ル・マンを制した日本を代表するドライバー
2007年、F1世界選手権最終戦のブラジルGPで16年ぶりにNAKAJIMAの名前が帰ってきた。1987年に日本人で初めてF1フル参戦を果たし、世界の扉をこじ開けた名ドライバー中嶋悟。
34歳という年齢でのデビューながら5年間F1で戦い、日本のF1ブームの火付け役となった中嶋悟が引退したのは1991年。あれから16年後の2007年に悟の長男である中嶋一貴がF1デビューを果たした。
2年間名門チームであるウィリアムズでF1を戦い、2010年に国内に復帰。F1ドライバーとしてのレベルの高さを見せつけ、2012年に国内のトップフォーミュラであるフォーミュラ・ニッポン(現SUPER FORMULA)のチャンピオンを獲得した。SUPER GT、SUPER FORMULAといった日本が誇る世界基準のレースで活躍する一貴はトヨタのエースとして再び世界に挑むこととなる。
2012年、トヨタのWEC(世界耐久選手権)参戦に伴い、一貴はチームに召集されたのである。WECはレース専用に作られたレーシングカー(プロトタイプカー)を3人のドライバーが交代しながらレースを行う耐久レースで、シリーズの中には世界三大レースのひとつ、ル・マン24時間レースも組み込まれている。
一貴は2014年、国内レースを優先し、WECではスポット参戦のみとなったが、それ以外はトヨタチームのエースドライバーとしてWECで活躍した。2014年にはシリーズの中で最も重要とされるレース、ル・マン24時間レースで日本人初のポールポジションを獲得。しかし一貴とトヨタはこの年ル・マンを制覇することができなかった。
最も優勝に近づいたのは2016年。トヨタ、そして一貴はレースを支配し優勝目前まできていた。しかしレース最終盤、トラブルによりマシンはストップ。残りわずか3分での悲劇だった。
長くル・マンに挑戦しながらも優勝ができなかったトヨタ。だが、20回目の挑戦となる2018年のル・マンでついにその時がやってくる。一貴が操るトヨタ8号車はチームメイトの7号車とのバトルを制し、ついにル・マン制覇を成し遂げたのだ。一貴は3人目の日本人ル・マンウィナーとして歴史に名を刻んだ。そして2019年6月に再び、ル・マンに臨む。