コートから消えた線審の代わりに3DCG
バレーボールのパリオリンピック予選を兼ねるワールドカップが東京・国立代々木競技場で行われている。テレビの地上波で連日、日本代表の試合が中継されているが、SNS上で話題になっていることがある。審判員が主審と副審のみで、4人の線審(ラインズマン)がいないことだ。
同時に、ボールのインアウト判定が際どい時は、場内のモニターやテレビの画面で3次元コンピュータグラフィックス(3DCG)の映像が表示されるようになった。
バレーボールの試合といえば、コートの四つ角に立つ線審がいて、スパイクやサーブなどのたびにボールがコートの内外に落ちたかを判定。バレーボールの観戦者にはごく当たり前の光景だが、それが国立代々木競技場での試合では全く違うものになっているのだ。
線審がいなくなった代わりに、ボールのインアウト判定を担ったのがテクノロジー。際どいところにボールが落ちても、そのシーンを瞬時に3DCGで再現して判定できる。多くの人にとって新鮮に映ったのか、SNS上では驚きや感動の声がある一方、線審がいなくなって残念がる声など様々な感想が飛び交っている。
筆者提供
この3DCG判定システムを見て、テニスの四大大会やサッカーの国際大会等で使用されている「ホークアイシステム」を思い浮かべた人も多いだろう。ソニーグループのホークアイ・イノベーションズが提供する技術サービスで、昨年のサッカーのワールドカップカタール大会で話題になった「三笘の1ミリ」もホークアイシステムによる判定だった。
しかし、バレーで導入されているシステムはホークアイではない。ホークアイ・イノベーションズの元CEOや技術畑の幹部らが独立した「Bolt6」がローンチした同名のシステムだ。今年6月にFIVB(国際バレーボール連盟)主催の国際大会においてBolt6の導入が発表され、同時に線審がいなくなった。
4人→2人→0人 急激に変化した線審の数
国際大会におけるバレーボールの線審の人数は、この2年で大きく変化した。線審2人制は、国によってリーグ戦で導入しているところが以前からあった。ただ、国際大会では基本的には線審4人だった。
それが昨年、FIVB主催の大会で大きな変化が起こった。昨年5~7月にかけてあったネーションズリーグ(VNL)において、線審2人制が導入された。そして、今年のVNLではついに線審がいなくなり、主審と副審のみで試合を進める形式となった。
Bolt6の導入のメリットを挙げるとすれば、試合時間の短縮、効率化だろう。
これまでは際どいシーンがあれば、カメラ映像によって確認する「チャレンジシステム」によって判定していた。このシステム自体もテクノロジーの導入によるものではあったが、映像の確認にその都度、時間が数十秒から数分かかることもあった。選手や監督から主審への抗議などがあると、さらに時間がかかって試合が間延びすることが少なくなかった。
それがBolt6により、ライン判定に関しては瞬時に行われることで、試合の効率化が進んだ。このシステムが導入された今年6月のVNL名古屋ラウンド、参加国の監督や選手に感想を聞いてみたが、軒並み好評だった。
選手や監督、観衆にとっても良いと思えるが、一方で線審がいなくなることで、思わぬ懸念が生じている。若手審判員たちへの影響だ。
若手審判員には絶好の経験の場だった日本開催の国際大会
1年前のVNL大阪ラウンド。前述の通り、この時の線審は2人だった。
日本開催の国際大会では初めてのことで、4人から2人の減少についてどう感じているか、同大会に約20人の審判員を派遣していた大阪府バレーボール協会のベテラン審判員に聞いてみたところ、思わぬ反応が返ってきた。
「非常に危惧している。こういった日本開催の国際大会は、国際審判員を目指す若手審判員たちにとって絶好の経験の場です。大勢の観客の前で、トップレベルの国際試合で線審としてコートに立つ経験をすることで、審判員としてのモチベーションが上がり、国際審判員を目指す目標を持つこともできます。その場が減ったことで、どうやって経験する機会を与えていくか頭を悩ませています」
あれから1年が経過した今年、VNLや今回のオリンピック予選で、線審は2人から0人になってしまった。
意味合いが変わってきている審判員
岐阜県バレーボール協会の審判委員長である新海正和さんに、今年のVNLやオリンピック予選で線審がなくなったことによる影響を聞いた。
「仰る通り、(線審がなくなって)若手審判員が上を目指すきっかけの場がなくなってきていますね」
また、新海さんはテクノロジー導入によって、審判員の意味合いが変わってきていると指摘する。
「今のバレーボールの試合は、ほとんど機械で判定して、主審は手元にあるタブレットが示した判定に従って示すだけ。ボールがインならインと画面に出ているので、その表示に合わせて、手を示すだけになっている。審判自ら判定することはほとんどありません。主審も副審もこのシステムでいくと、本当にいらない。全部機械化して機械のようなゲーム運営していくことになると思います」
判定の精度が上がり、試合効率化を考えると、テクノロジー導入自体は間違いなくメリットが多い。ただ、それは国際大会や国内トップリーグだけの話だ。
「下のカテゴリーのリーグでは、費用面で同じことは無理でしょうし、これまで通りだとは思います。ただ、そうなるとトップレベルでの審判員の経験はできなくなって、モチベーションは下がると思う。限られた人しか試合に関われなくなり、審判員として発展途上で、夢見てやっている人たちは、試合で使ってもらえる機会がなくなるかもしれません」(新海さん)
新海さんとは、6月1日に愛知県であった日本男子代表とポーランド代表の親善試合の取材で知り合った。新海さんは岐阜県から若手審判員たちを連れてきて、線審などを務めさせた。
親善試合とはいえ、世界トップレベルの試合で技術やスピード、パワーを感じさせることで、審判員としての高みを目指すきっかけを与えていた。
