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左腕の系譜、ツインズの永久欠番 プロ野球における背番号28の選手たち

2024 8/15 06:00SPAIA編集部
巨人の高橋礼、広島の床田寛樹、日本ハムの河野竜生,ⒸSPAIA
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2024年現役選手の背番号「28」

投手の印象が強い背番号28。2024年各球団の背番号「28」は下記の選手が背負っている。

阪神:鈴木勇斗投手
広島:床田寛樹投手
DeNA:勝又温史外野手
巨人:高橋礼投手
ヤクルト:松本健吾投手
中日:森博人投手

オリックス:富山凌雅投手
ロッテ:菊地吏玖投手
ソフトバンク:アダム・ウォーカー外野手
楽天:酒居知史投手
西武:不在
日本ハム:河野竜生投手

不在:1球団
永久欠番:0球団
投手:9球団
捕手:0球団
内野手:0球団
外野手:2球団

2024年は9球団で投手が、2球団で外野手が背番号28を着用している。広島の左腕エース・床田寛樹や、貴重な中継ぎサウスポーとしてブルペンを支えている日本ハムの河野竜生ら左腕の活躍が目立つ。

今季は6球団で変更があった。ヤクルトではドラフト2位ルーキーの松本健吾が「28」を継承。DeNAでは投手から野手に転向し、育成選手として研鑽を積んでいた勝又温史が支配下へ復帰し、背番号も入団時に背負っていた「28」に戻った。

巨人とソフトバンクでは、オフにトレードされたサブマリン右腕の高橋礼とアダム・ウォーカーがトレード先の球団でも同じ番号を着用。オリックスではトミー・ジョン手術を受け育成契約となっていた富山凌雅が支配下に復帰し、背番号ももともと付けていた「28」に復帰した。

西武では森脇亮介が右上腕動脈閉塞症に対する上腕動脈パッチ形成術を受け、今季から育成契約へ移行したため、空き番となっている。

次章からは、背番号「28」を着用していた歴代の名選手や球団の系譜を紹介していく。

阪神入団時から背番号28を背負った江夏豊

阪神、南海、広島、日本ハム、西武と5球団で活躍し、通算206勝193セーブをマークした江夏豊は、阪神で背番号28を背負った。

1966年ドラフト1位で大阪学院大高から阪神に入団し、1年目の1967年から12勝(13敗)を挙げ、リーグ最多の225奪三振を記録。翌1968年は現在も日本記録のシーズン401奪三振をマークした。この年は25勝12敗、防御率2.13で沢村賞を受賞するなど高卒2年目にしてリーグを代表する投手となった。

江夏と言えば、1971年オールスターゲームにおける9者連続奪三振が有名だ。第1戦でセ・リーグの先発マウンドに登った江夏は、3回までの打者9人を全員三振に仕留め、プロ野球史上初の快挙を達成した。オールスターの記録としては現在も破られていない。

江夏は1975年まで阪神でプレーした後に複数の球団をわたり歩いたが、背番号28を着用したのは阪神時代のみ。江夏の代表的な背番号と言えば、阪神時代の「28」もしくは広島時代の「26」だろう。阪神の「28」は江夏の後、中田良弘や福原忍(現投手コーチ)、小野泰己らが受け継ぎ、2022年から鈴木勇斗が背負っている。

スローカーブが代名詞の星野伸之

阪急、オリックス、阪神でプレーし、通算176勝をマークした星野伸之。1983年ドラフト5位で旭川工業高から阪急に入団し、背番号は「28」となった。

2年目の1985年に一軍デビューを果たすと、1986年には9勝を挙げローテーションに定着。翌1987年から11年連続二桁勝利を達成し、1989年、1996年には最高勝率のタイトルを獲得している。

星野は100キロ以下のスローカーブが代名詞で、130キロ台のストレートとの緩急で打者を打ち取った。球速だけを見ると決して速いとは言えないが、多くの選手が星野のストレートに振り遅れた。それは緩急とフォームに秘密があった。

星野のフォームは球の出所が見にくく、打者はタイミングを取ることが難しかったのだ。球が遅いことを弱みにせず、工夫を凝らして多くの勝ち星を挙げた名投手と言えるだろう。

1999年オフにFA権を行使して移籍した阪神では背番号34を着用。現役引退後は阪神やオリックスで投手コーチを務めた。

左腕が多い巨人の背番号28

巨人の背番号28は左腕投手が多い。これは1970年代に活躍した新浦寿夫から始まった。

静岡商業高で1968年夏の甲子園で準優勝して注目を集めた新浦。当時外国籍の選手は日本の学校を卒業してもドラフトにかける必要がなかったため、韓国籍だった新浦の争奪戦が勃発し、静岡商業高を中退して1968年ドラフト外で巨人に入団した。

当時の背番号は「42」だったが、その後「40」を経て1973年に「28」へ変更。1976年から1979年まで4年連続二桁勝利をマークし、1977年、1978年には最優秀防御率のタイトルを獲得した。

その後、韓国リーグでプレーし、1987年に大洋へ入団。1992年にダイエー、シーズン途中にヤクルトへ移籍する。ヤクルトでは背番号49を背負ったが、その他の球団では一貫して「28」を背負い続けた。

巨人では新浦以降も阿波野秀幸、岡島秀樹、金刃憲人、高木京介、田口麗斗と多くの左腕がこの番号を継承していたが、2024年からはトレードで加入したサブマリン右腕の高橋礼が背負っている。

オランダ出身のバート・ブライレブン

2017年に行われた第4回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)でオランダ代表の投手コーチを務めたバート・ブライレブン。オランダ生まれカリフォルニア育ちの元メジャーリーガーで、692試合に登板し通算287勝、3701奪三振をマークした。

ブライレブンは1970年にツインズでメジャーデビューを果たし、10勝をマーク。レンジャーズ、パイレーツとわたり歩きながら、10年連続で二桁勝利を達成した。インディアンス、再びツインズ、最後は故郷でもあるカリフォルニア・エンゼルスと、計22年間MLBでプレーしたレジェンドでもある。

ブライレブンはツインズ、レンジャーズ、インディアンス、エンゼルスの4球団で背番号28を背負った。2011年にアメリカ野球殿堂入りを果たすと同時に、ツインズで「28」が永久欠番となっている。

メジャーリーグで背番号28が永久欠番となっているのは、ツインズのブライレブンただ一人である。

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