており清原和博選手(元・巨人他)も、高橋選手には恐れていたとテレビ番組で語っていたほどだ。さらには、レコードなども出しており5万枚のセールスを記録している。

『世界の福本』こと福本豊選手

通算1065盗塁、13年連続盗塁王など日本プロ野球において盗塁記録を数多く作っている福本豊選手。現役引退時に背負っていた背番号「7」のイメージが強いだろう。しかし、入団当初は背番号「40」を背負っていた。1968年ドラフト7位で松下電器から阪急ブレーブスへ入団した福本選手。

入団2年目の1970年にレギュラーを獲得すると127試合に出場し、75盗塁を記録。入団2年目にして盗塁王のタイトルを獲得した。翌1971年にも67盗塁を記録し、2年連続となる盗塁王に輝く。
オフに背番号「40」から「7」へと変更になり、その翌年に2017年現在でもプロ野球記録となっている106盗塁をマーク。1982年まで盗塁王を獲得し続けることになる。

福本選手は、盗塁記録だけでなく三塁打も日本球界最多となる115本を放っている。日本プロ野球において現役最多は、松井稼頭央選手(楽天)、川崎宗則選手(ソフトバンク)の65本となっており、当分の間、三塁打記録数を更新されることはなさそうだ。

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