105回大会も土浦日大、日大山形、大垣日大、日大三の4校出場
高校野球でよく聞く校名が日本大学の系列校だ。開催中の第105回全国高校野球選手権大会でも土浦日大(茨城)、日大山形(山形)、大垣日大(岐阜)、日大三(西東京)の4校が出場。校名変更したが、立正大淞南(島根)もかつては松江日大だった。
現在、硬式野球部のある日大系列校は全国に23校ある。校名に「日大」が先にある正付属、戦後独立して別法人となった特別付属、校名の「日大」が後ろにある準付属があるが、ここでは系列校として一律に紹介する。各校の甲子園出場回数は下の表の通りだ。
東北の「日大」を代表する日大山形と日大東北
北から順に見ていこう。札幌日大(北海道)は2002年センバツに出場し、初戦で津田学園(三重)に敗退。甲子園出場はこの1回のみだが、片岡奨人(元日本ハム)らプロ野球選手も輩出している。
日大山形(山形)は東北を代表する強豪のひとつだ。春4回、夏19回と系列校では日大三に次ぐ甲子園出場を果たしており、2013年夏には準決勝進出。髙橋光成(現西武)を擁して優勝した前橋育英(群馬)に敗れた。OBに栗原健太(現ロッテコーチ)、奥村展征(現ヤクルト)、中野拓夢(現阪神)らがいる。
日大東北(福島)は意外にもセンバツ出場はないが、夏は甲子園に8回出場している。1990年夏の初戦で海星(長崎)を下したのが唯一の甲子園勝利。阪神でバッテリーコーチなどを務めた吉田康夫はOB。
茨城には2校ある。土浦日大は春2回、夏は今大会も含めて5回出場。1974年に工藤一彦(元阪神)を擁して春夏連続出場し、夏は原辰徳のいた東海大相模と延長16回の死闘の末にサヨナラ負けした。土浦日大岩瀬校舎から独立した岩瀬日大はいまだ甲子園出場はない。
澤村拓一の母校・佐野日大、センバツ優勝の日大櫻丘
佐野日大(栃木)は春4回、夏6回出場。1989年夏、同年ドラフト3位で阪神入りし、2017年に母校の監督に就任した右腕・麦倉洋一を擁して初出場した。1997年夏はベスト8、2014年センバツではベスト4入り。この時の左腕エースが現オリックスの田嶋大樹だった。ほかに澤村拓一(現ロッテ)、弓削隼人(現楽天)らをプロに輩出している。
千葉の2校はいずれも甲子園出場を果たせていない。日大工業高から1974年に校名変更した日大習志野は、2021年夏の千葉大会で準々決勝進出。千葉日大一は1979年夏の千葉大会で準決勝進出したが、習志野に敗れた。
日大櫻丘(東京)は1972年に春夏連続出場。センバツでは「ジャンボ仲根」と呼ばれた長身右腕・仲根正広を擁して勝ち上がり、決勝で日大三に完封勝ちして初出場初優勝を飾った。仲根は同年ドラフト1位で近鉄入りしている。
日大鶴ヶ丘(東京)は夏に3回出場。1990年夏は松井秀喜が1年生だった星稜(石川)を破るなど準々決勝に進出した。
日大豊山(東京)は2000年夏に初出場し、初戦突破したものの3回戦で東海大浦安(千葉)に敗退。今夏の甲子園開会式では同校の光永翔音内野手が入場行進の先導役を務めた。
甲子園から遠ざかる日大一と日大二、実績断トツの日大三
日大一(東京)は、1913年に日本大学最初の付属校「日本大学中学校」として創立。甲子園には春2回、夏8回出場し、1973年センバツでベスト8入りした。最後の甲子園出場は1988年夏。竹田光訓(元大洋)らのプロ野球選手を輩出している。
日大二(東京)は春2回、夏4回出場。1959年夏にベスト8入りしたが、1982年夏の2回戦で池田(徳島)に敗れたのを最後に甲子園から遠ざかっている。OBには阪神時代にノーヒットノーランを達成した川尻哲郎らがいる。
日大系列校の中で断トツの実績を誇るのが春20回、夏19回出場の日大三(東京)だ。1971年センバツで初優勝し、2001年夏に選手権も初制覇。さらに2011年夏も優勝し、3度の全国制覇、3度の準優勝を果たしている。山﨑福也(現オリックス)、髙山俊(阪神)、坂倉将吾(広島)らプロ野球に多数輩出。
東京・日出高から2019年に校名変更した目黒日大は春夏ともに甲子園出場なし。野球部が歴史を紡いでいくのはこれからだろう。
山本昌と館山昌平を輩出した日大藤沢
日大高(神奈川)は1930年に日大四中として開校し、長い歴史を持つが、春夏ともに甲子園出場経験はない。ただ、夏の神奈川大会では1954年、1965年、1967年、1982年と4度の準優勝がある。近年では2017年に準決勝で東海大相模に敗退した。荒川雄太(元ソフトバンク)らプロ野球選手も輩出している。
同じ神奈川の日大藤沢は春3回、夏1回出場。1998年センバツでは準決勝進出し、久保康友(元ロッテ、阪神、DeNA)のいた関大一(大阪)に敗れた。50歳まで現役を続けた山本昌や2009年に最多勝に輝いた館山昌平らは同校OB。
日大明誠(山梨)は1997年センバツに出場。2回戦で報徳学園(兵庫)に敗れた。木田優夫(現日本ハムコーチ)の母校としても有名だ。
長野日大(長野)は2008年センバツに初出場し、ベスト8入り。準々決勝で千葉経大付(千葉)にサヨナラ負けした。2009年夏も作新学院(栃木)、天理(奈良)の強豪を破って3回戦進出している。佐藤亮太(元中日)らプロにも選手を輩出している。
永田裕治監督の日大三島、阪口慶三監督の大垣日大
日大三島(静岡)は春2回、夏2回出場。報徳学園で全国制覇した経験のある永田裕治監督が2020年に就任し、2022年は春夏連続出場を果たした。OBに小澤怜史(現ヤクルト)らがいる。
大垣日大(岐阜)は名将・阪口慶三監督が2005年に就任してから急激に強化され、初出場となった2007年センバツでいきなり準優勝。同年夏も準々決勝に進出したが、春と同じく常葉菊川(静岡)に敗れた。以降春5回、夏6回出場。橋本侑樹(現中日)らのプロ野球選手を輩出している。
長崎日大(長崎)は春4回、夏9回出場。2007年夏は準決勝で、優勝した佐賀北(佐賀)に敗れた。大瀬良大地(現広島)やサッカー日本代表監督の森保一は同校OB。
宮崎日大(宮崎)は1997年夏に初出場し、佐野日大(栃木)との日大対決に惜敗。2015年夏も初戦で上田西(長野)に敗れ、まだ甲子園で白星を挙げられていない。元近鉄の加藤哲郎やソフトバンクなどで22勝57ホールドを挙げた藤岡好明らプロ野球選手を輩出している。
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