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今岡誠が回想する「最強キューバを追い詰めた1996年アトランタ五輪」

2021 7/27 11:00楊枝秀基
今岡誠,Ⓒゲッティイメージズ
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Ⓒゲッティイメージズ

後のプロ野球オールスターメンバーがズラリ

15年ほど前の春季・沖縄キャンプの頃だった。過去に五輪を経験したオリンピアンとして、当時の阪神・今岡誠内野手(真訪=現ロッテヘッドコーチ)にインタビューするチャンスに恵まれた。東洋大時代、1996年のアトランタ五輪に出場し銀メダルを獲得。そのままドラ1でプロ入りし、すでに虎の2003、2005年V戦士に成長していた時代だ。

今岡は開口一番、こう言葉を放った。

「とにかく合言葉は『打倒キューバ』。これにつきますよね。そのためにメンバーが招集された。そこから4年間、アトランタの大会が終わるまでを逆算した代表チームとして、活動してきたという思い出がありますね」

公開競技だった1984年のロサンゼルスで金、正式種目となった1988年ソウルでは銀、1992年バルセロナでは銅と各大会でメダルを獲得。ただ、オールアマチュアで世界に挑んでいた時代、キューバのカベは強大だった。1996年アトランタではキューバを倒して金を狙う。そのためのオールジャパンが組まれることとなった。

代表選考を行なった当時の首脳陣には先見の明があるとしか思えない。それだけの逸材がアトランタの代表には揃っていた。

一塁・松中信彦(新日鐵君津~ダイエー)、二塁・今岡誠(東洋大~阪神)、三塁・福留孝介(日本生命~中日)、遊撃・井口資仁(青学大~ダイエー)、中堅・谷佳知(三菱自動車岡崎~オリックス)を中心とする野手陣は、将来のオールスター軍団だった。

社会人16人、大学生4人で構成された「打倒キューバ」の刺客は、4年間をかけ一つのチームに育っていった。

今岡は「正直、僕は最初からセカンドのレギュラーだったわけでもないですし、その予定でもなかったはずです。でも、流れの中でチャンスをいただいて、最後に試合で使ってもらえた。僕らはプロに行くからとか、そういう雰囲気なんて出す人は誰もいない。社会人の先輩たちを中心に『打倒キューバ』という目標を持ったいいチームに仕上がっていたと思います」と当時を振り返る。

予選でコールド負けした米国に準決勝で雪辱

ただ、五輪に入ってからは苦戦が続いた。予選リーグで初戦のオランダには12-2でコールド勝ちしたものの、続くキューバ戦は延長10回で7-8の逆転サヨナラ負けを喫し流れが悪くなった。

3戦目のオーストラリア戦は6-9、4戦目のアメリカは5-15で7回コールド負けと3連敗。5戦目以降はニカラグアに13-6、韓国に14-4、イタリアに12-1と3連勝で盛り返し、トータル4勝3敗で3位通過となったが、準決勝の相手は開催国のアメリカとあって苦戦が予想された。

米国代表は強敵かつ因縁の相手でもあった。ロサンゼルス大会決勝では日本が勝利し金。ソウル大会決勝ではリベンジを食らい銀。バルセロナ大会3位決定戦では、ジャパンの勝利で銅メダルを獲得した。4大会連続での直接対決は注目度が高いカードとなった。

「USA、USA、USA」。自国開催とあってアトランタ・フルトンカウンティスタジアムには多数の米国人が訪れた。予選ではアメリカがコールドで大勝していたとあって、球場内の雰囲気はアメリカ一色といってもいい状況だった。だが、決勝で待っているキューバに対戦するまでに日本も負けるわけにはいかなかった。

この試合で日本は松中、井口、今岡ら計5本塁打を浴びせ11−2と7回コールド勝ち。スタンドの雰囲気は騒然とし、米国人の中には決勝戦のチケットを破り捨て、暴言を吐く観衆もいたほどだった。

決勝キューバ戦は松中信彦の満塁弾で一時は同点

「さあ、このチームで最後の試合になる。この日のために4年間頑張ってきたんだ。今日はこの4年間の集大成だ。持ってるものを全てぶつけよう。誰もがそう思って試合に臨んだと思います」(今岡)

決勝のキューバ戦は2回までに6点を失う苦しい展開だった。だが、4点ビハインドの5回2死満塁から4番・松中が一時は同点となる満塁弾。左中間スタンドに打球が消えた瞬間、日本ファンは総立ちとなって盛り上がった。試合自体は9−13で敗れ銀メダルとなったが、力を出し切り完全燃焼した熱戦だった。

「本当は勝たないといけないんですけどね。でも、最強のキューバを学生と社会人のチームが本気にさせることができた。悔しいですけど、変な意味での悔いはなかったですね」(今岡)

のちに投手4人、野手6人がプロ入りした。井口、福留はMLBも経験し名球会入りも果たしている。松中は平成唯一の三冠王。今岡は2005年に阪神の球団記録となる147打点でチームをリーグ優勝に導いた。オールアマ最後の逸材チームは、五輪史上最強のメンバーを輩出したと表現しても許されるだろう。

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