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フィギュアスケート初実施は夏季五輪、冬季に移った意外な歴史

2022 1/30 06:00田村崇仁
羽生結弦,Ⓒゲッティイメージズ
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Ⓒゲッティイメージズ

1908年夏季ロンドン五輪で初めて実施

芸術性と競技性を併せ持ち、華やかな冬季競技として日本でも人気が高いフィギュアスケート。2月の北京冬季五輪で日本のエース羽生結弦(ANA)は、男子シングルでギリス・グラフストレーム(スウェーデン)以来94年ぶりとなる3連覇の偉業に挑戦するが、歴史を振り返れば、初めて五輪の競技になったのは、1908年の第4回ロンドン夏季五輪だったことは意外と知られていない。

当時は冬季競技に特化した「北欧競技会」はあったものの、冬季五輪がまだ存在せず、メダルを競い合ったのは男女シングル、ペアと現在にも残る種目に加え、最初で最後の登場となる「スペシャル・フィギュア」の4種目だった。

この種目は片足で氷の上に図形(フィギュア)を描くように滑るもので、スケートの技術とバランスが勝敗を左右。どれだけ正確にロゼットや星、十字などスケーター自身が創意工夫を凝らした複雑かつ精巧な図形が描けるかを争った。審査委員を魅了し、優勝したのはニコライ・パニン(ロシア)だった。

伝説のスケーター、サルコーが初代王者

スケートの起源は石器時代までさかのぼるが、フィギュアは貴族社会を中心に広まり、米国のジャクソン・ヘインズが音楽伴奏とともにバレエや社交ダンスで用いられるダンスの動きを取り入れたことで発展。

五輪デビューとなったロンドン大会は市内のナイツブリッジの屋内スケートリンクが会場となり、欧米やロシアの6カ国から21人のスケーターが出場。その中でも最も人気を集めたのは圧倒的な技術の高さとジャンプを持った伝説のフィギュアスケーター、ウルリッヒ・サルコー(スウェーデン)だったと伝えられている。

現在ある6種類のジャンプ要素の一つ、サルコーは彼が初めて跳んだことに由来する。世界選手権を10度、欧州選手権を9度制し、ロンドン五輪でも男子シングル初代金メダリストに輝いた。引退後の1925年から1937年は国際スケート連盟(ISU)の会長も務めた先駆者だった。

第1回冬季五輪は1924年シャモニー大会

冬季五輪が独立して第1回大会を開いたのは1924年。1896年の第1回夏季五輪(アテネ)から28年遅れだった。

近代五輪創設に当たり、冬季競技はスケートが当初採択されたが、アテネには凍った湖もなく、実際に行われなかった経緯がある。その後もフィギュアなどが1908年夏季ロンドン五輪の一部として実施されたが、古くからスキーの「ノルディックゲームズ」を開催していた北欧諸国の反対もあって冬季五輪の独立はなかなか実現しなかったという。

一方で国際オリンピック委員会(IOC)には冬季五輪独立に熱心な動きもあり、1924年夏季パリ五輪開催に当たり、それに先立ってフランスのシャモニー・モンブラン地域で「国際冬季競技週間」という名の大会を開催。

これに北欧諸国を含む16カ国が参加し、スキー(クロスカントリー、ジャンプ、複合)、スケート(フィギュアとスピード)、アイスホッケー、ボブスレーの4競技16種目を実施。欧米を含めて好評だったことからIOCは翌年この大会を「第1回冬季五輪」として追認することに成功し、フィギュアも夏から冬に移行が実現したという歴史がある。

グラフストレームは夏冬の同種目で金に輝く唯一の選手

フィギュアが五輪デビューしたロンドン大会後、第一次世界大戦の影響で中止などを挟んで、復活したのは1920年アントワープ夏季五輪だ。

当時43歳だったサルコーも技術の高さは健在だったものの、金メダルを獲得したのはキャメルスピンの原型を考案した人物としても知られているグラフストレーム。美しい演技を愛するところも羽生と共通していたとされ、1924年の第1回シャモニー冬季五輪でも頂点に立ち、夏季と冬季の五輪同種目で金メダルに輝いた唯一の選手となった。

そしてグラフストレームは1928年にサンモリッツで開催された冬季五輪まで前人未到の3連覇を達成。その偉大な記録に、第24回を迎える北京冬季五輪で羽生が挑む。

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