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2007年にF1初参戦を果たした中嶋一貴は今?

2019 6/2 15:00河村大志
2018年にル・マン24時間レースを制した中嶋一貴
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Ⓒゲッティイメージズ

ル・マンを制した日本を代表するドライバー

2007年、F1世界選手権最終戦のブラジルGPで16年ぶりにNAKAJIMAの名前が帰ってきた。1987年に日本人で初めてF1フル参戦を果たし、世界の扉をこじ開けた名ドライバー中嶋悟。

34歳という年齢でのデビューながら5年間F1で戦い、日本のF1ブームの火付け役となった中嶋悟が引退したのは1991年。あれから16年後の2007年に悟の長男である中嶋一貴がF1デビューを果たした。

2年間名門チームであるウィリアムズでF1を戦い、2010年に国内に復帰。F1ドライバーとしてのレベルの高さを見せつけ、2012年に国内のトップフォーミュラであるフォーミュラ・ニッポン(現SUPER FORMULA)のチャンピオンを獲得した。SUPER GT、SUPER FORMULAといった日本が誇る世界基準のレースで活躍する一貴はトヨタのエースとして再び世界に挑むこととなる。

2012年、トヨタのWEC(世界耐久選手権)参戦に伴い、一貴はチームに召集されたのである。WECはレース専用に作られたレーシングカー(プロトタイプカー)を3人のドライバーが交代しながらレースを行う耐久レースで、シリーズの中には世界三大レースのひとつ、ル・マン24時間レースも組み込まれている。

一貴は2014年、国内レースを優先し、WECではスポット参戦のみとなったが、それ以外はトヨタチームのエースドライバーとしてWECで活躍した。2014年にはシリーズの中で最も重要とされるレース、ル・マン24時間レースで日本人初のポールポジションを獲得。しかし一貴とトヨタはこの年ル・マンを制覇することができなかった。

最も優勝に近づいたのは2016年。トヨタ、そして一貴はレースを支配し優勝目前まできていた。しかしレース最終盤、トラブルによりマシンはストップ。残りわずか3分での悲劇だった。

長くル・マンに挑戦しながらも優勝ができなかったトヨタ。だが、20回目の挑戦となる2018年のル・マンでついにその時がやってくる。一貴が操るトヨタ8号車はチームメイトの7号車とのバトルを制し、ついにル・マン制覇を成し遂げたのだ。一貴は3人目の日本人ル・マンウィナーとして歴史に名を刻んだ。そして2019年6月に再び、ル・マンに臨む。

ル・マン連覇、そして年間王者へ

2018年に一貴はついにル・マンのウィナーの称号を手に入れた。しかし、今年のル・マンは一貴にとってさらに重要な意味を持つレースとなる。

1つは名誉あるル・マン24時間をもう一度優勝すること、そしてもうひとつはWECのシリーズチャンピオンがかかった一戦だからだ。WECの2018/2019シーズンの最終戦となる今年のル・マンは伝統の世界三大レースであるだけではなく、世界チャンピオン決定の場でもある。

2輪では数多くの日本人チャンピオンが誕生しているが、4輪に関してはPWRC(プロダクションカー世界ラリー選手権)でチャンピオンに輝いた名ドライバーの新井敏弘ただひとりである。4輪での世界チャンピオンをモータースポーツ発祥の地フランスが誇る伝統のル・マンで獲得することになれば、間違いなく日本のモータースポーツにおいて最高の快挙となるだろう。

一貴の持ち味はただ速いだけではなく、「クルマが嫌がらない運転ができる」ことである。マシン、タイヤを無駄に消費させることなく、コンスタントに速いラップタイムを刻めるのは、一貴の最大の武器ではないだろうか。

この武器が最も光り輝くレースが長丁場のWEC世界耐久選手権である。初年度から毎年参戦している一貴の評価は非常に高く、WECにおいて最も速いレーサーは一貴だという評判を耳にするほどだ。

WECにおいて最速のドライバーと呼ばれる一貴、この評価をル・マン連覇、WECのチャンピオン獲得で絶対的なものにして欲しい。

ル・マン24時間レースは2019年6月15日から6月16日に行われる。6月16日、中嶋一貴が日本人史上2人目の4輪競技の世界王者になることを期待したい。