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帝京・前田三夫名誉監督が振り返る山﨑康晃の高校時代、突然の「辞めたい」発言に…

2022 9/16 06:00小山宣宏
帝京高校の前田三夫名誉監督,Ⓒ上野裕二
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Ⓒ上野裕二

史上最年少29歳10カ月で200セーブを達成

8月24日に史上最年少29歳10カ月で200セーブを達成したDeNAの山﨑康晃。これまで順風満帆の野球人生だったわけではない。高校時代はどんな選手だったのか、今年の7月、『いいところをどんどん伸ばす』を上梓した帝京の前田三夫名誉監督に、当時の話を聞いた。

「心の甘さ」があった高校時代の山﨑

プロ野球の世界に進んだ選手でも、高校時代はそのレベルに達していない、ということは決して珍しいことではありません。たしかに素材的には楽しみではあるものの、どこか野球に取り組む姿勢が甘ければ、プロから指名されることはないのです。

山﨑康晃がまさにその代表格でした。山﨑と言えばDeNAに入団した1年目からクローザーとして活躍し、2017年はチーム成績が3位だったものの、クライマックスシリーズを見事に勝ち抜き、日本シリーズまで押し上げた原動力の1人として多くのファンに知られているかと思います。

けれども高校時代の山﨑は、残念ながらプロのレベルに到達するまでにはいたらなかった。その根本の原因は本人の「心の甘さ」にありました。

彼は1年生秋の練習試合で140キロを計測する投手でしたが、当時はまだ体が細かったのでボールが軽く、強打者にジャストミートされるとフェンスオーバーされることもしばしばありました。ですから体幹を鍛えて、技術面だけでなく体力面の強化も図ったのです。

一方で勉強がとにかく苦手な子でした。私は基本、野球しかできない、俗に言う「野球バカ」だけは育成したくないと思って指導にあたっていました。高校時代、どんなに野球がうまいと言っても、そのなかからプロの世界に進めるのはほんのひと握りの選ばれしエリートだけ。その他の選手は、高校や大学で現役生活を終えるのが大半です。その後は一社会人として、野球とはまったく違う畑の仕事に従事するようになるのが通例ではないでしょうか。

そのとき、高校時代に勉強をおろそかにしていたら、大学に入って勉強したとしても、ついていけないなんてことになりかねませんし、考え方の視野を広げるという意味では、勉強はやっておくに限る――。私はそう考えていたのです。

ですから高校時代の山﨑を特別扱いしたことは一度もありませんでした。むしろ勉強ができずに、テストで赤点でもとろうものなら、

「練習には出なくていいから、部室で勉強をやっていなさい」

と言って夜遅くまで勉強をやらせたことも実際にありました。

唐突に出た「野球を辞めます」発言

そんなときです。彼は突然、「野球を辞めたい」と言い出した。聞けば、「将来はプロ野球選手になりたいのに、監督が野球を満足にやらせてくれないから」と言うではありませんか。私は彼のお母さんと話をして、「とにかく学校に連れて来てください」と言って、校門の前で他の部員と一緒に待っていました。

山﨑が校門の前に姿を現したとき、「勉強と野球を両立しなければ、絶対にプロから指名なんてないぞ」と言って、その後は練習に参加させました。けれども高校時代は想像していた以上に成長しなかった。1年の秋になまじっか140キロを超えるストレートが投げられたばかりに、「自分は球速がある」ということだけで自己満足してしまったフシがありました。

そうして彼が3年の秋になったとき、「プロ志望届を出してドラフト会議の指名を待ちたい」と言ってきました。もちろん私は猛反対しました。

「プロのスカウトがお前さんの今のプレーを見て、本当に獲りたいと思うか?」

そう聞くと口を真一文字にして黙ってしまいましたが、「どうにかプロ入りの夢を叶えたいのです」とまったく引く様子がなかった。

そこで私はこう言いました。

「オレはお前さんがプロから指名されるなんて、これっぽっちも思っていない。断言したっていい。もしプロから指名されなかったとき、現実を受け止めることができるのか?」

山﨑は真剣なまなざしで「はい」と言ったので、プロ志望届を提出し、ドラフト会議当日に臨んだのです。

結果は――。やはり12球団のどこからも指名がありませんでした。ドラフト会議が終了すると、山﨑は遠くを見つめてただ茫然としているだけでした。(続く)

いいところをとことん伸ばす

Ⓒ日本実業出版社


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