生え抜き30発は1985年の掛布雅之と岡田彰布が最後
2024年の阪神タイガースに“アレンパ”とともに期待されるのが生え抜き選手の30本塁打ではないだろうか。なにしろ1985年の掛布雅之(40本)と岡田彰布(35本)以降、誰一人としてクリアしていないのだ。
昨年、強力投手陣を擁して38年ぶり日本一に輝いたが、前回日本一の1985年は「第2次ダイナマイト打線」と呼ばれた強力打線が売りだった。打率.350、54本塁打、134打点で三冠王に輝いたランディ・バース、「ミスタータイガース」掛布雅之、現監督・岡田彰布のクリーンアップを筆頭に、真弓明信も34本塁打、佐野仙好と木戸克彦も13本塁打を放つなど、チーム本塁打は219本を数えた。
しかし、掛布の引退やバースの退団もあって「第2次ダイナマイト打線」は長く続かず、1992年にラッキーゾーンが撤去されると本塁打数は減少。生え抜きで30本の大台に乗せた選手は皆無だ。1985年以降、年度別の生え抜き最多とチーム最多は以下の通りとなっている。
八木裕、新庄剛志、桧山進次郎らが引っ張った1990年代
1980年代後半は現監督の岡田彰布が打線を引っ張った。1989年に38本塁打を放ったセシル・フィルダーは翌年、メジャーに復帰して本塁打王に輝いている。
1990年代に台頭したのが八木裕。後に「代打の神様」と呼ばれた勝負強さは頼もしく、美しい放物線を描くホームランアーチストでもあった。1992年には一度は本塁打と判定されながら覆った「幻の本塁打」もあり、ヤクルトとの優勝争いに敗れた。
その1992年に一躍スターダムを駆け上がったのが現日本ハム監督の新庄剛志。翌1993年には23本、1994年には17本、2000年には28本を打ってメジャーに移籍した。
「暗黒時代」と呼ばれた1990年代後半の低迷期を支えたのが桧山進次郎。1996、1997年には2年連続チーム最多本塁打をマークしている。
2001年には野村克也監督が「変化球打ちの天才」と絶賛した濱中治が13本塁打。翌2002年も18本塁打を放ち、生え抜きでは最多だった。
今岡誠は2005年に29本、鳥谷敬は8年連続で生え抜き最多
星野仙一監督の下、18年ぶりのリーグ優勝を果たした2003年は、生え抜きでは桧山進次郎の16本が最多。ジョージ・アリアスが38本塁打を放った。
1985年以降、生え抜きで最多の29本塁打を放ったのが2005年の今岡誠(現真訪打撃コーチ)だ。2003年の首位打者は、この年147打点で打点王に輝く大活躍だった。
2008年以降は8年連続で鳥谷敬が生え抜き最多本塁打をマーク。長距離砲ではなく、甲子園で浜風の抵抗を受ける左打者にもかかわらずこの成績は立派の一語だろう。
2018年からは大山悠輔が3年連続で生え抜き最多。2019年以降は5年連続で佐藤輝明と2人でチーム最多本塁打を分け合っている。
生え抜きスラッガー2人が育ってきた阪神打線。昨年ルーキーながら10本塁打を放った森下翔太も含め、機は熟したと言えないか。39年ぶりの生え抜き30発は大山か、佐藤か、森下か。甲子園の夜空に描く豪快なアーチが楽しみだ。
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