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大相撲で使われる「紋」についてのお話

2017 5/8 19:55茶色野うさぎ
大相撲
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出典 J. Henning Buchholz/Shutterstock.com

大相撲を見ているといろいろな場面で「紋」が目に飛び込んでくる。なんとなく見ていると単なる模様にも見えるため、見過ごしてしまっている人も多いかもしれない。
今回は大相撲で見かける「紋」に注目して解説していきたいと思う。

大相撲の中で見られる「紋」

大相撲の中で見ることができる「紋」にはどのようなものがあるだろうか?
一番わかりやすい「紋」としてあげられるのは日本相撲協会の「紋」だ。桜の花をモチーフにしたデザインだが、周りを囲んでいる黒い〇に見える部分はよく見ると大相撲の「大」という字をつぶして上下に配置したデザインになっている。これは協会のシンボルマークのようなもので、大相撲を見に行けばいろいろなところに見つけることができる。
土俵の上にあるつり屋根には「水引」という幕が張られていて、ここに白い紋を見ることができるほか、呼出しなどのスタッフの背中や掲示物などにも見つけることができる。

個人が身につける「紋」

大相撲は日本の伝統文化を受け継ぐ競技であるため、「家紋」というものも非常に大事にしている。そのため十両以上の関取になると着物や化粧まわしにも自分の家の「家紋」をつけるようになる。家紋というのは日本の伝統文化の一つで、平安時代あたりから貴族の間で自分の文様を決めるのが流行りだし、鎌倉時代に武士が台頭するにつれてそれぞれの集団がシンボルマークとして使い始めて広まっていったとされている。
家紋を知らない若い人でも、苗字を持っている人には必ず起源となる集団の家紋があるはずなので調べると自分の家の家紋がでてくる。

礼服には「紋」をつけるのが伝統

もともと貴族から始まった「家紋」だが、貴族の間では廃れていく。そのかわり武士の間では発展し、軍団の居場所や個人の帰属を示すためのシンボルマークとしてよく使われ、そのマークは日常生活にも浸透していく。自分自身のアピールや帰属する集団のプライドを示すために家紋を身につけるということが武士の間では流行り、江戸時代には家紋をいれた衣服が正装とされるようになっていく。
江戸時代の身分制度では武士の階級にあたる幕内力士にとっては、家紋をつけた衣服を着るというのはある種のステータスであったわけだ。

「家紋」は多種多様

武士の時代には家督の相続を争ったりすることも多かったため、それぞれの集団が独自の家紋を作り、多種多様な家紋が作られていった。種類も大変多くなっているが、使われるモチーフでざっくりと分けることができる。植物をモチーフにしたものでは、蔦紋、柏紋、みょうが紋、たちばな紋といった感じで分類できる。
大相撲では柏手を打つこともあるが、柏というのは神事にかかわるとされているので神社などでは柏紋が多くみられる。大相撲界でも柏紋が見られ、昭和の大横綱・大鵬関や千代の富士関は「丸に三つ柏紋」の家系だった。

外国出身力士が受け継ぐ「家紋」

外国出身力士が関取になった時は「家紋」が存在しない。このときは親方や関連する人の家紋をそのままつけたり、少し変えたものをつけたりといったことが慣習として行われている。
日馬富士関は師匠である安治川親方(元・旭富士)の家紋「抱きみょうが紋」を受け継いでいる。これはみょうがを二つ抱き合わせた可愛らしい感じの家紋だ。白鵬関が受け継いだのは「丸に三つうろこ紋」という家紋で、これが元寇でモンゴル軍とたたかった北条氏の家紋と同じだということがおもしろいと話題になったこともある。

まとめ

大相撲の世界で現在も続いている「紋」の文化にまつわる話だったが、いかがだっただろうか?現代の日本人の中では薄れつつある文化ではあるが、自分たちのシンボルマークを大事にするというのはなにか理解できる部分もある。
大相撲を見ながら日本の伝統を感じてみるのも良いものだろう。