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プロアスリートの収入事情、瀬戸大也のMVP賞金は?自立の覚悟と厳しい現実

2021 10/29 06:00田村崇仁
W杯ドーハ大会でMVPに輝いた瀬戸大也,Ⓒゲッティイメージズ
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Ⓒゲッティイメージズ

商業活動自由も遠征費など自己負担

覚悟のプロ宣言だった。東京五輪でメダルに届かず、2024年パリ五輪に向けて復活を期す競泳男子の瀬戸大也(TEAM DAIYA)が10月23日、肖像権を自身で管理するプロスイマーになった。

競泳界でプロ転向は北島康介、萩野公介(ブリヂストン)、渡辺一平(トヨタ自動車)に続き4人目。日本水連に預けていた肖像権について管理の除外認定を申請して認められたもので、これまでより自由な商業活動が可能となる一方、日本水連から補助を受けていた遠征費などが原則として自己負担となる厳しい現実も伴う。

ただ最近は競泳国際リーグ(ISL)など賞金レースも増加し、世界を転戦してレースを重ねれば賞金を稼げる。10月の短水路(25メートルプール)W杯ドーハ大会では3日間で4冠を達成してMVPに輝き、賞金1万2000ドル(約132万円)を獲得した。

週刊誌報道で昨年発覚した泥沼の不倫問題により、所属先だったANAとの契約を解除され、個人でスポンサーを集めて活動を継続してきた瀬戸は自身のツイッターで「正式に日本水泳連盟に除外認定競技者として認めて頂きました。今まで日本水泳連盟には沢山サポートをしてくださって来たからこそ今の自分がいると思います。感謝しております。プロスイマーとしてパリオリンピックまで一日一日を大切に過ごし、その積み重ねが強化につながると考えています」とコメント。後進のためにも自立したプロスイマーの道を歩み出す。

体操の内村航平はコロナ影響で所属先と契約終了も

体操男子個人総合で五輪2連覇の内村航平は2016年リオデジャネイロ五輪後に日本体操界初のプロ選手に転向した。

外食チェーンのリンガーハットと2021年末までの所属契約を結んだが、新型コロナウイルスの影響による業績悪化のため、2020年12月末で契約が終了するリスクも経験。

2021年3月、自動車販売などを手掛けるジョイカルジャパンと3年間の所属契約を結び、6月には寝具メーカー「エアウィーヴ」とスポンサー契約を結んだが、競技活動で自身の評価を高めるしかない厳しさも伴う。

プロ化の道開いた女子マラソン有森裕子

五輪は長い間「アマチュア」に参加を限り、スポーツで金銭的報酬を得る選手の出場を認めてこなかった。

1974年に国際オリンピック委員会(IOC)は五輪憲章からアマチュアの文言を削除。プロにも徐々に参加の道が開かれ、1992年バルセロナ大会のバスケットボール男子では米プロ、NBAのスターで臨んだ米国代表「ドリームチーム」が頂点に立った。

日本アスリートの「プロ化」へ道を開いたのは1992年バルセロナ五輪で銀メダル、1996年アトランタ五輪で銅メダルを獲得した女子マラソンの有森裕子だった。

1997年、有森は30歳でプロ活動をスタート。当時は日本オリンピック委員会(JOC)や日本陸連の規則に縛られ、選手は自分の写真や映像を使った商業活動ができなかった時代。有森は「生きていくための権利を何で自分が持っていないのか」と訴え、走ることを仕事として自由に講演やテレビCM出演などをできる環境を求めた。

スポーツ界に一石を投じた動きは反響を呼び、JOCや日本陸連は規定を変更。1999年にはノルディックスキー・ジャンプの長野五輪金メダリスト、船木和喜が所属するデサントを退社して独立、自ら企業を設立してその所属選手として選手活動を行う計画を発表した。

2001年にはシドニー五輪女子マラソンで金メダルを獲得した高橋尚子が自由にCM出演などができる事実上のプロとして、日本陸連に選手登録を認められ「プロランナー、Qちゃん」が正式に誕生。

陸連は所属先と陸連の承認を得れば、商業活動が行えるよう競技者規定を改定し、高橋は「プロ活動ができる実業団所属選手」として新ルールの適用第1号となった。

パラのプロ先駆者、山本篤は収入を公表

「プロパラアスリート」。日本パラ陸上界の先駆者といわれる2016年リオデジャネイロ大会銀メダルの山本篤は自らの職業をこう呼び、道を切り開いてきた。

プロ野球やJリーグの選手のように「年俸1500万円、金メダルの報奨金3000万円」と自らの収入を公表。「パラ選手でもこれだけ稼げると示したかった。パラの1億円プレーヤーが出てほしい」との思いからだ。

東京パラリンピック陸上男子走り幅跳びでは表彰台まであと一歩の4位に終わったが、自身の持つ日本記録を5センチ更新する6メートル75をマーク。会社員を辞めて「プロ」になった意地とプライドを示した。

所属先の太陽光発電システム販売会社「新日本住設」からは年俸1500万円に加え「パフォーマンスボーナス」という出来高契約の逆提示を受けたという。それがパラリンピックで金メダル3000万円、銀1000万円、銅500万円だった。

「走る研究者」とも呼ばれる山本は大阪体育大大学院で運動力学を研究し、義肢装具士の国家資格も持つ。2018年にはスノーボードで平昌冬季パラリンピックにも出場した「二刀流」アスリートでもある。

実績を積み上げれば、プロアスリートはお金を稼げる。覚悟を持って競技人生を歩む「パラの顔」として障害のある子どもたちに夢を与える存在だ。

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