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高校野球の「球数制限」は誰のためにあるのか?

2020 3/1 06:00元永知宏
イメージ画像ⒸmTaira/Shutterstock.com
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1週間で500球以内、センバツから全公式戦で実施

この春のセンバツから、高校野球に球数制限という新しいルールが加わった。日本高校野球連盟は、1人の投手の投球数が1週間で500球に達した場合(登板中に達した場合は打者との対戦が完了するまで)、それ以上投げることを認めない制限を、第92回選抜大会(3月19日開幕)を含む今春からのすべての公式戦で実施することを決めた。これによって投手が故障から守れられるという保証はないが、投手を酷使する指導者にとっては足かせになる。

複数投手制を敷くのは、ここ最近の強豪校のトレンドだ。先発の右投手がマウンドに上がった瞬間に、ブルペンでサウスポー、右のサイドハンドが投球練習を始めるというのは珍しい風景ではない。先発投手の調子、対戦相手の力量、試合展開によって継投は避けられず、監督の投手交代の巧拙がそのまま試合結果に直結すると言ってもいい。横浜高校(神奈川)の名参謀だった小倉清一郎は「激戦区の神奈川で勝つには、最低でも3タイプのピッチャーが必要だ」と公言する。

体力消耗の激しい夏の大会で、投手を守るためにも、チームが勝ち上がるためにも、それが常識になっている。有望な投手を多数抱える私立の強豪校にとって、数年前から当たり前の戦法だ。

吉田輝星が発端、佐々木朗希で議論に拍車

球数制限についての論議が激しくなったのは、2018年夏の甲子園を沸かせた金足農業(秋田)の吉田輝星が準決勝までの5試合を一人で投げ抜いたから。2019年夏の岩手大会決勝で、大船渡高校(岩手)のエース・佐々木朗希が登板を回避したことで、さらに熱を帯びることになった。

佐々木が登板せずに敗れたあと、「日本の宝を守れてよかった」という安堵の声も、「登板回避によって犠牲になったチームメイトの気持ちを考えろ」という批判もあった。大船渡の監督は目の前の勝利よりも佐々木の将来を取ったということだ。それが正解かどうか、第三者にはわからない。

しかし、私が驚いたのは「勝利よりも大事なものがある」「チームの成績よりも個人の未来が大事」という意見が多かったことだ。連帯責任、滅私奉公――自分を捨ててチームに貢献することが「美徳」とされた高校野球の周辺には大きな変化が訪れている。集団よりも大事な個人とは? 勝利よりも大事なものとは? と疑問に思う昭和生まれの野球ファンは少数派になったのだろうか。

重要なのは指導者の「意識」

プロ野球に進むことが最大の「結果」だとする。日本中には、1学年5万人ほどの高校球児がいる。2019年ドラフト会議で指名された高校生は51人、そのうち投手は21人だけだ(育成含む。大学卒は36人、うち投手は17人)。大学生を含めても、プロ野球に進める投手は38人しかいない。

0.1パーセントも存在しない有望な選手を守るために、「球数制限」が本当に必要だったのか?逸材の育成を任された強豪校、名門校の指導者が、選手を守るという当たり前の考えを持ちさえすれば、それで十分ではないか。

逆にいえば、いくらルールをつくっても、監督やコーチがそんな意識を持たない限り、意味はないし、故障者は続出するだろう。最近も、1日に2試合行われた練習試合で、エースを18イニング投げさせた名門校の監督がいたという…。「球数制限」とは、これまでの習慣や、なし崩しで行ってきた指導を見つめ直すためにある。そのことを、「昭和型の指導者」は知るべきではないかと思う。

《ライタープロフィール》
元永知宏(もとながともひろ)
スポーツライター。1968年、愛媛県生まれ。立教大学野球部4年時に、23年ぶりの東京六大学リーグ優勝を経験。大学卒業後、ぴあ、KADOKAWAなど出版社勤務を経て独立。「レギュラーになれないきみへ」(岩波ジュニア新書)、「荒木大輔のいた1980年の甲子園」「近鉄魂とはなんだったのか?」(集英社)など著書多数。愛媛のスポーツマガジン「E-dge」(愛媛新聞社)の編集長も務めている。

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