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大相撲の番付に関するルールを知ろう!

2017 5/8 19:55茶色野うさぎ
大相撲
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出典 Oliver Foerstner/Shutterstock.com

大相撲ではそれぞれの力士の成績で番付が決まる。最近相撲を見始めた人にとっては番付がどういうものかわからない人もいるだろう。
今回は大相撲初心者のために、番付のルールをわかりやすく解説していく。

大相撲からはじまった「番付」というランク分け

世の中には「長者番付」のような言葉があるようにいろいろな格付けに「番付」という言葉が使われるが、これらは相撲の「番付」から始まっている。登場する全力士を最新の成績をもとに順位をつけて一覧表にするスタイルは非常にわかりやすくておもしろく、江戸時代から採用されて発展してきた。
最も古い記録として残る番付表は1699年に京都で行われた勧進相撲の興行で使われた番付で、このときから三役の表記があったことがわかっている。

番付表の表記の仕方

番付表では、真ん中のスペースに「蒙御免(ごめんをこうむりまして)」という文字が入る。これは興業の許可を取ったということをしめす昔からの慣習だ。その下には日程と場所、行事の名前がのる。番付表の左右には力士の名前が載るが、これは最新の成績が反映された格付けによってランク分けされている。
一番上の段には横綱、大関、関脇、小結、前頭の上位陣が並ぶ。格が上の力士ほど上で、文字も太くきれいに書いてもらえる。2段目以降は前頭という扱いで序列がつけられてずらずらとならんでいき、だんだん名前が小さくなりながら序ノ口の力士まで記載されている。

番付の欄外に張り出されることもあった

番付表は長い歴史の中で変化してきた。江戸時代には横綱と三役に関しては1名ずつしか載せない時期があったため、複数同じ役に力士がいた場合、興行的に華のある力士しか番付に乗らないこともあった。
それを解消するために考えられたのが「張出(はりだし)」というもので、正式な番付とは別に欄外にはみ出して乗せるやり方だった。このやり方で乗せられた力士は「張出大関」「張出関脇」のように呼ばれる。欄内の力士が正当な役とみなされたため、不満に感じる力士も多かったようで現在は「張出」はなくなった。

番付の細かい格付け

番付は東と西の2列に分けられているが、ここにも格付けがあり、東の方が格上となる。そのため、東の横綱と西の横綱では、東の横綱の方が格上だ。
また同じ役に複数名がいる場合も上に名前が書かれている力士の方が格上になる。昔であれば正横綱と張出横綱のようにわけられていたが、張出の扱いがあんまりだということで今は序列順に並ぶようになっている。東が序列が高いとはいえ、番付表をみると東と西で実力が同じくらいの力士が並ぶため、最新の強さランキングがすぐにわかるようになっている。

番付は番付編成会議で決まる

番付を決めるのはその名も「番付編成会議」だ。この会議は本場所が終了した後、3日以内に開催されることが決められている。会議は審判部長、副部長、審判委員、副理事が出席、書記を行事が務める。番付編成会議ではその場所の成績、取り組み内容をもとに次の場所の番付を決定していく。
基本的には勝ち越しをボーダーラインとして、それ以上なら昇進、それ以下なら降格ということになるが、メンバーの主観も大きく関わってくる。特に横綱、三役への昇進に関しては、決定に対して大きな議論を呼ぶこともある。

番付には大関が絶対に必要

江戸時代初期のころは番付の最上位は大関だった。1791年に大関の地位のものが上覧相撲で綱をつけて土俵入りをした際に天下公認となり、横綱免許が与えられたのが横綱のはじまりだ。初期の横綱はあくまで称号という扱いで、実力としては大関が一番と認められていた。
またその名残で番付には大関の地位が絶対必要で、大関が不在の時には横綱が「横綱大関」という形で大関を兼任する。1981年9月場所では北の湖関、千代の富士関の二人が横綱大関を務めるということも実際に起きている。

まとめ

大相撲で見られる番付のルールについて解説してみたが、いかがだっただろうか?江戸時代の人たちも格付けしながら大相撲を楽しんでいたようだ。
われわれも江戸時代の人に負けずに番付を見ながら大相撲を楽しもう!

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