歴代1位は若林忠志、2位は村山実
阪神タイガースは巨人に次いで日本で2番目に歴史のある球団で、2025年に球団創設90周年を迎える。その長い歴史上で通算200勝をマークした投手は2人しかいない。
現役では通算61勝の青柳晃洋が最多。川崎工科高から帝京大を経て2015年ドラフト5位で入団し、2021、22年に2年連続最多勝に輝いたサイドスローだ。2024年は2勝に終わったが、藤川球児新監督に代わる2025年は捲土重来を期す。
90年間にわたり、数多くの名投手が紡いできたタテジマの系譜。阪神在籍時の通算勝利数ランキングを紹介しよう。
歴代1位は戦前から戦後にかけて活躍した若林忠志の233勝。監督兼任だった1944年には戦争の真っ只中だったため35試合しか行われなかったが、そのうち31試合に登板して22勝を挙げた。最多勝、最優秀防御率、最高勝率に輝き、チームを優勝に導いている。1950年の2リーグ分立で毎日に移籍し、通算では237勝を挙げた。
2位は2代目「ミスタータイガース」と呼ばれた村山実の222勝。巨人へのライバル意識をむき出しにする闘志あふれる投球で1965年に25勝、翌1966年に24勝で2年連続最多勝に輝いた。現役晩年に3年間、選手兼任監督を務め、引退後の1988年から2年間、2度目の指揮を執った。
小山正明は176勝、江夏豊は159勝
3位は176勝の小山正明。兵庫・高砂高から1953年に入団すると村山と投手陣の両輪として活躍し、1962年には27勝を挙げてリーグ優勝に貢献した。1963年オフに山内一弘との「世紀のトレード」で大毎に移籍。移籍1年目に30勝を挙げて自身初の最多勝に輝くなど、1973年に引退するまで通算320勝をマークした。
4位は159勝の江夏豊。2年目に25勝で最多勝、現在もNPB記録の401奪三振をマークするなど左腕エースとして活躍したが、1975年オフに江本孟紀、池内豊、長谷川勉、島野育夫との2対4の交換トレードで望月充とともに南海へ移籍した。その後、広島、日本ハム、西武とわたり歩き、通算206勝193セーブの成績を残している。
5位は134勝の渡辺省三。1956年に22勝を挙げるなど6年連続を含む8度の2桁勝利をマークした。引退後はコーチのほか、長らくスカウトも務めた。
6位は初代「ミスタータイガース」と呼ばれた藤村富美男の弟で、133勝を挙げた藤村隆男。1940年に入団し、戦後の2シーズンはパシフィックなどでプレーしたが、1949年に阪神に復帰すると1952年には25勝を挙げた。1957年に移籍した広島で1勝を挙げ、通算では135勝97敗の成績を残している。
7位は131勝の梶岡忠義。1年目の1947年から22勝を挙げ、1948年にはノーヒットノーランを達成するなど26勝をマークした。同い年の藤村隆男とともに活躍し、白星は藤村に2つ及ばなかった。
8位は127勝の御園生崇男。1936年、設立されて間もない大阪タイガースに入団し、戦争を挟んで1951年に引退するまで阪神ひと筋に活躍した。本職は投手だが、打者としても506安打、5本塁打、87盗塁を記録している。
井川慶は13位、藪恵壹は14位
9位は116勝130セーブの山本和行。広島商から亜細亜大を経てドラフト1位で入団し、リリーフとして2度の最優秀救援投手に輝いた。1985年には中西清起とのダブルストッパーとして活躍し、9月にアキレス腱を断裂するまで5勝11セーブを挙げて優勝に貢献した。
10位は104勝の能見篤史。大阪ガスから自由獲得枠で阪神入りし、5度の2桁勝利をマークするなど主に先発として活躍した。2021年から2年間プレーしたオリックスでは2セーブ6ホールドを挙げたものの、白星は阪神時代の104勝がイコールプロ通算勝利数だった。
11位は100勝のジーン・バッキー。1962年に来日し、1964年には29勝で最多勝、1.89で最優秀防御率の2冠を獲得して優勝に貢献した。1969年は近鉄に移籍したが、1勝も挙げられず引退した。
12位は98勝のランディ・メッセンジャー。2010年に来日し、2014年に13勝で最多勝に輝くなど阪神で10年間プレーした。バッキーの持つ球団助っ人最多勝記録に迫っていたが、わずかに及ばずユニフォームを脱いだ。
13位は86勝の井川慶。水戸商からドラフト2位で入団し、力強いストレートを武器に2003年に20勝を挙げて優勝に貢献した。その後、ヤンキース、オリックスと移籍し、日米通算では95勝をマークしている。
14位は84勝の藪恵壹。新宮高、東京経済大、朝日生命を経てドラフト1位で入団し、「暗黒時代」と呼ばれた1990年代後半の阪神を支えた。2004年オフにFA宣言してメジャー挑戦し、MLBでは通算7勝1セーブ10ホールドを挙げている。
15位は83勝の福原忍。広陵高から東洋大を経てドラフト3位で入団し、1年目から10勝を挙げるなど3度の2桁勝利をマークした。2014年、2015年には最優秀中継ぎ投手に輝き、通算29セーブ118ホールドを挙げている。
小林繁と安藤優也は77勝で18位タイ
16位は81勝の上田次朗。東海大時代に首都リーグ通算37勝をマークしてドラフト1位で入団し、1973年に22勝を挙げるなどアンダースローとして活躍した。1980年から2年間は南海でプレーし、プロ通算では92勝を挙げている。
17位は80勝の下柳剛。新日鉄君津からダイエーに入団し、日本ハムを経て2003年に阪神に移籍すると、2005年に15勝を挙げて最多勝に輝いた。2012年に楽天に移籍して引退するまで通算129勝を挙げている。
18位は77勝の小林繁。巨人時代の1977年に沢村賞に輝くなどサイドスローとして活躍していたが、「空白の一日」を突いた江川卓の電撃契約によって交換トレードで阪神に移籍した。タテジマに袖を通して1年目は巨人戦8連勝を含む22勝を挙げて2度目の沢村賞。1983年に引退するまで通算139勝を挙げている。
安藤優也も77勝で18位に並んでいる。トヨタ自動車から自由獲得枠で阪神入りし、3度の2桁勝利をマーク。セットアッパーとしても76ホールドを挙げた。
20位は74勝の古沢憲司。新居浜東高を中退して阪神入りし、16歳でプロ初登板を果たすと、1974年には15勝をマークした。西武、広島とわたり歩いて通算87勝を挙げている。
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