プロ野球における背番号28の名選手たち|【SPAIA】スパイア

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プロ野球における背番号28の名選手たち


2017年現役選手の背番号「28」

投手の印象が強い背番号「28」。2017年各球団の背番号「28」は下記の選手が背負っている。

日本ハム:新垣勇人選手(投手)
ソフトバンク:大隣憲司選手(投手)
ロッテ:松永昂大選手(投手)
西武:藤原良平選手(投手)
楽天:石橋良太選手(投手)
オリックス:塚原頌平選手(投手)
広島:床田寛樹選手(投手)
巨人:畠世周選手(投手)
DeNA:福地元春選手(投手)
阪神:小野泰己選手(投手)
ヤクルト:ブキャナン選手(投手)
中日:丸山泰資選手(投手)

不在:0球団
永久欠番:0球団
投手:12球団
捕手:0球団
内野手:0球団
外野手:0球団

全12球団が投手に背番号「28」を与えている。また、2017年シーズンからチームに加入した新人選手、新外国人選手5人が背負っているのも興味深い。
とくに新人の床田寛樹選手(広島)、畠世周選手(巨人)、小野泰己選手(阪神)、丸山泰資選手(中日)は実績を残し、自分の番号として「28」を定着させることに期待したい。

阪神入団時に背番号「28」を背負った江夏豊選手

阪神タイガース、南海ホークス、広島東洋カープ、日本ハムファイターズ、西武ライオンズと5球団で活躍。通算206勝、193セーブをマークしている江夏豊選手は、阪神で背番号「28」を背負っていた。

1966年ドラフト1位で大阪学院大学高校から阪神に入団した江夏選手は、背番号「28」を着用。1年目となる1967年から12勝(13敗)を挙げると、225奪三振でリーグ最多奪三振(当時タイトルではなかった)をマークし、翌1968年は日本記録となっているシーズン401奪三振を達成した。
この年の江夏選手は25勝12敗、防御率2.13、401奪三振で沢村賞も受賞するなど高卒2年目にしてリーグを代表する投手となった。

江夏選手のハイライトといえば、1971年オールスターゲームにおける9者連続奪三振が挙げられる。この年の第1戦でセ・リーグの先発マウンドに登った江夏選手は、3回までの打者9人を全員三振に仕留め、プロ野球史上初となるオールスターゲームの9者連続奪三振を達成した。記録は、2016年現在もこの破られていない。

江夏選手は、1975年まで阪神でプレーした後に複数の球団を渡り歩いているが、背番号「28」を着用したのは阪神時代のみである。江夏選手の代表的な背番号と言えば、阪神時代の「28」もしくは広島時代の「26」といえるだろう。しかし、両球団ともに江夏選手の背番号は永久欠番とはなっておらず、後輩達に継承されている。

スローカーブが代名詞の星野伸之選手

阪急ブレーブス(現・オリックス・バファローズ)、阪神タイガースでプレーし通算176勝をマークした星野伸之選手。1983年ドラフト5位で旭川工業高校から阪急に入団し、背番号は「28」となった。2年目の1985年に一軍デビューを果たすと、1986年には9勝を挙げローテーションに定着。翌1987年からは11年連続二ケタ勝利を達成し、1989年、1996年には最高勝率のタイトルを獲得している。

星野選手はスローカーブが代名詞となっており、130キロ台のストレートとの緩急で打者を打ち取っていた。球速だけでみると決して速い球とは言えないが、多くの選手が星野選手の球を速いと感じていた。それはこの緩急とフォームに秘密があったからだ。星野選手のフォームは球の出所が見えにくく打者は、タイミングを取ることがむずかしかったのだ。球が遅いということを苦にせず、工夫を凝らし多くの勝ち星を挙げた選手の一人と言えるだろう。

その後1999年オフにFA権を行使し、阪神へ移籍した際に背番号「34」を着用した。現役引退後は所属した球団である阪神やオリックスの投手コーチとなり、若手選手の指導を行っている。

左腕が多い巨人の背番号「28」

読売ジャイアンツの背番号「28」は、左腕投手が多くつけている。これは1970年代に巨人で活躍した新浦寿夫選手から始まった。

静岡商業高校で、1968年夏の甲子園で準優勝を果たし注目を集めた新浦選手。韓国籍だったこともあり、ドラフト会議での指名は必要なく争奪戦となっていた。(当時外国籍の選手は、日本の学校を卒業してもドラフトにかける必要がなかった)
その結果、静岡商業高校を中退し、1968年ドラフト外で読売ジャイアンツに入団することを選択する。入団当時の背番号は「42」だったが、その後「40」を経て1973年には「28」へ変更した。1976年から1979年までは4年連続二ケタ勝利をマークし、1978年、1979年には最優秀防御率のタイトルも獲得している。

その後、韓国リーグでプレーし1987年に大洋ホエールズへ入団。1992年に福岡ダイエーホークス、シーズン途中にヤクルトスワローズへ移籍する。ヤクルトでは背番号「49」を背負ったが、その他の球団では「28」を一貫して背負い続けた。

巨人では新浦選手以降も阿波野秀幸選手、岡島秀樹選手、金刃憲人選手、高木京介選手と多くの左腕がこの番号を背負っている。新浦選手以降で右腕が背番号「28」を背負ったのは廣田浩章選手ひとりだけだ。

オランダ出身のバート・ブライレブン選手

2017年に行われた第4回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)でオランダ代表の投手コーチを務めたバート・ブライレブン投手コーチ。オランダ生まれカリフォルニア育ちの元メジャーリーガーでもあり、692試合に登板し通算287勝、3701奪三振をマークしている。

ブライレブン選手は、1970年にミネソタ・ツインズでメジャーデビューを果たすと10勝をマーク。途中、テキサス・レンジャーズ、ピッツバーグ・パイレーツに移籍するものの10年連続で二桁勝利を達成。クリーブランド・インディアンス、再びツインズ、最後は故郷でもあるカリフォルニア・エンゼルスで22年間プレーし、現役生活を続けたレジェンドでもある。
ブライレブン選手はツインズ、レンジャーズ、インディアンス、エンゼルスの4球団で背番号「28」を背負っていた。2011年にアメリカ野球殿堂入りを果たすと同時に、ツインズで「28」が永久欠番となっている。

2016年終了時点において、メジャーリーグで背番号「28」が永久欠番となっているのはツインズのブライレブン選手ただ一人である。

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