当時16歳、自宅は全壊判定で避難生活も
2011年3月11日、当時16歳だったフィギュアスケート男子の羽生結弦(ANA)は、故郷である宮城県仙台市のスケートリンクで練習中に東日本大震災に遭遇した。
忘れもしない「あの日」から10年。自宅は全壊判定を受け、体育館でガスも電気もない避難生活も送った。リンクは一時閉鎖され、全国を転々としながら練習を続けた日々。2014年ソチ、2018年平昌両冬季五輪で男子66年ぶりの2連覇を達成し、国民栄誉賞を贈られた26歳の羽生は「自分たちの住んでいた町が壊れていく。悔しさを感じた」と当時の心境を胸に刻み、機会があるごとに震災の被災地を訪れてきた。
そんな羽生の思いをつづったパネルや被災地を訪れた際の写真、震災をテーマにした演技の際に着用した衣装「天と地のレクイエム」など約80点を展示した「羽生結弦展、共に前へ」が2020年12月から東京都内で始まり、全国を展開。2月26日から3月14日までは地元の仙台市で開かれ、2021年末まで各地を巡回する予定だ。
震災の風化が進む中、改めて震災について考え、防災への意識を高める機会にしたいと願いを込めた。
節目の年「自分も成長できる1年に」
震災から10年、くしくも2021年2月13日深夜、宮城、福島両県で最大震度6強の地震を観測した。その影響で仙台のスケートリンクは安全確認が取れるまでは営業を中止したが、約1週間後に館内の補修作業を実施して安全の確認が取れたとして営業を再開。時を経ても被災地の余波は続く。
節目の2021年を迎えた羽生は日本スケート連盟の公式ツイッターで「2020年が本当に大変な年だったので、なるべく皆さんに早く平穏が訪れることと、僕自身も少しでも皆さんの役に立ったりとか、もちろん自分自身もしっかり成長したなという1年にしたいなと思います」と新たな決意を表明している。
「311秒」の祈り
2020年5月、羽生は日本スケート連盟の公式ツイッターで自らの振り付け動画公開し、震災が起こった3月11日に合わせた再生時間「311秒」(5分11秒)に込めた思いも話題になった。
自身も被災した震災以降に披露した17曲の振り付けを再現。2011年当時のショートプログラム(SP)曲「白鳥の湖」を皮切りに、最後は五輪2連覇を成し遂げた2018年平昌大会など数々の伝説を打ち立てたプログラム「SEIMEI」の冒頭ポーズで、新型コロナウイルスに苦しむ世界に平穏の日が訪れる祈りと願いを届けた。
世界王者奪還へネイサン・チェンと直接対決
国際スケート連盟(ISU)は3月4日、フィギュアの2022年北京冬季五輪出場枠を懸け、3月24日開幕の世界選手権(ストックホルム)を予定通り開催すると発表した。
新型コロナウイルスの影響で昨年の大会は中止。世界選手権2連覇中のライバル、ネイサン・チェン(米国)との直接対決に注目が集まり、羽生は4年ぶり3度目の世界王者へ再び挑む。
2020年12月の全日本選手権では合計319.36点をマークし、2位の宇野昌磨(トヨタ自動車)に35点近い差をつけて5年ぶり5度目のの頂点に立った。新プログラム「天と地と」を演じたフリーではループ、サルコー、トーループの3種類4度の4回転ジャンプを成功。直後のテレビインタビューでは「今、この世の中は闘うことがたくさんありますけど、何か皆さんの中に闘う芯みたいなもの、向かっていく芯みたいなものが見えたら良かったなと思います」と語った。
そして世界選手権への抱負を問われ「何より世界に平穏が戻って、僕自身もそうですけど、それを願っている」と慎重に話すにとどめた。
自らの演技で「生きる活力」に
コロナ禍での世界各国の医療従事者の献身ぶり、職を失った人々、社会の疲弊ぶりを理解しているからこそ、羽生は自らの演技で一瞬でも誰かの「生きる活力」につなげればと願う。
震災前年にジュニアのグランプリファイナルを14歳の史上最年少で優勝し、世界ジュニア選手権を優勝。次代のエースとして期待が集まる中、被災を経験した羽生は復興支援のために全国のアイスショーにも出演して競技を続けてきた。
震災、コロナ禍と悲しみや苦しみに直面した人々に寄り添う活動を続けながら迎えた節目のシーズン。「絶対王者」羽生が氷上で持てる力を表現し、世界王者のタイトルを奪還する日を多くの人が心待ちにしている。
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