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プロ野球における背番号3の名選手たち

2017 9/13 14:03cut
アテネ背番号3,Ⓒゲッティイメージズ
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「野球の神様」ことベーブ・ルース選手

「野球の神様」ことベーブ・ルース選手。メジャーリーグの歴史を語る上で、欠かすことのできない人物の一人である。1914年にボストン・レッドソックスでデビューを果たすと投手、野手の二刀流で活躍。1920年から1934年まではニューヨーク・ヤンキースで、1935年はボストン・ブレーブス(現アトランタ・ブレーブス)でプレーした歴史的な名選手だ。通算本塁打714本はハンク・アーロン選手に塗り替えられるまで世界記録でもあった。

ベーブ・ルース選手がメジャーリーグ入りした当時は背番号はなかった。背番号を初めて導入したのは現役も終盤に近づいた1929年に所属していたニューヨーク・ヤンキースだ。ヤンキースは観客が遠くからでも選手を判別できるように背番号を導入した。当時は打順がそのまま背番号として振られており、ベーブ・ルース選手は3番を打っていったことから背番号「3」となった。

ベーブ・ルース選手が1935年に現役を引退後、1948年に永久欠番として定められた。これはメジャーリーグ史上3番目であり、ヤンキースではルー・ゲーリッグ選手に次ぐ2番目だった。

また、デレク・ジーター選手の背番号「2」が永久欠番となったことで、ヤンキースは背番号「1」から「10」までが全て永久欠番となっている。

「鉄人」こと衣笠祥雄選手

山本浩二選手とともに「赤ヘル軍団」を支え、当時の世界記録となる2215試合連続出場を達成した衣笠祥雄選手。ケガをしても試合に出続けたことから「鉄人」と呼ばれた。連続試合出場記録のインパクトがあまりにも大きいため打撃面に焦点が当たることが少ないが、名球会入りの条件でもある2000本安打だけでなく、歴代7位の通算504本塁打を放っており、打点王(1984年)、盗塁王(1976年)のタイトルも獲得している。

衣笠選手の打撃面が取り上げられない理由のひとつに、主砲として同時期に活躍した「ミスター赤ヘル」こと山本浩二選手の存在が挙げられる。「法政三羽烏」として注目された山本選手は広島入団当初から活躍し、首位打者1回(1975年)、本塁打王4回(1978年、1980年、1981年、1983年)、打点王3回(1971年、1980年、1981年)と打撃タイトルを多数獲得。通算536本塁打は大卒出身では史上最多と輝かしい実績を残した。

球団は衣笠選手の偉大な記録を称え、背番号「3」を永久欠番に制定。広島では山本選手の「8」と黒田博樹投手の「15」も永久欠番となっている。

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