304本塁打の池山隆寛がトップ
ヤクルトの村上宗隆は2024年シーズン、33本塁打、86打点で二冠に輝いた。九州学院高から入団7年で通算224本塁打。MLBの「25歳ルール」をクリアする2025年オフにメジャー挑戦と報じられており、来季ヤクルトでどこまで本塁打数を伸ばすか楽しみだ。
ヤクルトの球団史上最多本塁打は池山隆寛がマークした304本。豪快なスイングで「ブンブン丸」と呼ばれ、1990年代のヤクルト黄金時代を支えた。
球団の歴代本塁打ランキングは以下の通りとなっている。
ヤクルトの村上宗隆は2024年シーズン、33本塁打、86打点で二冠に輝いた。九州学院高から入団7年で通算224本塁打。MLBの「25歳ルール」をクリアする2025年オフにメジャー挑戦と報じられており、来季ヤクルトでどこまで本塁打数を伸ばすか楽しみだ。
ヤクルトの球団史上最多本塁打は池山隆寛がマークした304本。豪快なスイングで「ブンブン丸」と呼ばれ、1990年代のヤクルト黄金時代を支えた。
球団の歴代本塁打ランキングは以下の通りとなっている。
山田哲人は2024年に14本塁打を放ち、通算299本塁打。ウラディミール・バレンティンを抜いて球団歴代2位に浮上した。履正社高からドラフト1位で入団して、トリプルスリーを3度達成するなど、チームの主力として14年。2025年早々にも王手をかけている300号、さらに池山の球団記録更新が期待される。
先述のバレンティンは288本塁打で3位。2013年にNPB新記録の60本塁打を放つなど本塁打王に3度輝いた。2020年からソフトバンクに移籍し、NPB通算301本塁打。一時代を築いた名助っ人だった。
4位は228本塁打の広沢克己。明治大のスラッガーとしてロサンゼルス五輪の金メダルを手土産にプロ入りし、2度の打点王に輝くなど池山と「イケトラコンビ」として活躍した。1995年からFAで巨人に移籍し、2000年から阪神でプレー。巨人と阪神で4番を務めた唯一の打者として通算306本塁打の成績を残した。
5位は杉浦享の224本塁打。左の強打者として1970年代後半から1980年代に活躍し、打球速度の速さは折り紙付きだった。40歳だった1992年の日本シリーズ第1戦では、延長12回裏1死満塁で代打として打席に立ち、西武・鹿取義隆から弾丸ライナーの代打サヨナラ満塁弾。引退を撤回して翌年も現役を続けた逸話が残っている。
そのレジェンドに並んだのが村上宗隆だ。2022年には打率.318、56本塁打、134打点で三冠王。2025年中の歴代4位浮上は確実だろう。
7位は「ミスタースワローズ」と呼ばれた若松勉。身長168センチと小柄ながら通算2173安打、220本塁打、884打点の成績を残した。引退後は監督も務め、2001年に優勝している。
8位は217本塁打の古田敦也。野村克也監督に捕手としての教育を受け、攻守にわたってヤクルト黄金時代を引っ張った。大卒、社会人出身として史上初の2000安打を達成し、2006年から2シーズン、選手兼任監督を務めた。
9位は211本塁打のアレックス・ラミレス。2001年に来日して7シーズン、ヤクルトでプレーし、2003年には40本塁打、124打点で二冠王に輝いた。その後、巨人、DeNAでもプレーし、NPB通算2017安打、380本塁打をマーク。引退後はDeNAの監督を務めた。
10位は大杉勝男で199本塁打。プロキャリアは東映でスタートし、本塁打王と打点王を2度獲得した。1975年に内田順三と小田義人との交換トレードでヤクルトに移籍すると、史上初の両リーグ1000安打を達成。プロ通算2228安打、486本塁打をマークした。
11位以下は192本の岩村明憲、181本のデーブ・ロバーツ、160本のロベルト・ペタジーニ、150本の佐藤孝夫、145本の青木宣親と続く。
ヤクルトは自由なチームカラーもあって豪快なフルスイングでファンを魅了する強打者が多い。その系譜を受け継ぐ村上宗隆はどこまで数字を伸ばすだろうか。希代のスラッガーが神宮で描くアーチの1本1本をまぶたに焼き付けていきたい。
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