異例の決断、シーズン途中にプログラムを変更
2020年2月に行われた四大陸選手権。その直前に、羽生結弦がプログラムを変更することが判明し、ニュースでは「異例の決断」の文字が躍った。
シーズン途中で曲を変更したことで、「異例」という言葉を用いたと思われるが、フィギュアスケートの歴史をひもとけば、実はさほど珍しいことではない。ただし、変更後のプログラムは平昌五輪でも演技した「バラード第1番」と「SEIMEI」。ほとんどの選手が新しいシーズンに新しい曲をもってくるなかで、同じ曲を複数シーズンにわたり使用すると、新鮮味がなくなったり、以前の演技を超えないといけないというプレッシャーもかかってくる。
羽生の場合は特に、「バラード第1番」「SEIMEI」ともにすでに数シーズン使っており、五輪連覇したことでほぼ全国民が目撃しているといっても過言ではない。
結果としては、SPで自身の持つ世界最高得点を更新するなど圧巻の演技で大会を制した。本人の思い入れもあり、また五輪での演技は多くの人の記憶に残るものでもあり、それをまた新たに演技するというのは、かかるプレッシャーはとてつもなく大きく、勇気のいる決断だったはずだ。そんな状況をおしてでも、プログラムを変更したのは「自分の演技」「自分のスケート」を取り戻したかったからだろう。
全日本選手権のエキシビジョンで取り戻した自信
羽生結弦の戦績を世間的にみれば、順風満帆のように捉えられがちだ。ただ、輝かしい戦績を残すに伴い、プレッシャーも難易度も格段に上がっている状況のなかで、ジャンプ、スピン、ステップなど全ての要素をミスなくこなすことは想像を絶する困難さである。
それらの要素を揃えてなお、曲の世界を表現し、その中に没頭していくことが、羽生の理想とする完成形だ。2019-20シーズンはその完成形はかすかに見えながらも、思ったほど点数が伸びないなど悩みの多いシーズンだったかもしれない。
2019年12月の全日本選手権のエキシビジョン。羽生は連戦後の満身創痍と思われる状況にも関わらず、果敢にも五輪以来初めて「SEIMEI」を演じ、輝くようなクオリティで会場を圧倒した。
羽生自身もこの演技ができたことで自信を取り戻し、プログラム変更を考えたという。その結果が、四大陸選手権での初優勝、スーパースラム達成につながった。
羽生結弦のプログラムの完成度が高い理由
そもそも、羽生のプログラムが多くの観衆を魅了するのはなぜだろうか。そこには羽生の「音楽」に対するこだわりの深さが関係していると考える。
フィギュアスケートという競技は、会場に曲をかけて滑るという、一風変わったスポーツである。課題曲があるわけではなく、各選手がそれぞれに選曲し、ショートプログラム(SP)は2分40秒±10秒、フリースケーティング(FS)は4分±10秒という規定に合わせて編曲する。
音と一体となって滑るということに関して、羽生結弦は「『スケート=音楽』であり、それがあるからこのスポーツをやりたいと思った」というようなことを言っている。「小学生の頃、『シング・シング・シング』を初めて聴いたときに、自然と踊り出し、『この曲で滑りたい!』と思ったのを覚えています」と。
音楽を聴いて、同時に体を動かしたくなるというプリミティブな心の動きを、子供の頃から強く感じ取っていたことがわかる。
また、彼がイヤホンマニアであることは有名な話だが、繊細な音を感じ取る力、音とリズムに対応する感覚が、スケートにも大いに影響をしていることは想像に難くない。
そして、「SEIMEI」以降、羽生自身がプログラムの編曲にも携わるという経験をしている。曲作りに関わり、1秒1秒にもこだわることで、自分の呼吸やリズムと一体化しようとしている。そして、こうした曲に対する理解の深さが、スケート競技におけるプログラム全体の完成度の高さ、また理想の高さにつながっていると考えられる。
プルシェンコ「ニジンスキーに捧ぐ」
ちなみに特定のプログラムを再演する選手は羽生だけではない。ほかの選手(スケーター)の例として、エフゲニー・プルシェンコの「ニジンスキーに捧ぐ」、ジョニー・ウィアーの「Creep」を挙げたい。
プルシェンコの「ニジンスキーに捧ぐ」は、2004年に芸術点満点のオール6.0を叩き出した伝説のプログラムと言われている。このプログラムを、彼は近年もアイスショーで披露している。「フィギュアはスポーツだ」と言い、高難度の技を追い求める姿勢を貫く一方、このプログラムで演技する芸術性の高さは革新的だった。
プルシェンコ自身のダイナミックかつ着実にコントロールされた体全体の動きに加え、ドラマチックな曲の展開と見事に呼応する、ニジンスキー(伝説のバレエダンサー)をオマージュした特徴的な振り付けは、今も観客を確実に魅了する。15年以上も経て、伝説のプログラムを磨き続けているというのは、プルシェンコを敬愛する羽生結弦にとっても心強く、励まされることだろう。
ウィアー「Creep」
ジョニー・ウィアーはステファン・ランビエールやジェフリー・バトルとともに時代を築いたスケーター。その指先まで行き届いた美しいスピンは羽生結弦も手本にしているという。
プロスケーターとしての彼の代表作とも言われる「Creep」は、レディオヘッドの名曲のカバー。ウィアーは音楽やファッションにも造詣が深いことで知られ、衣装デザインも自身でこなしている。
この「Creep」の衣装は最もシンプルで最もゴージャス。このロングドレスをまとって歌うように舞う至高の演技が観客の心を揺さぶり、2015年に初演後、複数年にわたり再演されている。曲の世界を深く理解し、技術がなければできない身のこなしと情念溢れるスケーティングで表現するということに関しては、このプログラムを見れば一目瞭然だ。
アイスショーの特別企画でのプルシェンコの言葉
さて、ここまで特定のプログラムを再演する選手を紹介してきたが、最後に選手がプログラムにどのように向き合っているか垣間見える一例を示したい。
羽生結弦が、自身のプロデュースするアイスショーの特別企画で、プルシェンコに直接インタビューを行ったことがある。羽生が「ライバルのアレクセイ・ヤグティン選手と戦っていた時、いろいろなことを世界中から言われたと思いますが、どのようにスケートと向き合っていたのか、どのように心を強く持っていたのでしょうか」と質問したときのプルシェンコの回答がこちら。
「私にとって、フィギュアスケートは人生そのもの。結弦くんもよく分かっていると思うけれど、やはりNo.2は、負けなんです。敗北であると。これはやっぱり大変なことなんです。
ただ、私は、練習するのも好き、試合をすることが好き、学ぶことが好き、プログラムを作ることも、プログラムを演じることも好き。そして人々に喜びを与えること、これが一番が嬉しいのです」
プルシェンコを尊敬してやまない羽生の心に、この言葉は響いたことだろう。
同じプログラムを磨き続けるにせよ、新しいプログラムを一から作るにせよ、想いは一つ。「自分のスケートと向き合う」という点では変わりはない。完成形の理想が高いからこそ、曲との一体化を追求し、向上する挑戦をし続けていくのだろう。
今夏はアイスショーの開催も危ぶまれる状況ではあるが、次なるシーズンまで、楽しみは尽きない。
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