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F1日本グランプリ 記憶に残る鈴鹿の名シーン3選

2019 10/10 06:00河村大志
1989年の鈴鹿でリタイアしたプロストⒸゲッティイメージズ
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Ⓒゲッティイメージズ

1989年日本GP 天才二人が文字通り激突したレース

2019年日本GPは、10月11日から13日に鈴鹿で開催される。過去に数々の名勝負が繰り広げられた鈴鹿。その名シーンを振り返る。

まずはF1、そして日本GPといえばこの1989年を思い出す人が多いのではないだろうか?当時最強チームでジョイントナンバーワンとして激しく争っていたアラン・プロストとアイルトン・セナの前年から続く関係の悪化がピークに達した年でもあった。

この年のサンマリノGPでレース前に1周目は追い越しをしないという紳士協定をセナが破ったことから二人の関係が一気に悪化し、マクラーレンチームは完全にチームが分断した状態で日本にやってきた。

鈴鹿、そして最終戦で優勝しなければチャンピオンになれないセナは予選で見事ポールポジションを獲得。一方ポイント差に余裕があるプロストは決勝を見据えてマシンを仕上げていった。これまでのレース展開であれば、余裕のあるプロストは2位でフィニッシュし確実にチャンピオンに王手をかけていただろう。圧倒的優位に立っているのにわざわざリスクを冒してまで優勝を狙うなど、プロフェッサーと呼ばれたプロストがそんなことをするはずがない。

しかし、この時のプロストは勝負をかけていた。スタートで抜群のスタートを切ったプロストはトップで1コーナーへ。セナは2位に後退しプロストを追う。予選を2位で終えたプロストであったが、決勝を見据えストレートスピードを上げたセッティングが見事にはまり、セナはなかなかプロストを捉えることができない。

レースが動いたのは47周目のシケインだった。セナはある周回のあるポイントで勝負すると決めた、というよりそこしかなかった。一方プロストもそれがわかっていた。西ストレートから130R、そしてシケインにかけてプロストとの距離を一気に縮めるセナ。そしてシケインでプロストのインに飛び込むも、プロストはライン通りに走り2台のマクラーレンホンダは接触し停止した。

鈴鹿に悲鳴が上がった瞬間であった。セナが優勝しなければチャンピオンが決まるプロストはマシンを降りたが、セナはあきらめずコースマーシャルの手を借りてエスケープロードからコースに復帰した。

ピットに入りマシンを修復し、コースに戻るとセナは鬼神のような走りを見せ、残り3周のシケインで再びトップに立った。そこはプロストと当たったあのシケインであった。奇跡のような逆転劇に鈴鹿は盛り上がったが、表彰台にセナの姿はなかった。なぜなら、コース復帰の際、エスケープロードからセナは復帰したが、これをシケイン不通過と判断され失格となったのだ。

接触によりチャンピオンが決まり、なおかつ大きな疑問が残るこの裁定。実に後味の悪い結末となってしまったが、未来永劫語られるであろうセナ・プロという名作において、欠かすことのできないレースと言えるだろう。

2005年日本GP。歴史に残る大大大逆転劇!

この当時の予選方式は今のF1と違い、前戦のレース順位の逆から行われていた。つまり上位でフィニッシュすれば次戦の予選で後の出走になり、有利となる。しかし、急に天候が悪化すればドライで走ったマシンより速く走ることができないため、時として上位チームが下位からのスタートになることがあった。それがこの年の日本GPであった。

トップチームがまさにこの影響を受け、この年のチャンピオンを決めていたフェルナンド・アロンソが16位、アロンソとチャンピオン争いを演じたキミ・ライコネンが17位、ライコネンのチームメイトであるファン・パブロ・モントーヤが18位からのスタートという波乱の予選となった。

後方からスタートした上位勢はスタートするや、見事にジャンプアップ。まず観客を魅了したのは新王者アロンソだった。19周目の130Rでこれまで絶対王者だったミハエル・シューマッハをアウトからパスするという大技を決めた。高速コーナーである130Rでアウトからオーバーテイクを決めるのは至難の技であり、なおかつ相手がシューマッハということもあり、このレースの重要なファクターとして記憶している人も多いだろう。まさに新旧王者の激突、世代交代を印象付けたシーンであった。

