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メダルへの執念の差が出た北京五輪…侍ジャパンさぁ東京で雪辱だ

2021 8/7 11:00楊枝秀基
北京五輪に出場した稲葉篤紀現日本代表監督,Ⓒゲッティイメージズ
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Ⓒゲッティイメージズ

アジア予選で韓国が“偽装スタメン疑惑”

「金メダルしかいらない」。星野仙一監督の言葉が象徴的だった。

自らを追い込むような表現に、当時の時代背景が投影されている。

2006年に第1回が開催されたワールド・ベースボール・クラシック(WBC)では、王貞治監督が指揮を執り、イチロー率いる日本代表チームが世界一に輝いた。

その後、いつまでも王、長嶋の「ON」頼みではいけないと編成されたのが、星野ジャパンだった。世界一の歓喜から興奮冷めやらぬ2007年、翌年の北京五輪出場権獲得を目指しアジア最終予選に星野体制で参加。開催国の中国に1枠を与えられていたため、残されたアジア1枠を巡り韓国、台湾、フィリピンとの戦いに臨んだ。3戦全勝しなければ、世界最終予選に回るという厳しい条件での戦いだった。

重圧のかかる中、フィリピンに10−0、韓国に4−3、台湾に10−2で全勝。北京五輪への切符を見事に掴み取った。結果の上では上々の成績だった。それでも、すんなり勝ち抜けた印象は薄かった。

12月2日に行われた韓国戦では“偽装スタメン疑惑”が浮上。電光掲示板に表示された韓国チームのスタメンと実際のメンバーが大きく違うという問題が起こった。

国際野球連盟のルールでは、電光掲示板の準備がある場合は、1時間前にオーダーを提出しなければならない。その上で試合開始直前に審判団立ち合いの下、両チーム監督によりメンバー交換が行われる。だが、やむを得ない事情があれば変更可能で、試合10分前の提出のオーダーが正式なものとルールで認められていた。

それでも先発投手は右腕から左腕へ。打順も日本の先発左腕・成瀬善久(ロッテ)に合わせ1番から6番まで右を並べるという変更内容に報道席もどよめいた。当時の韓国・金卿文監督は「騙すつもりはなかった」と弁明したが、星野監督は怒りを隠さなかった。

事前の監督会議でも「紳士協定」を結んだはずだが、裏切られた。試合には勝利したが、手段を選ばない姿勢に脅威を感じた。その韓国はアジア予選で敗退後、世界最終予選で五輪切符を手に入れた。

故障者多数…4勝3敗で辛くも決勝Tへ

2008年に入ると五輪へのムードは一層高まった。WBCでの世界一、予選での全勝通過。国民の金メダルへの期待は高まったが、実は代表チームは順風満帆ではなかった。左ふくらはぎ肉離れから故障上がりの森野将彦(中日)、メンバー招集までに阪神にFA移籍した新井貴浩(前広島)は腰痛、現監督の稲葉篤紀(日本ハム)は臀部痛と故障者を多く抱えていた。

代表合宿中には村田修一(横浜)が風邪による発熱。北京入り後も川崎宗則(ソフトバンク)が左足甲を痛め、西岡剛(ロッテ)が右脇腹痛を悪化させた。

投手陣のリーダー格だった上原浩治(巨人)が「僕も代表辞退しようと考えていたほど絶不調だったんですけど、あのシーズンは2007年に選ばれた選手の中に不調な人が多かったですね」と振り返るが、それでも本番は待ってくれない。

予選リーグ初戦のキューバ戦はダルビッシュを先発に立てるも2-4で敗戦。続く台湾戦は6-1、オランダ戦は6-0と連勝したが、4戦目の韓国戦を3-5で落とした。カナダ戦は1-0、中国戦は10-0で連勝するも、予選最後のアメリカ戦は延長11回2-4で惜敗。4勝3敗の4位で何とか決勝トーナメントに駒を進めた。

G.G.佐藤が痛恨の落球で4位

迎えた8月22日、準決勝の相手は韓国だった。同点の8回、2点を勝ち越され、なお2死一塁の場面。左中間への飛球を左翼・G.G.佐藤が落球。ピンチが拡大し、さらに2点を追加された。急ごしらえの北京の球場は「日本の球場ではあり得ない角度から日光が入ったりする。条件的には非常に守りづらかったと思う」(関係者)というが条件は同じ。結局、2-6で敗れ金メダルへの道を断たれた。

「金しかいらない」。星野監督のこの言葉は選手に様々な印象を与えていた。準決勝に敗れた時点である選手は「『金しかいらない』ならもう3位決定戦は意味がない。どこかに気持ちが切れていた自分もいた」と漏らした。一方である選手は「目の前の敵に勝ちたいと思うのが選手の本能。負けたくないから全力でいった」とも話した。

悔しい敗戦翌日、23日の3位決定戦はアメリカと激突。星野監督は前日2失策のG.G.佐藤を左翼スタメンで起用した。シーズン中、チームでは右翼を守っていたが、五輪では左翼で起用し続けた。指揮官としては名誉挽回の機会を与えたのだろうが、大舞台で悲劇は繰り返された。

3回、遊撃後方への飛球を佐藤がまたも落球。これが失点につながるなど4-8で敗戦し4位。北京ではトータル4勝5敗と負け越し、シドニー大会以来2度目のメダルなしという結果に終わった。

悔しさ知る稲葉監督「五輪の借りは五輪で返す」

野手のまとめ役だった宮本慎也(ヤクルト)は「19歳の田中(将大=楽天)や20代前半のダルビッシュ(有=日本ハム)や涌井(秀章=西武)もいれば、僕(当時36歳)より上に矢野さん(36=燿大・阪神)もいました。アテネを経験させてもらった時より、自分の年齢も上がっているし、若い人たちには気を使ったかも分からないですね」と苦悩を漏らした。チームを一つにしようと奔走したが、結果には繋がらなかった。

メダルなしが確定後、各方面で敗因が議論された。その中で金メダルの韓国と4位の日本との違いもクローズアップされた。ペナントレースを中断するなど準備期間を充実させた韓国に対し、星野ジャパンはNPBのシーズン続行の中で8日間の合宿を経て本番入り。さらに韓国KBOでは五輪使用球をシーズンでも使用するという徹底ぶりだった。

2007年の予選では勝利した韓国に五輪では予選、準決勝で連敗。メンバー交換の件などは褒められたことではないものの、執念が違ったことは認めざるを得なかった。

ただ、これだけの歴史的事実、経験があるからこそ現在がある。2021年の東京大会を率いる稲葉篤紀監督は2008年北京大会のメンバーでもある。ベテラン選手として打線の中軸を担いメダルを逃した悔しさを知る人物だ。「オリンピックの借りはオリンピックで返したい」。この言葉に最も説得力を持たせられる人物がチームを率いている。

7日のアメリカとの決勝に勝てば、野球が正式種目となって初めて日本が金メダルを獲得することとなる。プロアマ混成のシドニーで4位、オールプロのアテネで銅、「金しかいらない」北京でメダルなしの苦難の歴史を笑って振り返られる歴史にするために…。侍ジャパン東京五輪決勝での勝利を全ての野球人が後押ししているに違いない。

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