2004年の日本人メジャーリーガー
平野佳寿(ダイヤモンドバックス)、牧田和久(パドレス)の中継ぎ2人が奮闘している。これまでに多くの日本人中継ぎ投手が海を渡ったが、移籍初年度で2人同時に活躍を果たしたのは2004年まで遡る。今から14年前に活躍した2人の選手を振り返ってみたい。
1995年に野茂英雄(ドジャース)が海を渡り、新たな道を開拓した日本人メジャーリーガーの歴史。2001年にイチロー(マリナーズ)、新庄剛志(メッツ)が野手としてプレー。2003年には長距離打者の松井秀喜(ヤンキース)もメジャーデビューするなど投手、野手ともに多くの日本人選手が在籍していた。そして、2004年には大塚晶則(パドレス)、高津臣吾(ホワイトソックス)と松井稼頭央(メッツ)新たに3人の選手が海を渡った。
【2004年の日本人メジャーリーガー】
<投手>
野茂英雄(ドジャース)
長谷川滋利(マリナーズ)
大家友和(エクスポズ/現ナショナルズ)
石井一久(ドジャース)
大塚晶則(パドレス)
高津臣吾(ホワイトソックス)
<野手>
イチロー(マリナーズ)
田口壮(カージナルス)
松井秀喜(ヤンキース)
松井稼頭央(メッツ)
※所属は当時
1年目から73試合に登板した大塚晶則
2002年オフに近鉄からポスティング申請を行ったが、入札はなく国内の中日に金銭トレードで移籍。再挑戦となった翌2003年オフにパドレスが入札し入団。初登板でサヨナラ負けを喫し敗戦投手となるが、その後は13試合連続無失点を記録する。この年のパドレスは絶対的な守護神であるトレバー・ホフマンがいたため、クローザーに昇格することはなかったが、8回の男として34ホールドをマークする活躍を見せている。この年1年目ながらチーム最多タイとなる73試合に登板した。このことから首脳陣からの信頼が高かったことがうかがいしれる。
<2004年成績>
大塚晶則(パドレス)
73試合/7勝2敗2S34H/77.1回/87奪三振
「ミスターゼロ」と呼ばれた高津臣吾
2003年オフにFA権を行使しヤクルトからホワイトソックスへと移籍し高津臣吾。メジャー初登板時、最初に迎えた打者は松井秀だった。日本時代に松井秀のプロ初本塁打を献上した高津だがここでも二塁打を浴びてしまう。さらに次打者には本塁打を打たれ、1回2失点とほろ苦いメジャーデビューとなった。しかし、その後は好投を続け4月下旬から6月下旬までの約2ヶ月間にわたり24試合連続無失点を記録。この活躍から「ミスターゼロ」と呼ばれるようになった。シーズン後半からはクローザーも任されるなど、59試合に登板し19セーブをマークしている。
<2004年成績>
高津臣吾(ホワイトソックス)
59試合/6勝4敗19S4H/62.1回/50奪三振
平野、牧田ともに中継ぎとしてメジャーリーグ移籍を果たした。話題性では大谷やイチローに及ばないかもしれない。しかし、中継ぎが重要視されるようになった近年のメジャーリーグにおいて、ふたりの役割は重要だ。セットアッパーとして火消しとしてチームの勝利に貢献し、2004年の大塚、高津のようにともに活躍してくれることに期待したい。