ホテルでの隔離生活終え、外の景色に感動
FIFAクラブワールドカップの撮影のため1月27日にカタール・ドーハに入国してから隔離期間が1週間あり、ホテルの部屋から一歩も出られない生活が2月3日のお昼すぎに終わった。1週間お世話になったドクター、部屋の担当に挨拶をして専用車で次の宿泊ホテルへ向かった。
次はカタール政府が指定したドーハ市街地のリゾートホテルとは違い、日本で言うシティーホテル。外の景色が変わっていくことにすら感動を覚え、何よりも人と対面で話ができることが嬉しかった。
ここからはカタール国民と入国している外国人含め、すべての人がコロナ検査結果携帯アプリをインストールする必要があり、どこに行くのにも提示が必要だと事前に説明されたのだが、すでに問題が発生していた。
ホテルのチェックアウト時にそのアプリはまだ検疫中を示す黄色信号だったため、ホテルにチェックインすらできない状態だったのだ。その場は隔離されていたホテルに電話をしてもらい、事なきを得た。
だが、スーパーも入れない、コンビニも入れない、レストランのテイクアウトすらできない状態で、その日はまさかの飯抜きの状態でFIFAの事務所があるEducation City Stadiumに向かった。
Ⓒ小中村政一
今大会のカメラマンは最大40人で1試合20人のみ
1年2カ月ぶりのFIFAの職員との再会にテンションが上がり、握手をしようと思ったが「ソーシャルディスタンス」って言われ、ちょっと恥ずかしかった。
そこで今回のワールドカップの撮影許可書を頂き、1時間ほどミーティングをした。今大会は各試合カメラマン20人で、1日に2試合ある場合はどちらか一方の試合のみの撮影となり、FIFAクラブワールドカップの撮影をできるカメラマンは最大40人。リクエストは聞くが、必ずしも希望の試合を撮影できるとは限らないと説明を受けた。
もともと当初は3会場で行われるはずだったが、直前に2会場に変更したのもこのレギュレーション変更によるものだと思われる。振り分けはFIFAが決めるということだった。
すなわち、2月4日に初戦が行われるAhmad Bin Ali Stadiumのオープニングゲーム(UANLティグレスvs蔚山現代、17時キックオフ)か、2月4日にEducation City Stadiumで行われる2戦目(アル・ドゥハイルvsアル・アハリ)のどちらかのチョイスが必要だった。
私はオープニングゲームを選択し、2月7日に行われる5位決定戦(蔚山現代vsアル・ドゥハイル)と準決勝(パルメイラスvsUANLティグレス)の試合の振り分けは未定のまま、翌日の試合のためのPCR検査を受けに行くことになった。
FIFAが用意した検査場は、今大会のために来た出稼ぎ労働者なども一緒でスタジアムから30キロほど離れているため、往復するだけで約1時間かかる。検査場に行く途中には、来年行われるサッカーワールドカップの決勝戦が行われるスタジアムの建設現場の様子が見られた。私が2019年クラブワールドカップを撮影したときにはまだ基礎ができたぐらいだったが、今では要塞のようなスタジアムが姿を見せていた。
Ⓒ小中村政一
そのまま車を走らせ10分ほどで検査場に到着し、翌日行われる試合のための検査を受けて、無事検査済みのステッカー(青)を撮影許可書に貼ってもらった。
Ⓒ小中村政一
開幕前日は両チームの動画で予習
ホテルに戻ると、4日のオープニングゲームの仕上がり次第では、40人参加しているカメラマンのうち半分の20人は7日の準決勝には参加できずに5位決定戦に回される可能性があることを思い出し、試合の対策を3時間ほど考えた。
もし4日のオープニングゲームの撮影が認められるようなものでなく7日の5位決定戦に回されたら、必然的に8日に行われるバイエルン・ミュンヘンの準決勝もノーチャンスだと思った。なぜなら8日は1試合しかなく、そもそもその日撮影できるカメラマンは20人だけだからだ。前日パルメイラスの準決勝を撮影したカメラマンがそのままスライドするのが当然だと考えた。
すなわちオープニングゲームは絶対に落とせないと思うと、体が震えてきた。国際試合は2019年のクラブワールドカップ以来で、この鈍りきった腕でどこまで世界と勝負できるかは全く分からないし、自信などなかった。
そんなことを考えながらも、翌日のオープニングゲームに出場する両チームの動画を確認して翌日に備えた。
ほとんどがカタールの現地メディア、観客は100人程度
試合当日は、現地時間で17時キックオフということで運転手に13時にホテルに迎えに来てもらい、スタジアムに行って撮影を行うための場所決めをした。
私はチームベンチがある側のコーナーキックサイドを選び、そのままフォトグラファーグリーフィングに入る。今大会は前後半で座席の移動はできないということと、試合前の集合写真の撮影も禁止、試合開始10分前からハーフタイムを除く全ての時間において自分の席から離れないというレギュレーションだった。
座席の間隔も確保されていて、当初のFIFAからの伝達通り各コーナーサイドには5席づつしか用意されていなかった。
Ⓒ小中村政一
メディアセンターのフォトグラファールームも1室8人までしか入れない状態で、ほとんどがカタールメディアだ。17時の10分前で観客は100人程度で、ほとんど人がいない状態でキックオフされた。
予想以上に鈍っていた撮影感覚
1年1ヶ月ぶりの国際試合は最高の舞台だった。ただ、すぐに自分の感覚が思っていた以上に鈍っていることに気付かされた。
競り合いでヘディングを撮影する時にタイミングが合わなかったり、選手が行うフェイントに振り回されたりと、やはり世界のトップ選手の撮影となるとスピード、キレ、ボールの伸びなどが予想以上だった。
Ⓒ小中村政一
そこから自分の真骨頂である、一瞬を切り撮るということを一旦控えて無難な写真ばかりを撮り始めるが、手応えのある一枚を撮影することもなく、前半が終了した。
この時点で、自分が何を撮りたいかも明確化できていなかったが、そのまま後半へ突入。気がつけば前半と同じような精神状態で10分が過ぎ、このまま終わらせれば次の試合にも影響が出てくるし、準決勝の撮影権もますます分からなくなると思い、攻めることに決めた。
そこからは流し撮りなど色々と撮影にバリエーションと緩急をつけてみた。結局、調子が出てきたのが後半30分すぎで、手応えをつかみ始めた頃に試合が終了した。
Ⓒ小中村政一
自分の中で不完全燃焼の試合となった。
《ライタープロフィール》
小中村政一(こなかむら・まさかず)1979年6月18日、兵庫県西宮市出身。MLB(メジャーリーグ)、FIFA(国際サッカー連盟)、USGA(全米ゴルフ協会)公認カメラマン。3団体の主催試合を撮影できる世界でも数少ないフリーカメラマン。サッカーワールドカップやイチロー、ダルビッシュらも撮影。
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