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プロレス界の一匹狼列伝、強さと哀愁を漂わせた愛しきレスラーたち

2022 5/16 11:00糸井貢
イメージ画像,ⒸBjoern Deutschmann/Shutterstock.com
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ⒸBjoern Deutschmann/Shutterstock.com

74歳タイガー戸口ついに引退

プロレス界の「虎」が、リングシューズを脱ぐ日が来た。劇画から飛び出したヒーロー、タイガーマスクの話ではない。ファンでも、相当の年期が入っていなければ、その名前さえ聞いたことがないかもしれない。

彼のリングネームをタイガー戸口という。「知らん」という諸兄も、向学のために(役に立つか保証できないが)、もう少し読み進めてほしい。今年で74歳の大ベテラン。全日本マットを主戦場にした1970年代には、ジャンボ鶴田(故人)のライバルとして活躍し、新日本へ移籍した80年代はアントニオ猪木の首を執拗に狙った。レジェンドの部類に入るトップレスラーが今月31日、後楽園ホールで開催される「ジャンボ鶴田23回忌追善興行」で引退試合を戦う。

戸口は日本より先に、アメリカでスターになった。当時、所属していた日本プロレスが73年4月に崩壊し、単身渡米。韓国人ヒールレスラー「キム・ドク」として、全米各地を転戦した。

全盛時は192センチ、125キロの堂々たる体躯。「空手などの格闘技に精通した謎の東洋人」というギミックが受け入れられ、あの「帝王」バーン・ガニアが持つAWA世界王座にも挑戦した。まさにアメリカンドリーム。野茂英雄がメジャーリーガーをきりきり舞いにする20年以上も前に、戸口はアメリカを席巻していたのだ(ちょっとオーバーか)。

インターネットが日常化した現代と違い、新聞も雑誌も海の向こうの情報に疎かった当時。彼の凄さが日本に十分届かなかった世相が悲しい。

鶴田との一連の戦いを除けば、日本マットの戸口は正直、印象が薄い。それを象徴するのが1981年9月23日の新日本・田園コロシアム大会。ビッグマッチのメーンイベントで、戸口は猪木とシングルで戦うチャンスに恵まれた。

今も語り継がれる「9・23田コロ」。ただ、伝説になったのは、スタン・ハンセンとアンドレ・ザ・ジャイアント(故人)のド迫力マッチであり、ラッシャー木村(故人)の「こんばんは事件」だった。

戸口は10分足らずで完敗。リングネーム公募の時、「タチツテ戸口」の応募に本人が激怒したエピソードと並んで、そこはかとないペーソスを感じる。

戸口とタッグを組んだキラー・カーン

そう、団体の後ろ盾がなく、アメリカという大国を相手に暴れ回った一匹狼は、強さとたくましさ、そして男の哀愁をリングに投影していた。新日本で戸口と長年タッグを組んだキラー・カーンも、その一人。こちらは弁髪のモンゴル人スタイルで、当時の2大マーケットだったNWAとWWFを主戦場に暴れ回った。

ヒールとしての評価を決定的にしたのが、フライング・ニードロップでアンドレの足を折ったアクシデント。「大巨人」との抗争はドル箱カードとなり、全米中から引っ張りだこになった。

日本帰国後は革命軍、維新軍と常に反体制派でファイト。引退後、都内で居酒屋を経営し、You tubeチャンネルも開設した。現在はS状結腸がんのため闘病中で、一日も早い「復帰」を願ってやまない。

毒霧を吹くザ・グレート・カブキ

ブームを風に例えるなら、「瞬間最大風速」でザ・グレート・カブキの右に出る者はいない。歌舞伎の連獅子姿、もしくは忍者モチーフの鎖帷子を着込んだスタイルでヌンチャクを振り回し、表情がまるで分からない顔全面のペイントでミステリアスさを演出。口から吐く毒霧に全米のファンが驚愕し、あっという間にトップスターになった。

戸口の頃と違い、カブキが登場した80年代は新聞、専門誌などでカブキの大ブレークを紹介。逆輸入で初来日となった83年には、日本でも「カブキブーム」が吹き荒れた。

毒霧を真似て、口に含んだジュースをあちこちに吹きまくって、リビングをビチャビチャにして親に怒られた経験を持つのは、筆者だけではあるまい。

アメリカの刑務所に投獄されたマサ斎藤

最後に、「一匹狼」の元祖ともいうべき、マサ斎藤(故人)に触れたい。長州力の師匠としても知られるレジェンドがアメリカに渡ったのは67年。日本と行き来しながら、20年以上に渡って、米マット界に君臨し続けた。

アウトロー揃いの中でも、アメリカの刑務所に1年半も投獄された経験を持つのは斎藤しかいない。出所後、「監獄ロック」を得意技にするなど、人生そのものがプロレスだった。

単なる色物レスラーなら、目の肥えたファンをうならせることなどできない。プロレスの基礎がしっかりし、セルフプロデュース力に長けていたからこそ、彼らは本場で成功を収め、巨額のファイトマネーを得た。人生をプロレスに捧げた戸口が、最後にどんな形で生き様を見せるのか。

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