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阪神の通算本塁打ランキング、佐藤輝明は「ミスタータイガース」になれるか

2022 10/20 06:00SPAIA編集部
阪神の佐藤輝明,ⒸSPAIA
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ⒸSPAIA

通算349本塁打の掛布雅之がトップ

1年目に大型ルーキーとして24本塁打を放った阪神の佐藤輝明は、2年目の2022年シーズンは打率.264、20本塁打、84打点だった。本塁打数が減ったとはいえ、新人から2年連続20本塁打は牧秀悟(DeNA)以来10人目。球団では田淵幸一以来2人目で、ここまでは順調にプロ生活を歩んでいると言えるだろう。

ただ、1985年の掛布雅之(40本)、岡田彰布(35本)以来、生え抜きで30本塁打をマークした選手が出ていない阪神において、こじんまりとまとまってほしくない。兵庫県西宮市出身で、仁川学院高から近畿大と地元ひと筋に歩んできた佐藤は、掛布雅之の引退以来空位となっている「ミスタータイガース」の称号を与えられるような、記憶にも記録にも残る大打者への成長が期待される。少なくとも、そうなるだけのスケールの大きさはすでに持ち合わせている。

阪神の歴代打者で最も本塁打を放ったのは、その掛布雅之で349本塁打。習志野高からテストを経てドラフト6位で入団し、血の滲むような努力を重ねて本塁打王に3度、打点王に1度輝いた。

現役生活のクライマックスが1985年。ランディ・バース、岡田彰布と組んだクリーンアップは強力で、伝説の「バックスクリーン3連発」など印象的なシーンを何度も残して21年ぶりのリーグ優勝、初の日本一に貢献した。

ただ、故障もあってそのわずか3年後の1988年に33歳の若さで引退。今でも甲子園で背番号31のユニフォームを着て応援するファンがいるのは、それだけ多くの夢を与えてきた証拠だ。まさしく「ミスタータイガース」の名にふさわしい大打者だった。

田淵幸一はプロ通算474本塁打、真弓明信、岡田彰布が続く

阪神球団史上の通算本塁打ベスト10は以下の通りとなっている。

阪神の通算本塁打ランキング


2位は法政大から鳴り物入りでプロ入りし、通算320本塁打を放った田淵幸一。掛布の前の「ミスタータイガース」と称され、1975年には13年連続本塁打王を継続していた王貞治(巨人)を上回る43本塁打を放って初のキングに輝いた。

1978年オフに突然の交換トレードで西武に移籍。その後1984年まで現役を続け、プロ通算では474本塁打をマークしている。

3位は真弓明信の277本塁打。クラウンライターに所属していた1978年オフに田淵幸一、古沢憲司との2対4のトレードで若菜嘉晴、竹之内雅史、竹田和史とともに阪神に移籍し、1983年には打率.353で首位打者に輝いた。1985年には打率.322、34本塁打、84打点をマークして優勝に貢献。プロ通算292本塁打だから、本塁打の大半は阪神時代に放ったものだ。

4位は2度目の監督に就任した岡田彰布の245本塁打。早稲田大のスラッガーとしてドラフトで6球団競合の末に阪神入りし、1年目に18本塁打を放って新人王に輝いた。1985年には打率.342、35本塁打、101打点の好成績で優勝に貢献。監督として、佐藤や大山悠輔をさらにスケールの大きな打者に育成することは大きなテーマだろう。

「鉄人」金本知憲、初代「ミスタータイガース」藤村富美男、2000安打の藤田平

2003年にFAで阪神入りした金本知憲は2012年に引退するまで通算232本塁打を放った。広島時代はトリプルスリーを達成するなど俊足強打の左打者だったが、阪神移籍後はパワーアップ。2005年には40本塁打、125打点をマークして優勝に貢献するなど、スラッガーとしての色合いを強めた。

1492試合連続フルイニング出場の世界記録も達成。広島時代は244本塁打を放っており、プロ通算476本塁打はNPBのみで歴代10位となっている。

「もの干し竿」と呼ばれた長いバットを駆使して、初代「ミスタータイガース」の異名を取った藤村富美男は224本塁打を放った。戦争を挟んで現役を続け、選手兼任監督や一度引退してから現役に復帰するなど1958年までユニフォームを着続けた。

7位は207本塁打の藤田平。市和歌山商高からドラフト2位で入団し、1981年に打率.358で首位打者に輝くなど、生え抜きとして球団初の2000安打を達成した。

「神様、仏様」バース、「代打の神様」桧山進次郎、「ビッグボス」新庄剛志

「神様、仏様、バース様」と崇められたランディ・バースは8位の202本塁打。優勝した1985年から2年連続三冠王に輝くなど、わずか5シーズンで200本も放った。34歳だった1988年シーズン中に退団したのが惜しまれる。

9位は桧山進次郎の159本塁打。東洋大時代に東都通算13本塁打をマークしたパンチ力で頭角を現し、1996年から2年連続20本塁打以上を放った。2003年と2005年のリーグ優勝にも主軸として貢献。現役晩年は「代打の神様」と呼ばれるなど、阪神ひと筋に活躍した。

10位は日本ハムの監督就任以来、話題を集めている新庄剛志。西日本短大付高からドラフト5位で入団し、1992年に11本塁打を放って亀山努とともに大ブレイクした。FAでメッツに移籍する前年の2000年まで実働10年で145本。日米通算では225本塁打をマークした。

ちなみに右の大砲・大山悠輔は通算104本塁打。2人がしのぎを削り、互いにレベルアップすれば、阪神の未来は明るいはずだ。

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