304本塁打の池山隆寛がトップ
ヤクルトの村上宗隆は2022年シーズン、打率.318、56本塁打、134打点で史上最年少の三冠王に輝いた。8月26日のDeNA戦で放った通算150号は、1990年に清原和博(当時西武)が記録した22歳11カ月を更新し、22歳6カ月の史上最年少記録。若きスラッガーは今後も次々に最年少記録を塗り替えていくだろう。
九州学院高から入団1年目の2018年は6試合しか出場(1本塁打)しておらず、実質2019年から4シーズンで通算160本のアーチを架けてきた。今後どこまで数字を伸ばすか楽しみは尽きない。
ヤクルトの球団史上最多本塁打は池山隆寛がマークした304本。豪快なスイングで「ブンブン丸」と呼ばれ、1990年代のヤクルト黄金時代を支えた。
球団の歴代本塁打ランキングは以下の通りとなっている。

2位は288本塁打のウラディミール・バレンティン。2013年にNPB新記録の60本塁打を放つなど本塁打王に3度輝いた。2020年からソフトバンクに移籍し、NPB通算301本塁打。一時代を築いた名助っ人だった。
3位はベスト10で唯一の現役、山田哲人で271本塁打。履正社高からドラフト1位で入団して、トリプルスリーを3度達成するなど、チームの主力として活躍している。2023年中に300号到達、さらに球団記録更新も不可能ではないだろう。
広沢克己228本、杉浦享224本、若松勉220本
4位は228本塁打の広沢克己。明治大のスラッガーとしてロサンゼルス五輪で金メダルを手土産にプロ入りし、2度の打点王に輝くなど池山と「イケトラコンビ」として活躍した。1995年からFAで巨人に移籍し、2000年から阪神でプレー。巨人と阪神で4番を務めた唯一の打者として通算306本塁打の成績を残した。
5位は杉浦享の224本塁打。左の強打者として1970年代後半から1980年代に活躍し、通算1782試合出場、打率.284、753打点をマークした。
6位は「ミスタースワローズ」と呼ばれた若松勉。身長168センチと小柄ながら通算2173安打、220本塁打、884打点の成績を残した。引退後は監督も務め、2001年に優勝している。
7位は217本塁打の古田敦也。野村克也監督に捕手としての教育を受け、攻守にわたってヤクルト黄金時代を引っ張った。大卒、社会人出身として史上初の2000安打を達成し、2006年から2シーズン、選手兼任監督を務めた。
ぺタジーニは4年で160発
8位は211本塁打のアレックス・ラミレス。2001年に来日して7シーズン、ヤクルトでプレーし、2003年には40本塁打、124打点で二冠王に輝いた。その後、巨人、DeNAでもプレーし、NPB通算2017安打、380本塁打をマーク。引退後はDeNAの監督を務めた。
9位は大杉勝男で199本塁打。プロキャリアは東映でスタートし、本塁打王と打点王を2度獲得した。1975年に内田順三と小田義人との交換トレードでヤクルトに移籍すると、史上初の両リーグ1000安打を達成。プロ通算2228安打、486本塁打をマークした。
10位は192本塁打の岩村明憲。宇和島東高からドラフト2位で入団し、2007年からメジャー挑戦した。デビルレイズなどで4年間プレーした後、日本球界に復帰。2011年から楽天、2013年からヤクルトに復帰し、2014年に引退した。NPB通算193本塁打のうち、1本だけ楽天で記録している。
11位はデーブ・ロバーツ。1967年に来日してサンケイに入団し、1968年には40本塁打94打点をマークするなど6年半で181本塁打を放った。1973年のシーズン中に近鉄に移籍した。
村上と12位で並ぶのがロベルト・ぺタジーニだ。1999年と2001年に本塁打王に輝くなど4シーズンで160本塁打をマーク。その後、巨人、ソフトバンクでもプレーし、NPB通算233本塁打を放った。
村上は順調なら2023年中に200号を放ち、トップ10入りするだろう。ヤクルトでプレーを続ければ球団記録更新は間違いなさそうだが、メジャーからも熱視線を注がれているだけにいつまで神宮で豪快な放物線を描くか分からない。希代のスラッガーが描くアーチの1本1本をまぶたに焼き付けておきたい。
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