2024年現役選手の背番号「38」
過去の選手を振り返っても名球会入りするような選手はおらず、地味な番号のひとつと言える背番号38。2024年各球団の「38」は下記の選手が背負っている。
阪神:小幡竜平内野手
広島:宇草孔基外野手
DeNA:森唯斗投手
巨人:岡田悠希外野手
ヤクルト:北村拓己内野手
中日:松葉貴大投手
オリックス:来田涼斗外野手
ロッテ:髙部瑛斗外野手
ソフトバンク:澤柳亮太郎投手
楽天:弓削隼人投手
西武:野田海人捕手
日本ハム:石井一成内野手
不在:0球団
永久欠番:0球団
投手:4球団
捕手:1球団
内野手:3球団
外野手:4球団
2024年シーズンは、投手、捕手、内野手、外野手と全ポジションの選手が着用している。投手と外野手の4球団が最多。通算106ホールド、127セーブを記録し、今季からDeNAに移籍した森唯斗、2022年に盗塁王とゴールデングラブのタイトルを獲得したロッテ・髙部瑛斗らが背負う。
2024年から変更となったのは2球団。ヤクルトでは昨季まで着用していた梅野雄吾がオフの現役ドラフトで中日へ移籍し、代わりに巨人から獲得した北村拓己が着用。ソフトバンクではドラフト5位ルーキーの澤柳亮太郎が背負っている。
巨人ではかつて岡本和真が付けていたが、2018年から岸田行倫、2022年からは岡田悠希が背負っている。阪神は1997年の浜中治以来23年ぶりに10代野手で安打を放つなど、将来を期待されている小幡竜平が背負う。
そんな背番号「38」を着用していた日米の名選手や特徴的な球団の系譜を、次章以降で紹介していく。
「俺のために優勝しろ」と鼓舞した武田勝
日本ハムで通算82勝を挙げ、2016年に引退した武田勝は現役生活を通して「38」を背負った。
2005年大学生・社会人ドラフト4位でシダックスから入団し、2年目となる2007年に9勝を挙げると先発ローテーションに定着。2009年から2012年まで4年連続2桁勝利を達成する。球速は130キロ前後と速くなかったが、コントロールと駆け引きで打者を翻弄した。当時、ダルビッシュ有らとともにチームを支えていた一人でもある。
しかし、2014年以降、衰えが目立ち、2015年はわずか3勝、防御率5.84と不本意な成績。2016年は登板機会がないまま現役引退を表明する。当時、優勝争いをしていたチームを鼓舞するために「俺のために優勝しろ」とメッセージを送り、そのメッセージが書かれたTシャツも販売されるなど話題になった。
さらにリーグ優勝を果たした後は「俺のために日本一になれ」とメッセージを送り、チームは見事に日本一を達成。チームメートから愛される存在ならではのエピソードで、栗山監督に続いて胴上げされた。
現役引退後は独立リーグの石川ミリオンスターズへ派遣され、経営・人事・編成などフロント業務を経験した後、2018年から監督に就任。2年間指揮を執り、2020年から日本ハムの一軍投手コーチを務め、2022年限りで退団している。
「裏のMVP」と称賛された土橋勝征
1986年ドラフト2位で印旛高校からヤクルトに入団し、20年間に渡って現役生活を送った土橋勝征。プロ入りした1987年から1994年までの8年間を背番号「38」で過ごしている。
主役ではなく脇役として1990年代の黄金時代を支えた選手だった。野村克也監督好みの選手でもあり、1995年の優勝時に土橋を「裏のMVP」と評価したほどだ。ヤクルトファンとして有名な作家の村上春樹氏も土橋を贔屓にしており、エッセイなどに名前が登場することもあった。打撃タイトルなどの獲得はないものの、玄人好みの選手だった。
2006年に現役を引退後はコーチとしてチームを支え、2016年にフロント入りしたが、2018年から再びコーチとしてヤクルトのユニフォームに袖を通している。
41歳にして現役復帰したエリック・ガニエ
2003年にクローザーながらサイ・ヤング賞を獲得したのがエリック・ガニエだ。1999年にロサンゼルスドジャースでメジャーデビューを果たすと、先発投手として起用されたが大きな実績を残すことができず、2002年にクローザー転向。すると、77試合に登板して52セーブ、防御率1.97をマークした。
翌2003年には77試合に登板して2勝3敗55セーブ、防御率1.20という圧倒的な成績を残してサイ・ヤング賞を受賞。初タイトルとなる最多セーブにも輝いた。翌2004年も45セーブを挙げるなど活躍したが、それ以降は故障もあって満足な投球をできず、2008年をもってメジャーリーグの舞台から姿を消している。
ガニエはメジャーデビュー3年目から背番号「38」を背負うと、その後はレッドソックス時代を除き、常に「38」を着用していた。2009年からは独立リーグなどでプレーを続け、2010年に現役を引退。その後、フランス代表のコーチや監督を務めた。
しかし、2017年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で41歳ながら現役復帰し、カナダ代表としてメンバー入り。本大会では1試合に登板して2.1回を無失点に抑える好投を見せた。
「血染めのソックス」カート・シリング
20年間のメジャーリーグ生活で216勝をマークし、最多勝2回、最多奪三振2回のタイトルを獲得しているカート・シリング。そのキャリアの大半を背番号「38」で過ごしている。
1988年にボルチモアオリオールズでメジャーデビューを果たし、ヒューストンアストロズを経て、1992年にフィラデルフィアフィリーズへと移籍。この移籍がシリングの転機となった。
それまで中継ぎとして起用されることが多かったが、先発に転向して14勝をマーク。翌1993年には先発ローテーションの一員として16勝を挙げた。1997年、1998年に2年連続で300奪三振を達成し、最多奪三振のタイトルを獲得している。
2000年シーズン途中にアリゾナダイヤモンドバックスへ移籍すると、2001年にはランディ・ジョンソンとのダブルエースでワールドチャンピオンに輝いた。このワールドシリーズでは3試合に先発し、21.1回を投げて防御率1.69を記録。MVPにも選ばれている。
その後ボストンレッドソックスへ移籍すると、2004年、2007年とワールドチャンピオンになり、引退までに3個のチャンピオンリングを手に入れた。中でも2004年の第6戦は、ケガで縫合した部分から出血し、靴下を真っ赤に染めながらの力投。「血染めのソックス」は野球殿堂に展示されている。
現役引退後はゲーム会社を設立したが破産。経営は野球のように上手くいかなかったようだ。
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