照ノ富士を輩出した鳥取城北は関取6人
現在の大相撲は大学出身力士が増えているが、それに伴って高校出身者も増えている。大学に進学した人は一部の外国出身力士を除き日本の高校を卒業しており、中には外国から高校に留学でやってきた力士もいる。
横綱照ノ富士もその1人だ。照ノ富士は17歳で来日し、鳥取城北高校に編入。高校時代はインターハイで鳥取城北高校の団体戦のメンバーの1人として優勝し、高校を卒業して大相撲の世界に入門した。
その鳥取城北高校は近年、多くの関取を出している。3月場所では照ノ富士を筆頭に6人の関取がおり、現在は13人の現役力士がいる一大勢力だ。
鳥取城北高校よりさらに多いのが埼玉栄高校出身者だ。大関貴景勝をはじめ、3月場所では13人の関取(幕内7人、十両6人)がおり、現役力士も37人。これはパーセンテージで言えば、関取の18.6%、全力士の6.0%を占める数字となる。
最近では埼玉栄高校出身同士の対戦は当たり前のように組まれるし、平成31年3月場所3日目には埼玉栄高校出身力士が5番続けて出てくるという珍事もあるくらいの勢力になっている。
ただ、どちらの高校も大昔から強かったというわけではない。
そもそも高卒力士ですら目立ち始めたのが平成に入ってから。昭和の時代は中卒が主流で、高校や大学で実績を残せたトップレベルが時折大相撲の世界に来る程度だった。出身大学もそうだが、出身高校がスポットを浴びるようになったのもここ最近の話だ。
埼玉栄高校出身の関取1号は平成5年3月卒の栃栄なので、歴史としては30年程度。一方、鳥取城北高校出身の1号関取は栃栄より2学年下となる平成7年3月卒の琴光喜で、こちらも30年程度の歴史と言ってよいだろう。つまりは、平成初期から相撲の強豪高校が誕生し、それが今に続いているということだ。
朝青龍を生んだ明徳義塾は関取4人
そしてその次に出身者が多いのが、中退の千代翔馬を含めれば現在4人の関取を有する明徳義塾高校だ。朝青龍も中退ではあるが同校出身者で四股名の下の名前は明徳義塾高校からとった明徳(読みは「あきのり」)だ。その他、大関琴奨菊、関脇栃煌山といった名力士がOBに名を連ねる。
それ以前では、明大付属中野高校からの高校横綱(インターハイ優勝)は昭和30年代、50年代にも出ているが、大相撲の世界に入門となると三代目若乃花が高校中退。卒業者となれば前述した琴光喜と同学年の栃東が1号関取であり、同校から大相撲の世界で出世するというルートができたのは平成以降の話と言ってよいだろう。
勢力拡大中の飛龍、衰退した明大中野
そして近年になり勢力を伸ばしてきた高校もある。その1つが静岡県にある飛龍高校だ。古くは沼津学園という名称で、磋牙司や栃飛龍といった関取を生み出しているが、ここ数年、一気に飛龍高校卒業生が増えてきた。
昨年1月場所に新入幕で技能賞を獲得した翠富士や、3月場所に19歳の若さで十両に昇進した熱海富士も同校OBで、現役には8人の同校出身者がいる。20代前半の力士が多く、幕下経験者には現在23歳の栃幸大、21歳の鈴木、颯富士、20歳の篠原と同校卒業生が十両の座を伺っている。
だが、高校の場合、指導者が変わることで勢力図が変わるケースがある。埼玉栄高校の山田道紀監督の就任は昭和63年のことで、鳥取城北高校の石浦外喜義監督の就任も昭和61年。つまりは一代で部を強くし、大相撲に名力士を輩出してきたと言える。
若乃花、栃東といった名力士を生んだ明大付属中野高校は平成18年に武井美男監督が亡くなると、大学卒業後の平成21年に大相撲に入門した皇風を最後に同校からの入門者は途絶えている。
このように1人の指導者で勢力図が変わることもあるが、現在の大相撲においては埼玉栄高校、鳥取城北高校が二大巨頭と言える実績を残している。3月場所もこの両校出身力士同士の戦いが数多く見られるだろう。
ライバル校の出身力士の対戦なのか、高校の先輩と後輩の対戦なのか。そんなところにも目を向けてみると、また大相撲が面白くみられるのではないだろうか。
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