「ガソリンタンク」米田哲也が歴代最多
「規定投球回数」とは、防御率の基準となるイニング数のこと。防御率は、規定投球回数以上の投手で、優劣を争う。現在のプロ野球公式戦では「そのチームの試合数×1」、ファーム公式戦では「試合数×0.8」と定められており、規定投球回数をクリアすることは、先発投手にとってローテーションの一角を担う「主戦投手」であることを意味する。
では、NPB史上規定投球回数をクリアした回数が最も多かった投手は、誰だったのだろうか。到達回数が多い順にランキングすると、以下の表のようになった。
NPBを代表する大投手の名前が並んでいる。1位の米田哲也は昭和30~40年台の阪急に君臨した大エース。スタミナ抜群で「ガソリンタンク」の異名があった。勝利数は2位。米田と並び18回到達した鈴木啓示は、昭和40~50年代の近鉄の左腕エース。最後の300勝投手でもある。
金田正一は史上1位の400勝、国鉄時代は「金田天皇」と呼ばれる絶対的な存在だった。山田久志は米田の後の阪急のサブマリンエース。V9時代の巨人と日本シリーズで名勝負を演じた。東尾修は西鉄から西武まで、親会社が次々と変わる中でライオンズのエースとして投げた。
ほとんどが200勝投手だが、中には三浦大輔、松岡弘と、200勝に満たない投手もいる。2人はともにセ・リーグの弱小球団で、味方の支援が乏しい中で勝っても負けても投げ続けた投手だ。彼らも強いチームに所属していれば名球会入りできたのではないだろうか。
打者では、長嶋茂雄、山本浩二らデビューから最終年まで規定打席をクリアした選手がいるが、投手ではいない。鈴木啓示がデビューの1965年から15年連続で規定投球回数に到達したのが最長だ。
外国人投手ではランディ・メッセンジャーの8回(実働10年)が最多となっている。
マー君はNPB在籍全シーズンで規定到達
現役では、ヤクルトの左腕、石川雅規が最多の13回。石川も大先輩の松岡功と同様、強いとは言えないチームでエースとして長年投げてきた賜物だろう。松坂世代より1歳上、来年1月22日には42歳になるが、200勝を目指して頑張っている。
2位の涌井は西武、ロッテ、楽天の3球団で最多勝を獲得。これは史上唯一。内海哲也は巨人の左腕エースだったが、FAで巨人に移籍した炭谷銀仁朗の人的補償で西武へ。ベテランの味を出している。
左腕の和田毅は来季から「松坂世代」唯一の現役選手になる。なお、今季限りで引退した松坂大輔は、NPBでは7回規定投球回数に到達した。和田、松坂、田中将大など最近のトップクラスの投手は全盛期にMLBに移籍してしまうことが多いため、規定投球回数をクリアした回数も伸び悩む傾向にある。
田中は今年NPBに復帰したが、NPBで投げた8シーズンすべてで規定投球回数に到達している。
200イニング以上投げて規定未達の時代も
かつてのNPBでは規定投球回数がはるかに高く設定されていた時代があった。1リーグ時代の1948年には220回、1954~55年のパは210回、1956年のパは230回だった。この時代には、今の基準ではエース級の投球回数を投げながら、防御率ランキングに乗らなかった投手がたくさんいた。
1956年の南海、野母得見は226回を投げ14勝を挙げながら規定投球回数以下。野母は7シーズン投げたがついに規定投球回数には到達せず。野母のように200イニング以上投げて規定投球回数に未達だった投手は13人いる。1956年には阪急の新人、米田哲也が204イニングを投げたが規定投球回数未達。このシーズンに到達していれば、入団から19年連続達成の大記録になっていた。
今シーズンの規定投球回数は143。セは9人、パは14人がランキング入りした。セでは優勝したヤクルトとDeNAは規定投球回数をクリアした投手はいなかった。最近は規定投球回数に到達する投手が減っている。ローテーションが確立し、救援投手との分業も確立したからだ。規定投球回数の定義も見直す必要があるかもしれない。
それでも規定投球回数到達は「先発投手の目標」であることに変わりはない。来季は何人がクリアするだろうか。
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