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姉に寄り添い、自分に勝った高木美帆は正真正銘のニューヒロイン

2022 2/19 06:00糸井貢
高木美帆,Ⓒゲッティイメージズ
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Ⓒゲッティイメージズ

最後の7レース目でついにつかんだ金メダル

高名な脚本家でも、気恥ずかしくて、こんなストーリーは描けない。日本選手団の活躍に熱狂した北京五輪。最終盤に訪れたクライマックスが大会14日目に実施されたスピードスケート女子1000メートルだった。

第13組に登場した高木美帆が1分13秒19の五輪新記録タイムで、後続のライバルにプレッシャーをかける。完全に「ゾーン」に入った27歳を上回るスケーターはいない。個人種目では自身初の五輪金メダル。大会中、苦悩ばかりが張り付いていた顔に、やっと「美帆スマイル」が戻った。

「全てを出し切り、悔いがないと思えるレースができた。金メダルを獲れたことで、嬉しさが倍増。形になって残った」

スタートラインに立った時、肉体はすでに悲鳴を上げていた。5種目にエントリーし、これがラストの7レース目。たった13日間で、肉体も精神も極限まで削る戦いを演じ、内臓へのダメージが断続的な咳の原因となっていた。

決して、本調子ではない。たとえ上位に絡まなくても、すでに今大会獲得した3つの銀メダルに対する称賛はあったはずだ。それでも、高木美帆には、戦うためのモチベーションがあった。

「7レース目で(金メダルを)獲れてうれしい」。自身で考え、迷い、決断した強行日程。自分を信じ、支えてくれたスタッフのためにも、最後のレースでこそベストを尽くす必要があった。そして歓喜のフィナーレ。冬季五輪では日本勢最多となる1大会4個のメダルが一層の輝きを増した。

パシュートで転倒した姉・高木菜那を抱擁

終わってみれば、金銀銅と1個ずつ獲得した前回2018年平昌五輪を上回る戦績。ただ、順風満帆な道のりだったわけではない。高木美帆自身が「この五輪は出だしがつらくて」と振り返ったように、序盤は「らしさ」が消えていた。

最初の個人種目だった1500メートル(7日)で銀メダルを獲った後も笑顔は封印。コメントに、イレイン・ブスト(オランダ)に敗れた悔しさだけをにじませた。

スケートの調子が上がらなかったことに加え、精神的支柱のヨハン・デビット・ヘッドコーチが新型コロナウイルス陽性でチームを離脱したことも影響。そして追い打ちをかけるようなアクシデントが15日の女子団体追い抜き(パシュート)で発生した。

2大会連続の金メダルを懸けたカナダとの決勝戦。逃げる日本と、追う宿敵の激しいデッドヒートが続いた。日本がわずかにリードして飛び込んだ最終コーナー。隊列の一番後ろを滑っていた高木菜那がバランスを崩し、転倒した。放心状態でチームメイトの元に戻る姉の元へ、だれよりも早く駆け寄ったのが美帆だった。

何も言わず、優しく抱擁。「掛ける言葉が見つからなくて…」。もしかすると、姉妹でともに世界と戦ってきたチームメイトのアクシデントは、自分が転倒するよりも辛かったかもしれない。その気丈な姿は、姉、チーム、さらには日本列島の心も打った。

5種目挑戦のハッピーエンド

振り返ると、高木美帆のレースには、必ずドラマが潜んでいた。500メートル(13日)の銀メダルは、「世界最高のオールラウンダー」を目指し、専門の中長距離と同じくらい短距離のトレーニングに取り組み、手にした進化の証明だった。

スポ根ドラマのような過酷な5種目挑戦、低迷からのハッピーエンド、そして姉妹の絆…。高木美帆がリンクで体現したのは、日本人が愛するストーリーの数々だった。

冬季五輪のアスリートは基本的に着用する装備が多く、競技中の表情が分かりづらく、感情移入がしにくい。それだけに、苦悩や迷い、悔しさや喜びをストレートに表現する高木美帆は、記録だけでなく、記憶にも残るスケーターといっていい。日本選手団の主将は、スケートの神様に愛され、そして北京五輪のヒロインになった。

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