「岐阜県としても、Vリーグのチームが公式戦や練習試合等で岐阜県に来た時に、若手審判員たちにラインジャッジをつけて、トップレベルの選手たちの試合を経験させます。それがモチベーションを上げて、将来ここで笛を吹きたいと思わせて育てていますが、そういう場が(システムの導入で)なくなっていきます」
線審を務める岐阜県バレーボール協会所属の若手審判員・筆者提供
審判員は実質ボランティア
ただでさえ、審判員の日当は高くない。線審だと、県によって日当の金額は異なるが、移動費用だけで日当が消えていくこともあるという。Vリーグの試合で主審副審を務めるのであれば、1万円はいかないがそれなりの金額の日当が出て、交通費も全額支給となる。
だが、それでも審判員だけで生活できるわけもなく、会社員や教員をやりながら、週末に実質ボランティアで審判員をつとめる人が大半という。それでも、高みを目指す審判員は一定数いる。
「もともとボランティアで審判員をするくらいの人は、向上心が強い。下のカテゴリーの試合で審判員として関わると、より高いレベルに挑戦したいという思いが出てくる。やはりトップチームの試合に関わっていきたいというモチベーションを持ちます」(新海さん)
その目標の先に出てくるのが、国際審判員としての活躍だ。
国際審判員になるには長い道のり
そもそも世界選手権やVNL、五輪といった試合で笛を吹けるFIVB公認国際審判員になるにはどんなステップがあるのか。詳しい説明は割愛するが、この5、6年間で大きく過程が変わり、国際審判員になる道のりがより長くなっている。
日本国内では、C級審判員からスタートして、B級、A級と上がっていく。さらにA級の中でも最上位評価のS1からS3までランク分けされている。
国際審判員には、各大陸のバレーボール連盟(日本であればAVC=アジアバレーボール連盟)の公認国際審判員とFIVBの公認国際審判員がある。
現在、AVC公認国際審判員になるには、まずJVAの審判規則委員会から研修活動の評価と語学検査を通過して合格する必要がある。そこでJVAから推薦されてAVCの国際審判員候補者コースを受講でき、合格すればAVCの公認国際審判員候補となり、AVCの大会で主審や副審を複数回経験してようやく正式に認定される。
さらに、FIVB公認国際審判員になるには、まずAVCで国際審判員としての実績を重ね、AVCから推薦されれば5年に1度開催されるFIVBの国際審判員候補者コースを受講できる。受講後にようやくFIVB公認国際審判員として認定される。AVCもFIVBの公認国際審判員も、受験資格は40歳以下という年齢制限がある。
ただ、FIVB公認国際審判員になれたからといって、世界選手権や五輪の試合で笛を吹くことを保証されているわけではない。ここでもさらに実績を重ねて実力を認められる必要がある。
FIVB公認国際審判員として日の目を見る舞台までたどり着くには長い道のりがあり、非常に狭き門でもあるのだ。
VNL女子のクロアチア対ドイツ戦で主審を務める審判員・筆者提供
審判員も「国を背負う心意気」でレフェリング
地方のバレーボール協会に属し、国内外の国際大会で活躍する国際審判員の田中さん(仮名)は、現在の状況について複雑な心境を明かす。
「もちろん(Bolt6のような)システムが入ることで、正確な判定はできると思います。国際大会でラインジャッジしてきましたが、肉眼で見えないものも正直ある。あれだけのスピードのボールがコートに触れた時、ギリギリで見た時に1、2ミリ触れているのは肉眼ではわからないことはありますし、ビデオ判定によって正しい判定ができることはある。
ただ、レフェリーはコミュニケーションでやっている。例えば、ファーストレフェリー(主審)はセカンドレフェリー(副審)を助けるため、ラインジャッジのボールインアウト判定、ブロックタッチの判定とかでコミュニケーションし、最終的にファーストレフェリーが決めていく。コミュニケーションがなくなるのはどうなのかなとは若干心配。判定は正しいですが」
また、国際審判員としてのモチベーションややりがいについてこう語る。
「日本代表の選手が『国を背負って』とよく言われていますが、私たちもそうなんですよ。日本のレフェリーとして、日本代表のチームと一緒に帯同して、国際大会でレフェリーをするのがモチベーションになります。日本を背負っていくのが魅力であり、頑張れるモチベーションになります」
田中さんも審判員として上を目指す上で、国際大会での線審の経験は大きかったという。そして、こういった経験は次世代の審判員たちにもしてほしいと考える。
「審判員を育てていく、増やしていかないといけない状況で、各都道府県の新しい世代が『審判って面白そうだな』って思った時に、そこで例えば『VNLでラインズマンやってみたくない?』とやってもらうと『失敗したけど楽しかったです』とモチベーションが高まっていく。地方の協会であれば、Vリーグのラインジャッジもモチベーションになります」
日本開催でのFIVBの試合で線審4人分、経験の場がなくなってしまったのはやはり大きいのだ。
SVリーグも線審なし?
さらに言うと、Vリーグも現在、線審をなくして3DCGシステムの導入を検討しているという(ホークアイなのかBolt6なのかは現時点では不明)。10月に始まる今シーズンを通して議論を重ね、次のシーズンから始まる新リーグ「SVリーグ」で導入するかを判断する。
線審がなくなると、ますますトップレベルでは若手審判員の経験する場がなく、下のカテゴリーの試合だけで経験を重ねるしかなくなる。
テクノロジーの導入はプラスなのは間違いない。一方で、どうやって審判の魅力を感じてもらって審判員のなり手を確保するか、どうやって審判員を育てるか、どうやってモチベーションを保つか、そして国際審判員までたどり着くかといった大きな課題を解消する必要に、バレー界は迫られている。
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