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長嶋茂雄も情熱燃やした三塁打、減少に歯止めかけるエキサイティングな選手の登場期待

2022 2/16 11:00広尾晃
長嶋茂雄,Ⓒゲッティイメージズ
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Ⓒゲッティイメージズ

打力だけではない三塁打の魅力

三塁打は、長打の一つとされる。しかし長打力がある打者が多いとは言い切れない側面を持っている。インフィールドに飛んだ最も当たりの良い打球は、普通、二塁打になる。打球が速すぎるため打者走者が三塁に進むことは難しくなるのだ。

三塁打はフェンス際など外野手が捕球しづらい場所に打球が飛んだり、前進した外野手の頭上を越すなど守備側の状況が絡んで記録されることが多い。さらに左打者の方が多くなる傾向もある。

また、ランニングホームランを別にすれば、最も長い距離を走ることになるので、俊足の打者が多い傾向がある。セイバーメトリクスの俊足打者の指標であるSpdでも、三塁打は盗塁とともに計算式に組み込まれている。ただ、盗塁が多い俊足の打者は三塁打も多いと単純に断定することはできない。

三塁打数歴代10傑,ⒸSPAIA


上の表は通算三塁打数のトップ10をまとめたものだ。1位は福本豊。NPB史上最多盗塁を誇り、一時はMLBの通算記録も抜いた「世界の盗塁王」ではある。シーズン最多三塁打の回数も8回と最多。福本豊の記録だけを見ると「三塁打が多い打者=盗塁が多い打者」という図式が成り立ちそうに思えるが、2位以下の顔ぶれは少し異なる。

2位の毒島章一は東映フライヤーズで18年にわたって活躍した名外野手。190盗塁と俊足ではあるが、盗塁王のタイトルはない。3位の金田正泰は戦前から阪神(大阪)で活躍した外野手で、引退後は阪神監督も務めた。187盗塁とこちらも俊足打者ではあるが、盗塁王のタイトルはとっていない。そして4位には「打撃の神様」と言われた川上哲治が入っている。川上も盗塁数は220を数えているが、盗塁王のタイトルはとっていない。

確かに俊足打者が上位に並ぶが、盗塁数と三塁打数が正比例するのであれば、上位3傑には、福本に次いで歴代盗塁数2位の広瀬叔功、3位には歴代盗塁数3位の柴田勲(579盗塁)が続くはずだ。しかし広瀬は三塁打数は88で5位、柴田は62で22位タイだ。盗塁数が広瀬、柴田よりはるかに少ない打者が2位から4位を占めている。これは何を意味しているのだろうか。

数々の三塁打記録を打ち立てた蔭山和夫

通算50三塁打以上を記録した打者は48人いるが、三塁打数が全安打数に占める比率の上位5傑は以下のようになる。

50三塁打以上の打者の安打数に占める三塁打比率5傑,ⒸSPAIA


1位は蔭山和夫。南海の「100万ドルの内野陣」の三塁手であり、引退後は南海ホークスの監督に内定したが直後に急死した悲劇の野球人だ。蔭山は早稲田大から南海に入団した1950年に当時のプロ野球記録の15三塁打。そして新人から3年連続で最多三塁打を記録。1951年9月28日から29日にかけては、NPBタイ記録の3打席連続三塁打も記録。三塁打を打つことにこだわりを持っていたのだ。

2位の金田正泰は通算三塁打数でも3位。1951年に蔭山のシーズン三塁打記録を更新する18三塁打を記録。これが今もシーズン記録だ。ダイナマイト打線のリードオフマンとして活躍した。

金田は34歳になる1954年に10三塁打を記録したが、これは史上最高齢での二けた三塁打だ。金田も三塁打を打つことに執念を燃やした。最近では、小坂誠がロッテ時代に4回も最多三塁打を記録している。守備の名手として知られた小坂だが、積極走塁で三塁を奪っていたのだ。

三塁打を打つためには俊足が大前提なのは間違いないが、それとともに「二塁で自重するか」「三塁を陥れるか」という際に、打者走者の「積極性」が大きく作用するのではないかと思われる。

三塁打に情熱を燃やした長嶋茂雄

近年、三塁打は減少傾向にある。1950年には、セ・パ両リーグ973試合で553本の三塁打が出た。1試合当たり0.57本だったが2021年には両リーグ858試合で235本、1試合当たり0.27本と半減している。

プロ野球の球場は1988年の東京ドーム開場以降、大型化した。その影響で外野手が守るエリアは広がったため、本来ならば三塁打数も増加するはずだが、実際には減少している。これはなぜなのだろうか。連携など外野守備のレベルが上がっているのは一因ではあろうが、同時に近年は、二塁に到達した打者走者が自重することが多いのではないかと考えられる。

これは打者走者の判断というより、三塁コーチが「ストップ」をかけることが多くなっているのではないかと思われる。三塁を欲張ってアウトになれば、チャンスは一瞬で消えてしまう。それよりも二塁を確保する選択をすることが多くなったのではないか。しかしながらMLBでは「野球のプレーの中で三塁打は一番面白い」という言葉もある。送球と競争しながら三塁に滑り込むのは、スリリングでエキサイトするプレーなのだ。

かつてのスーパースターの中にも「三塁打」を打つことに情熱を燃やした選手がいる。ミスタージャイアンツ長嶋茂雄は、1960年5月8日から14日まで「4試合連続三塁打」を記録。これはNPB記録で、長嶋ただ一人しか記録していない。若いころは俊足だった長嶋は、次の塁を奪うことに積極的だった。それがファンを喜ばせることを知っていたのだ。

またミスタータイガース藤村冨美男は、30歳の1946年に12三塁打、32歳の1948年に10三塁打と、30歳を過ぎて2回も二けた三塁打を記録している。藤村もお客が喜ぶとみればベテランになってからも次の塁を陥れたのだ。

安全策を取って二塁で自重するのは理解できる。だが、足に自信があり、チャレンジ精神のある選手は、三塁打をもっと積極的に狙ってほしいものだ。

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