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捕手番号としては定着せず?プロ野球における背番号37の選手たち

2020 10/20 17:55SPAIA編集部
(左から)巨人の若林晃弘、広島の野間峻祥、DeNAの楠本泰史ⒸSPAIA
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2020年現役選手の背番号「37」

2020年各球団の背番号「37」は下記の選手が背負っている。

西武:柘植世那捕手
ソフトバンク:マット・ムーア投手
楽天:不在
ロッテ:小野郁投手
日本ハム:柿木蓮投手
オリックス:若月健矢捕手
巨人:若林晃弘内野手
DeNA:楠本泰史外野手
阪神:及川雅貴投手
広島:野間峻祥外野手
中日:三ツ俣大樹内野手
ヤクルト:スコット・マクガフ投手

不在:1球団
永久欠番:0球団
投手:5球団
捕手:2球団
内野手:2球団
外野手:2球団

2020年に背番号「37」を背負っているのは投手が5球団と最も多い。2018年に甲子園春夏連覇した大阪桐蔭高のエースだった柿木蓮(日本ハム)や、横浜高時代に大船渡・佐々木朗希(ロッテ)、星稜・奥川恭伸(ヤクルト)、創志学園・西純矢(阪神)とともに「BIG4」と呼ばれた及川雅貴ら期待の若手が着用している。

少し前まで捕手も多かったが、楽天時代に「37」だった嶋基宏がヤクルトに移籍して「45」を背負うなど、現在は柘植世那(西武)と若月健矢(オリックス)の2人となっている。また、内外野どこでも守れる若林晃弘(巨人)や広島で緒方孝市前監督が背負っていた番号を受け継いだ野間峻祥、楠本泰史(DeNA)ら野手にも好選手が多い。

日本では永久欠番にしている球団はないが、メジャーリーグでは監督としてケーシー・ステンゲル氏が2球団において永久欠番となっている。

選手会会長を務めた嶋基宏

長らく楽天の正捕手として活躍した嶋基宏は、2006年大学生・社会人ドラフト3位で国学院大から入団し、1年目からレギュラーとして活躍。野村克也監督から怒られながらリード、配球を研究し、リーグ屈指の捕手へと成長した。試合中に野村監督の横に立ちながら説教を受けるシーンは、度々テレビなどでも流された。

成長を重ねた嶋は侍ジャパン日本代表にも選出。第4回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)でも、直前まで候補選手だったが、故障によって離脱したためWBCには出場できなかった。

2011年の東日本大震災後のスピーチでは「見せましょう、野球の底力を」という名言を残し、多くの人々の心を打った。中京大中京高、国学院大で主将、2012年から2017年までプロ野球選手会会長も務めた。嶋は入団以来背番号「37」を背負っていたが、ヤクルト移籍後は「45」に変更。楽天の「37」は空き番号となっている。

緒方孝市前監督の現役時代は「37」がルーツ

2015年から2019年まで5年間、広島の指揮を執った緒方孝市前監督は、1986年ドラフト3位で広島に入団し、背番号「37」で現役生活をスタートさせた。

高卒と言うこともあり当初は出番が少なかったが、5年目の1991年に102試合に出場すると、その後も出場機会を確保。1995年には101試合に出場し、規定打席には到達できなかったものの、47盗塁をマークし盗塁王に輝いた。この活躍があり、同年オフに背番号「37」から「9」に変更した。

緒方はケガが多かったものの、2009年まで23年間に渡って現役生活を続け、1506安打、268盗塁をマーク。広島におけるスター選手のひとりとして活躍した。

引退後(晩年は選手兼任)もコーチとしてチームに残り、2015年から監督就任すると2016年の25年ぶりリーグ優勝から3連覇。2試合連続サヨナラ本塁打を放った鈴木誠也を「神ってる」と表現して新語・流行語大賞に選ばれたり、全国に「カープ女子」が出現するなど、明るい話題を提供した。

「ミスターファイターズ」田中幸雄

日本ハム一筋22年、通算2012安打を放った田中幸雄は、清原和博や桑田真澄らで沸いた1985年のドラフト会議で3位指名を受けてプロ入りした。

最初に与えられた背番号は「37」。高卒1年目は14試合の出場にとどまるが、2年目となる1987年には112試合に出場。1988年からは4年連続全試合出場を果たし、レギュラーに定着した。

キャリア序盤である1986年から1990年までを背番号「37」で過ごし、その後「6」に変更している。

日本ハムを代表する選手として、北海道移転後の2007年まで現役を続けた田中。現役最終年には2000本安打も達成し、名球会入りを果たした。打撃タイトルは1995年の打点王1度のみだったが、「ミスターファイターズ」としてファンに愛された。

入団当初の1986年から1989年までの4年間は、同姓同名の田中幸雄投手がいたこともあり、表記は田中雄となっていた。また、田中幸雄投手が190センチと大柄で「オオユキ」と呼ばれていたのに対し、184センチの田中幸雄内野手は「コユキ」と呼ばれることもあった。

退団後もコーチとして日本ハムを支え、2015年から2017年まで二軍監督を務めた。

ヤンキースで世界一を7度達成したケイシー・ステンゲル

1950年代にニューヨークヤンキースで指揮を執り、一時代を築いたケーシー・ステンゲル監督は、10度のリーグ優勝、7度のワールドチャンピオンに輝くなど大きな実績を残した。

MLBの監督としてブルックリンドジャース、ボストンブレーブス、ヤンキース、ニューヨークメッツの4球団で采配。メッツとヤンキースで背負った背番号「37」が両球団で永久欠番に制定されている。

名采配も数多く見せたが、「ステンゲル語録」と呼ばれるほど多くの名言(迷言)を残したことでも有名だ。常勝チームのヤンキースを率いた後に指揮を執ったメッツでは、新設チームということもあってチーム力が低く、就任1年目の1962年は40勝120敗1分。チーム史上唯一となる勝率3割未満に陥るなど好成績を残すことはできず、「メッツの試合よりひどいのは、メッツのダブルヘッダーだけ」と自虐的なネタでチーム状況を嘆いた。

メッツでは1965年途中まで采配を振るい退団。翌1966年にアメリカ野球殿堂入りを果たしている。

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