プロ野球で背番号2を背負った名選手たち|【SPAIA】スパイア

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プロ野球で背番号2を背負った名選手たち


2017年現役選手の背番号「2」

歴代の背番号「2」を確認する前に、2017年シーズンの背番号「2」を確認すると、各球団の背番号「2」は下記の選手が背負っている。

日本ハム:杉谷拳士選手(内野手)
ソフトバンク:今宮健太選手(内野手)
ロッテ:根元俊一選手(内野手)
西武:金子侑司選手(外野手)
楽天:吉持亮汰選手(内野手)
オリックス:欠番
広島:田中広輔選手(内野手)
巨人:陽岱鋼選手(外野手)
DeNA:ホセ・ロペス選手(内野手)
阪神:北條史也選手(内野手)
ヤクルト:大引啓次選手(内野手)
中日:荒木雅博選手(内野手)

不在:1球団
永久欠番:0球団
投手:0球団
捕手:0球団
内野手:9球団
外野手:2球団

12球団中、9球団の背番号「2」は内野手が着用している。内野手の中でも二遊間の選手が多いが、横浜DeNAベイスターズのロペス選手は一塁がメインポジションだ。また、外野手である陽岱鋼選手は、北海道日本ハムファイターズ時代は2013年から「1」を背負っていた。しかし、読売ジャイアンツの背番号「1」は王貞治選手の永久欠番ということもあり、FA移籍と同時に「2」へと変更した。

オリックス・バファローズは2016年シーズンまで原拓也内野手が背負っていたが現役引退。2017年シーズンは1998年シーズン以来の欠番となっている。

内野手のイメージが強い背番号「2」

2017年現在の背番号「2」の選手といえば、通算2000本安打を達成した荒木雅博選手(中日)、広島を牽引する田中広輔選手(広島)、大引啓次選手(ヤクルト)らの内野手だ。外野手では陽岱鋼選手(巨人)、金子侑司選手(西武)のふたりのみ。背番号「2」でもロペス選手(DeNA)ら強打者は存在しているが、巧打の内野手に渡される可能性もある。

歴代の選手を見渡してみても、広岡達朗選手(元巨人)、元木大介選手(元巨人)、高橋慶彦選手(元広島他)など巧打の内野手が多くつけていた。近年では小笠原道大選手(元中日他)が強打の選手も着用しているが少数派だ。

高校野球において背番号「2」はレギュラー捕手ということが多いために、この番号を捕手が背負うことも多い。香川伸行選手(元ダイエー)、城島健司選手(元阪神他)らがこのパターンだ。

「ドカベン」の愛称で人気!香川伸行選手

浪商高校時代に、牛島和彦選手(元横浜監督)とのバッテリーで1979年春のセンバツ甲子園で準優勝。夏の甲子園では、3試合連続本塁打と一世を風靡した香川伸行選手。愛くるしい笑顔と100キロは超えているであろう体型から、人気漫画にあやかり「ドカベン」の愛称で親しまれた。

同年、ドラフト2位で南海ホークス(現福岡ソフトバンクホークス)へ入団する。高校時代はポジションが捕手だったこともあり、背番号「2」で甲子園へ出場していた香川選手。入団後に与えられた背番号も「2」であった。

プロ入り後は故障もあり大きな活躍をすることはできなかったが、10年間プレーし78本塁打を放っており、記録よりも記憶に残る選手だった。

現役引退後はマスターズリーグへも参加していたが、残念ながら2014年に52歳という若さで亡くなっている。

メジャーでも背番号「2」を!城島健司選手

別府大附属高校時代から強打の捕手として名が知られていた城島健司選手。高校3年時には駒澤大学進学を表明していたものの、福岡ダイエーホークスが1994年のドラフト会議で強行指名。アマチュア球界との軋轢が生じることも、根本陸夫氏らダイエー球団幹部は恐れなかった。結局、城島選手は大学進学はせずにダイエーへと入団を果たしている。入団後は香川伸行選手が背負っていた背番号「2」を与えられるなど期待をかけられた。

城島選手はプロ入り後3年目にレギュラーを獲得すると、強打の捕手として活躍。2005年まで11年間をダイエーでプレーし、海外FA制度でシアトル・マリナーズへと移籍を果たした。移籍先のマリナーズでも背番号「2」を着用し、イチロー選手(現マーリンズ)とともにプレーしている。2009年オフには日本球界へと戻り、阪神へ入団するが、その際もやはり背番号「2」を着用した。
2012年に現役を引退しているが、現役時代に一貫して背番号「2」を背負い続けたのだ。
また城島選手は、日本代表としても2006年、2009年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)に出場いている。2009年は背番号「2」を着用したものの、2006年は小笠原道大選手(現中日二軍監督)に譲っていた。

現役引退後に、指導者としてユニフォームを着たことがない城島選手だが、仮に復帰したときは何番を背負うのだろうか。公式戦においては背番号「2」しか着用していない城島選手の背番号に注目だ。

ザ・キャプテンことデレク・ジーター選手

2014年にニューヨーク・ヤンキースで現役を引退したデレク・ジーター選手。「ザ・キャプテン」と呼ばれ1995年にメジャーデビューを果たして以降、20年間に渡りヤンキース、そしてメジャーリーグを牽引してきた。日本で例えると読売ジャイアンツに所属していた長嶋茂雄選手のような印象だ。

そのジーター選手が入団以来、一貫して背負っていたのが背番号「2」だ。1995年のヤンキースにおいて一ケタの背番号は「2」、「6」しか残っておらず、その他の番号は全て永久欠番となっていた。その数少ない番号を与えられたのだ。

1996年に遊撃手でレギュラーを獲得し新人王を受賞。打撃タイトルの獲得はないものの、オールスター出場14回、ワールドシリーズ制覇5回と多くの栄光を掴んできた。2000年にはオールスター、ワールドシリーズ双方でMVPを獲得。同一年度においては初めての快挙となっている。

ヤンキースタジアム最後の試合では、サヨナラ安打を放つなど常にスター生を持ち合わせていたジーター選手。現役引退から2年後に背番号「2」は永久欠番となった。これで、ヤンキースは「1」から「9」までの一ケタが全て埋まったことになる。(※ジーター選手入団当時に永久欠番となっていなかった背番号「6」はジョー・トーリ監督が着用し2014年に永久欠番となった)

2016年終了時点に背番号「2」で永久欠番の選手は存在しない。期待度の高い選手がつけることも多いこの番号から、永久欠番になるようなスター選手が生まれてくることを期待したい。

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