激闘のツケ…両膝に人工関節
サプライズが誰よりも似合う、彼らしい別れの流儀だった。12日に開催された「サイバーファイトフェスティバル2022」(さいたまスーパーアリーナ)。リングに上がった武藤敬司は悲壮感を少しも表に出さず、重大な決断を打ち明けた。
「かつて“プロレスはゴールのないマラソン”と言った自分ですが、ゴールすることに決めました。来年の春までには、引退します」
予期せぬ言葉に、会場、いや日本中がどよめく。現役選手を退く年齢として、59歳は十分に想定の範囲内だ。若手時代からしのぎを削った同年代の選手も、多くはリングシューズを脱いでいる。それでも、だ。武藤だけは生涯一現役として、観客を魅了し続けると思い込んでいた。勝手に信じ込んでいた。
長年の激闘によるツケが蓄積し、両膝に人工関節を入れる手術に踏み切ったのが2018年3月。武藤によると、すでに股関節も悲鳴を上げ、将来的には人工関節に頼る可能性が高いという。
「断腸の思い」――。レスラーのロマンを貫くか、一人の人間として、第2の人生を大事にするか…。武藤が一言で表現した心境、そしてたどり着いた答えに、異論を挟める者などいない。
衝撃的だった全日本プロレス移籍
1984年のデビュー以来、武藤のレスラー生活は驚きとともにあった。端正なマスクと恵まれた体躯、柔道をバックボーンにしたナチュラルな強さと全身から漂う陽性のオーラで、新日本プロレス入門当時からスター候補生。1度目の海外遠征から帰国後、「610」(武藤の意味)と書かれた宇宙飛行士のヘルメットを手に、「スペース・ローンウルフ」なるギミックで売り出されたのは、ファンにとっては微妙な驚きで、本人にとっては思い出したくない「黒歴史」に違いない。
武藤自身がサプライズを演出していくのは、88年に2度目の海外遠征で訪れた米国マットからだ。80年代前半に爆発的人気を博したザ・グレート・カブキの息子という触れ込みのザ・グレート・ムタとして初めてヒールに。確かなレスリングテクニックをベースにしながら、毒霧、凶器攻撃で暴れ回る新たな悪役像で、瞬く間に全米のトップに上りつめた。
90年4月に帰国後も、橋本真也(故人)、蝶野正洋との「闘魂三銃士」で新日本の主力として君臨する一方、ビッグマッチでは化身の姿、ムタで登場。普段の武藤とは想像もつかないラフファイトを見せ、多くの観客を驚愕させた。
95年10月9日には、今なお国内最多動員観客記録として残る「新日本対UWFインター全面対抗戦」のメインイベントで、あの高田延彦とシングルマッチで激突。武藤が選んだフィニッシュ技に、東京ドームのスタンドが絶句した。
技として絶滅状態にあったドラゴン・スクリューから、古典的な4の字固め。UWF、そして高田が指向した格闘技路線へのアンチテーゼともいうべきラストシーンは、卓越したセンスが最も発揮された瞬間だった。
高田撃破で名実ともに新日本のトップに立ちながら、2年後には蝶野の誘いで、まさかの「nWo」転身。初めて反体制派として、相変わらずの自由奔放なファイトを見せた。00年12月31日の「INOKI BOM―BA―YE2000」では、超イメージチェンジともいえるスキンヘッド姿で初めて登場。大阪ドーム(当時)が揺れるほどのどよめきを誘った。
そして、当時の日本マット界が仰天した出来事が2002年1月に起きる。武藤が小島聡、ケンドー・カシン、何人かのスタッフを引き連れ、ライバル団体の全日本プロレスに移籍。アントニオ猪木の薫陶を受けた男が、宿敵とも呼ぶべきジャイアント馬場(故人)の王道プロレスを受け継ぎ、後に社長まで上りつめたのだ。
単独取材に応じたプロレスマスターが発した言葉
常に日本マット界の中心軸にいた武藤に、初めて単独で話を聞くチャンスを得たのが2013年9月だった。記者生活がどれほど長くなっても、素人時代から見て、憧れた取材対象と相対するのは胸がときめく。
初めて間近で見るプロレスマスターは、果たしてリング上と同じくクールだった。こちらの質問の意味を瞬時に読み取り、想像以上の答えで場を盛り上げていく。「新日本と全日本でトップを極めた武藤さんだからこそ、ですね」と伝えた時、真面目な顔で口にした言葉が今も心に響く。
「オレは新日本、全日本だけでなく、アメリカでもトップに立った。こんなレスラーは他にいないでしょ」
強烈なプロ意識を持つ武藤は昨年2月、史上最年長となる58歳1カ月でノアのGHCヘビー級王座に輝き、世間をあっと言わせた。もちろん、これは最後のサプライズではない。引退まで、あと何度リングに上がるのか。日本マット界が生んだ至宝は、想像もつかないラストシーンを必ず目論んでいる。
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