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プロ野球における背番号17の名選手たち

2018 1/6 10:05cut
野球ボール
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「史上最高のサブマリン」こと山田久志選手

史上最高のサブマリンと称されることもある山田久志選手(阪急)。アンダースローの投手ではプロ野球史上最多となる284勝をマークするなど、阪急ブレーブスの黄金時代を支えて名投手だ。山田選手は1968年ドラフト1位で富士製鐵釜石から阪急入りすると背番号「25」で現役生活をスタート。

プロ入り2年目の1970年に50試合に登板し10勝をマーク。この年から1986年まで17年連続二ケタ勝利を達成している。1971年には22勝6敗、防御率2.37の成績を残し最優秀防御率のタイトルを獲得。
この年から背番号「17」へと変更になっており、幸先よいスタートとなった。その後も数々のタイトルを獲得。1976年から1978年まで3年連続パ・リーグMVPを受賞している。これは日本プロ野球タイ記録(もう1名は1994年から1996年のイチロー選手)でもある。

現役引退後に阪急は身売りしオリックスへと親会社が変更。そのために偉大な記録を残したにも関わらず、背番号「17」は永久欠番とならなかった。これに対し山田選手は同時期に背番号「7」で活躍した福本豊選手を引き合いに出し「7と17は永久欠番にして欲しかった」と後に語っている。

現役引退後にオリックス・ブルーウェーブ、中日ドラゴンズでコーチを務め最終的には中日で監督も歴任した。その際は背番号「17」を着用していない。

大洋初優勝の立役者!秋山登選手

大洋ホエールズで大エースとして活躍し、1960年の初優勝時にも21勝をマークしていた秋山登選手。明治大学時代に通算33勝をマークし1956年に大洋へ入団。背番号は「17」を与えられた。
プロ入り1年目から25勝25敗、防御率2.39の成績を残し新人王を受賞。その後1964年まで9年連続で50試合以上に登板し二ケタ勝利をマーク。1960年には21勝10敗、勝率.677、防御率1.75の成績で最高勝率、最優秀防御率のタイトルを獲得しチーム史上初の優勝に大きく貢献。MVPにも輝いた。

1967年に現役を引退するまでに通算193勝をマークし引退後は監督も務めている。監督時は背番号「17」ではなく、17を逆さにした「71」を着用した。秋山選手は2000年に亡くなっているが、その4年後となる2004年に野球殿堂入りも果たしている。

秋山選手の引退以降この番号を斉藤明夫選手、盛田幸希選手らが受け継がれた。そして現在は2012年ドラフト2位で入団した三嶋一輝選手の番号となっている。三嶋選手は近年、好成績を残せていないが、秋山選手の番号に恥じない活躍を見せてもらいたい。

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