しかし、このレースのハイライトはこれではなく、F1の歴史上、最も鮮やかで見事な逆転劇だった。 アロンソが見事にシューマッハをオーバーテイクする中、17位スタートのライコネンも順位を上げていた。トップを快走していたジャンカルロ・フィジケラは一時2位以下に20秒近くマージンを稼ぎピットインし、トップでコースに戻る。そんな中、ライコネンが最後までピットインを遅らせ、45周目にピットへと入る。これにより2位でコースに復帰した。

フィジケラとライコネンとの差はこの時5.4秒と普通なら安全マージンと言って良いが、ライコネンより先にピットインし、タイヤを消耗しているフィジケラはタイムを上げることができない。一方、タイヤを替えたばかりのライコネンは猛烈な追い上げを見せ、残り3周でフィジケラに追いついた。追い抜きが難しい鈴鹿で息を飲むトップ争いは、残り2周のホームストレートでライコネンが仕掛けるもラインを変えながらフィジケラが守る。そして、ファイナルラップに入るホームストレートでライコネンがフィジケラに並び、1コーナーでオーバーテイク。17番手スタートから優勝という離れ業をやってのけた。

我々、日本のファンのみならず世界中のF1ファンにも強いインパクトを与えたライコネンの大逆転劇。普段クールでアイスマンと呼ばれるライコネンも、この年の鈴鹿がキャリアの中でベストだったと熱く語っている。ちなみに2年後の2007年にライコネンは大逆転で世界チャンピオンに輝いた。ライコネンは奇数年に成績が良い(年間順位2003年2位、2005年2位など)大逆転男なのかもしれない。

2012年日本GP。小林可夢偉が魅せた22年ぶりの快挙!

1990年の日本GPで鈴木亜久里が日本人として初めてF1の表彰台に上がった。この快挙は大きな話題になった。そして22年経った2012年、日本GPで小林可夢偉が再び日本人3位表彰台をやってのけた。

予選で4位という好成績を残した可夢偉は、予選3位だったジェンソン・バトンのグリッド降格ペナルティーにより3番手からのスタートとなった。これは日本GPにおいて日本人歴代最高グリッドからのスタートでもあった。

スタートではポールポジションスタートのセバスチャン・ベッテルが好スタートを決める中、2番手スタートのマーク・ウェバーがスタートをミスし、3番手スタートの可夢偉が2位に上がる最高の出だしとなった。

後方ではチャンピオン争いを繰り広げていたアロンソがリタイヤ、さらにロマン・グロージャンがウェバーに接触し、そのウェバーは最後尾までポジションを下げるという波乱の幕開けでもあった。

波乱の中、レースをリスタートし14周目に3位のバトンがピットイン。アンダーカットを防ぐべく可夢偉も15周目にピットインし、バトンの先行を阻止したが、2台ともペースの上がらないダニエル・リカルドの後ろに入ってしまい、ペースを上げることができない。そんな中、自分のペースで走り、18周目にピットインしたフェリペ・マッサが可夢偉とバトンの前、2位に浮上した。

その後、可夢偉は32周目に2回目のタイヤ交換を行い、バトンは37周目にピットイン。可夢偉より5周分タイヤが新しいバトンは可夢偉との差を徐々に縮め、DRSが使える1秒以内まで追いついた。22年ぶりに鈴鹿で日本人ドライバーの3位表彰台がかかる1戦だけあって、鈴鹿にいるファン、日本中のファンが可夢偉に声援を送った。1つのミスも許されない状況の中、可夢偉はミスを犯さず、2009年のワールドチャンピオンを抑え切ったのだ。

3位を守った可夢偉。1990年の鈴木亜久里、2004年の佐藤琢磨のアメリカGPに続き、F1で3人目となる日本人の表彰台獲得となった。鈴鹿全体に巻き起こる可夢偉コール、そして表彰台から英語だけではなく日本語で歓声に応えた可夢偉の姿を私たちは忘れることはないだろう。

そして今年の日本GPでは5年ぶりに日本人ドライバーがF1を走る。それは、フリー走行1にトロロッソ・ホンダから2度のSUPER FORMULAで2度、SUPER GTでもチャンピオンを獲得したホンダのエース、山本尚貴が出走する。

フリー走行1だけの出走となるが、この1セッションで最高のパフォーマンスを発揮して来季へのアピールをしたい山本。国内最速であり、何より鈴鹿を得意としている山本だけに好印象を与える走りを期待せずにはいられない。

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