プロ野球における背番号38の名選手たち|【SPAIA】スパイア

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プロ野球における背番号38の名選手たち


2017年現役選手の背番号「38」

2017年各球団の背番号「38」は下記の選手が背負っていた。

日本ハム:石井一成選手(内野手)
ソフトバンク:森唯斗選手(投手)
ロッテ:伊志嶺翔大選手(外野手)
西武:玉村祐典選手(投手)
楽天:西宮悠介選手(投手)
オリックス:小島脩平選手(内野手)
広島:赤松真人選手(外野手)
巨人:岡本和真選手(内野手)
DeNA:山下幸輝選手(内野手)
阪神:マテオ選手(投手)
ヤクルト:梅野雄吾選手(投手)
中日:松井雅人選手(捕手)

不在:0球団
永久欠番:0球団
投手:5球団
捕手:1球団
内野手:4球団
外野手:2球団

2017年シーズンの背番号「38」は投手、捕手、内野手、外野手と全ポジションの選手が着用している。この番号におけるポジションのイメージはとくにない。過去の選手を振り返っても名球会入りを達成するような選手は使用しておらず、地味な番号のひとつとなっている。

メジャーリーグにおいても永久欠番としている球団はない。この番号が永久欠番になっていない番号でもっとも若い番号でもある(2017年時点)。

『俺のために優勝しろ』と鼓舞した武田勝選手

北海道日本ハムファイターズを2016年に引退した武田勝選手。2005年大学生・社旗陣ドラフト4位でシダックスから入団し、プロ1年目から背番号「38」を背負っていた。2年目となる2007年に9勝をあげると先発ローテーションに定着。2009年から2012年まで4年連続2桁勝利を達成。
球速は120キロ台がほとんどと速くなかったが、コントロールと駆け引きで打者を翻弄していた。この当時、ダルビッシュ有選手らとともにチームを支えていたひとりでもある。

しかし、2014年以降急速に衰え2015年はわずか3勝、防御率5.84と不本意な成績となってしまう。そして2016年をもって現役を引退する。引退表明後には優勝争いをしていたチームを鼓舞するために『俺のために優勝しろ』とメッセージを送っていた。そのメッセージが書かれたTシャツも販売されたほどだ。
リーグ優勝を果たした後は『俺のために日本一になれ』とメッセージを送り直し、チームは見事に日本一に輝いた。こういったことをしても憎まれない愛されるキャラクターだったのだ。

現役引退後は独立リーグの石川ミリオンスターズへ派遣されており、経営・人事・編成などを任務として行っている。将来的にはフロントで辣腕をふるってくれることに期待したい。

2018年シーズンからコーチに復帰!土橋勝征選手

1986年ドラフト2位で印旛高校からヤクルトスワローズへ入団し、19年間に渡って現役生活を送った土橋勝征選手。その土橋選手はプロ入りした1987年から1994年までの8年間を背番号「38」で過ごしている。

主役ではなく脇役として1990年代の黄金時代を支えた選手でもあった。野村克也監督好みの選手でもあり、1995年の優勝時に土橋選手は『裏のMVP』と評価したほどだ。
ヤクルトファンとして有名な、作家の村上春樹氏も土橋選手を贔屓にしており、エッセイなどに名前が登場することもあった。打撃タイトルなどの獲得はないものの、玄人好みし人気を集めていた選手でもある。

2006年に現役を引退後はコーチとしてチームを支え、2015年シーズンをもって退団した。しかし、2018年より再びコーチとして戻ることとなり、改めてヤクルトのユニフォームに袖を通すこととなった。

41歳にして現役復帰!? エリック・ガニエ選手

2003年にクローザーながらサイ・ヤング賞を獲得したのがエリック・ガニエ選手(ドジャース)だ。ガニエ選手は1999年にロサンゼルスドジャースでメジャーデビューを果たすと、先発投手として起用される。
しかし、大きな実績を残すことができないまま、2002年にクローザーへ転向。すると、77試合に登板し52セーブをマークし防御率1.97を記録した。翌2003年には初のタイトルとなる最多セーブを獲得。この年は77試合に登板し2勝3敗55セーブ、防御率1.20と圧倒的な成績を残しサイ・ヤング賞を受賞する。

翌2004年も45セーブをあげるなど一定の活躍を見せたが、それ以降は故障もあり満足な投球もできずに2008年をもって、メジャーリーグの舞台から姿を消している。

メジャーデビュー3年目から背番号「38」を背負うと、その後はレッドソックス時代を除き、つねに「38」を着用していた。

ガニエ選手はメジャーリーグからは去ったものの、独立リーグなどでプレーを続け2010年に現役を引退する。その後、フランス代表の監督を務めていた。
しかし、2017年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)において41歳ながらも現役復帰。カナダ代表としてメンバー入りを果たしたのだ。本大会では1試合に登板し2.1回を無失点に抑える好投を見せた。さすが、元サイ・ヤング賞投手といったところだろうか。

『血染めのソックス』カート・シリング選手

20年間のメジャーリーグ生活で217勝をマークし、最多勝2回、最多奪三振2回のタイトルを獲得しているカート・シリング選手。そのキャリアの大半を背番号「38」で過ごしている。

1988年にボルチモアオリオールズでメジャーデビューを果たしたシリング選手。ヒューストンアストロズを経て、1992年にフィラデルフィアフィリーズへと移籍。
この移籍がシリング選手の転機となった。それまで、中継ぎとして起用されていることが多かったが、先発に転向すると14勝をマークする。翌1993年には16勝を挙げ先発ローテーションの一員となった。1997年、1998年に2年連続となる300奪三振を達成し最多奪三振のタイトルを獲得。
2000年シーズン途中にアリゾナダイヤモンドバックスへ移籍すると、2001年にはランディ・ジョンソン選手とのダブルエースでワールドチャンピオンに輝いた。このワールドシリーズでは3試合に先発し21.1回を投げ防御率1.69を記録。MVPにも選ばれている。

その後ボストンレッドソックスへ移籍し、2004年、2007年とワールドチャンピオンになり引退までに3個のチャンピオンリングを手にいれた。なかでも、2004年の第6戦は故障し縫合した部分から出血し、靴下が血染めとなりながら好投。この『血染めのソックス』は野球殿堂に展示されている。

現役引退後はゲーム会社を設立したが破産させてしまっている。経営は野球のように上手くいかなかったようだ。

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