プロから松坂大輔、黒木知宏、中村紀洋ら選出
2000年に開催されたシドニーオリンピック。野球競技ではこの大会からプロの参加が認められ、プロアマ混成で臨んだ日本代表は4位に終わり、五輪で初めてメダルを獲得できなかった。当時の代表メンバーと結果を振り返る。
選手を出すことに対してプロ側の足並みが揃わず、パ・リーグは1球団1人、セ・リーグからは2人の計8人。加えて社会人選手11人、大学生5人の計24人のメンバー構成だった。松坂大輔(西武)、黒木知宏(ロッテ)、中村紀洋(近鉄)ら当時現役バリバリのプロ選手以外に、後にプロ入りした選手も9人いた。
3位決定戦で韓国に敗れ初めてメダル逃す
予選リーグでは思わぬ苦戦を強いられた。初戦のアメリカ戦で延長13回サヨナラ負けを喫し、2戦目からオランダ、オーストラリア、イタリア、南アフリカに4連勝したものの、韓国に6-7、キューバに2-6と連敗。4勝3敗で4位通過となった。
準決勝の相手はキューバ。日本は黒木知宏を先発マウンドに送ったが、打線が援護できず0-3の完封負けを喫した。
追い込まれた状況で迎えた韓国との3位決定戦。メダルを死守すべく、日本の先発マウンドには松坂大輔が立った。7回まで両チーム無得点の息詰まる展開となったが、8回裏2死二、三塁から、後に日本でも活躍する李承燁にタイムリー二塁打を浴びるなど3失点。結局、1-3で敗れ、五輪では初めてメダルなしに終わった。
当時アマチュアの投手だけでも後にプロ合計460勝
シドニー五輪代表メンバーのプロ通算成績は表の通り。
プロで171勝を挙げている石川雅規、同じく142勝の杉内俊哉ら、当時アマチュアで大会後にプロ入りした投手だけで合計460勝。伊東昭光、宮本和知らを擁して金メダルを獲得したロサンゼルス組の248勝、野茂英雄や潮崎哲也らで銀メダルを獲得したソウル組の440勝、伊藤智仁、西山一宇らのいたバルセロナ組の87勝、川村丈夫、三澤興一らのいたアトランタ組の119勝を上回る勝利数となっている。
さらに黒木知宏や松坂大輔ら当時からプロだった投手を加えると、合計713勝。力のある投手が揃っていたことが分かる。
野手陣は、後に阪神で「F1セブン」の一角を形成する沖原佳典や赤星憲広ら4人がプロ入り。名球会入りした阿部慎之助ら、当時アマチュアの4人の合計は3731安打、さらに中村紀洋、松中信彦、田口壮ら当時からプロだった4選手を加えると計9358安打となる。
アトランタ組の9650安打には及ばないものの、ロサンゼルス、ソウル、バルセロナ組は上回っており、打力が弱かった訳では決してない。プロ組の合流が大会直前になり、全体練習が不足していたこともメダルを逃した一因かも知れない。
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