2023年現役選手の背番号「2」
高校野球においてはレギュラー捕手の番号となる背番号「2」。プロでも香川伸行(元南海)、城島健司(元ダイエー他)ら鳴り物入りで入団した捕手が着用していた。その一方で、荒木雅博(元中日)や現在DeNAの4番を務める牧秀悟など、内野手が着用するイメージの強い番号でもある。
では、現在の背番号「2」はどのような選手が着用しているのだろうか。2023年の背番号「2」は下記の通り。
オリックス:若月健矢捕手
ソフトバンク:スチュワート・ジュニア投手
西武:岡田雅利捕手
楽天:太田光捕手
ロッテ:松川虎生捕手
日本ハム:アリエル・マルティネス捕手
ヤクルト:不在
DeNA:牧秀悟内野手
阪神:梅野隆太郎捕手
巨人:吉川尚輝内野手
広島:田中広輔内野手
中日:田中幹也内野手
不在:1球団
永久欠番:0球団
投手:1球団
捕手:6球団
内野手:4球団
外野手:0球団
捕手が6球団で最多、内野手が続いて4球団とイメージ通りの結果となった。2023年に変更があったのは3球団。中日では石川昂弥からドラフト6位ルーキーの田中幹也へ継承。日本ハムは2016年から7年間付けていた杉谷拳士が引退し、新外国人捕手のアリエル・マルティネスが着用する。ヤクルトは2022年に背負っていたパトリック・キブレハンが退団したため、空き番となっている。
伝統的に内野手の番号となっている球団も多い。巨人はかつて広岡達朗や元木大介らが着用しており、2022年からは吉川尚輝が背負っている。広島も古くは高橋慶彦(元広島他)や東出輝裕など名内野手が背負っていた番号で、現在も球団初のリーグ3連覇に大きく貢献した田中広輔が着用している。
その一方で、ここ数年は捕手が新たに着用するケースが目立つ。2020年に西武・岡田雅利が、2021年には阪神・梅野隆太郎、オリックス・若月健矢、ヤクルト・中村悠平(※)が背番号「2」へと変更。さらに、楽天の2018年ドラフト2位・太田光、ロッテの2021ドラフト1位・松川虎生の期待の正捕手候補たちには、いきなり背番号「2」が与えられている。
プロ野球における捕手の背番号と言えば、「27」のイメージが強いが、将来的には背番号「2」が捕手の代名詞となる日も近いかもしれない。
次章以降では、背番号「2」を背負った歴代のスタープレーヤーを紹介していく。
※ヤクルト・中村は2022年から準永久欠番となっていた「27」に変更となったため、現在は空き番となっている。
・「準永久欠番」が復活 プロ野球における背番号27の選手たち
「ドカベン」の愛称で親しまれた香川伸行
浪商時代に牛島和彦投手(元横浜監督)とのバッテリーで1979年春のセンバツで準優勝。夏の甲子園では3試合連続本塁打と一世を風靡した香川伸行。愛くるしい笑顔と100キロは超えているであろう体型から、人気漫画にあやかり「ドカベン」の愛称で親しまれた。
同年、ドラフト2位で南海ホークス(現福岡ソフトバンクホークス)へ入団。高校時代と同様、入団後に付けた背番号も「2」だった。
プロ入り後は故障もあり派手な活躍はできなかったが、10年間プレーして78本塁打を放っており、記録よりも記憶に残る選手だった。現役引退後はマスターズリーグにも参加していたが、2014年に52歳という若さで亡くなっている。
メジャーでも背番号「2」を背負った城島健司
別府大付(現明豊)時代から強打の捕手として知られていた城島健司。高校3年時には駒大進学を表明していたものの、福岡ダイエーホークスが1994年のドラフト会議で強行指名。アマチュア球界との軋轢が生じることも、根本陸夫氏らダイエー球団幹部は恐れなかった。結局、城島は大学進学せずにダイエーに入団。香川が背負っていた背番号「2」を与えられ、大きな期待をかけられた。
城島はプロ入り3年目にレギュラーを獲得すると、攻守両面で活躍。2005年まで11年間ダイエーでプレーし、FAでシアトル・マリナーズへ移籍した。マリナーズでも背番号「2」を着用し、イチローとともにプレー。2009年オフには日本球界へと戻り、入団した阪神でもやはり背番号「2」を着用した。2012年に現役引退するまで、一貫して背番号「2」を付けた。
また、城島は日本代表としても2006年、2009年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)に出場している。2006年は小笠原道大に譲ったものの、2009年は背番号「2」を着用していた。
現役引退後は指導者としてユニフォームを着ていないが、仮に復帰したときは何番を背負うのだろうか。
“ザ・キャプテン” デレク・ジーター
2014年にニューヨーク・ヤンキースで現役を引退したデレク・ジーター。「ザ・キャプテン」と呼ばれ1995年にメジャーデビューを果たして以降、20年間に渡りヤンキース、そしてメジャーリーグを牽引してきた。アメリカ球界を代表する選手の一人だ。
そのジーターが入団以来、一貫して背負っていたのが背番号「2」。1995年のヤンキースにおいて一ケタの背番号は「2」と「6」しか残っておらず、その他の番号は全て永久欠番となっていた。
1996年に遊撃手でレギュラーを獲得し新人王を受賞。オールスター出場14回、ワールドシリーズ制覇5回と数々の栄光を掴んだ。2000年にはオールスター、ワールドシリーズ両方でMVPを獲得。同一年度においては初めての快挙だった。
ヤンキースタジアム最後の試合では、サヨナラヒットを放つなど常にスター性を持ち合わせていたジーター。現役引退から2年後に背番号「2」は永久欠番となった。これで、ヤンキースは「1」から「9」までの一ケタが全て埋まったことになる(※背番号「6」はジョー・トーリ監督が着用し、2014年に永久欠番となった)。
日本では背番号「2」が永久欠番の球団はない。期待度の高い選手がつけることの多い番号のため、いずれ永久欠番になるようなスター選手が生まれてくることを期待したい。
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