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東京五輪フェンシングの「王様」エペ団体金メダルは世界も驚く金字塔

2021 8/3 06:00田村崇仁
フェンシング男子エペ団体で金メダルに輝いた日本代表,Ⓒゲッティイメージズ
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Ⓒゲッティイメージズ

近代五輪初、合言葉は「エペジーーン!」

日本フェンシング界が「エペジーーン!」を合言葉に世界も驚く新たな金字塔を打ち立てた。

東京五輪の男子エペ団体で7月30日、山田優(自衛隊)宇山賢(三菱電機)加納虹輝(JAL)見延和靖(ネクサス)の4人で臨んだ日本が、この競技で初めての金メダルを獲得した。中世の騎士による剣術がルーツとされ、競泳、陸上、体操、レスリングなどと1896年の第1回アテネ大会から現存するフェンシング。近代五輪125年の歴史に初めて「金」に日本の名が刻まれた。

五輪で実施されるフェンシング3種目の中でも全身を攻撃できるエペは王国フランスを中心に本場欧州で人気が高く、世界の競技人口が最も多い。「キング・オブ・フェンシング」と呼ばれる所以だ。

得点となる範囲「有効面」はフルーレの胴体部、サーブルの上半身に対して足先まで含めた全身と最も広く、突けば得点となる分かりやすさもその理由にある。さらに攻撃権のルールがあるフルーレ、サーブルと異なり、先に突いた選手がポイントを得るルールの明快さも魅力の一つだ。

日本でマイナー、世界ではメジャー

「日本でマイナー、世界ではメジャー」とチーム最年長の34歳、見延が言う通り、まさに「世界最強」を証明する価値ある金メダルだった。

過去の日本勢の五輪メダルは2008年北京五輪の太田雄貴ら男子フルーレの「銀」2つのみ。高校総体でも団体があるのはフルーレだけで、そんな伝統種目への対抗心も胸に結束した4人の意地の勝利でもあった。

「エペジーーン!」とは「フルーレ陣」「サーブル陣」と区別する意味の「エペ陣」から来ている。「ジンではなくジーーンなのは、じーーんと人を感動させるチーム」という見延の思いを込めた「造語」だ。本気でエペの注目度を上げようと発信してきた成果が実った。

中国の壁を越えた卓球「金」に並ぶ偉業

日本がフェンシングで五輪に初参加したのは1952年ヘルシンキ大会。1964年東京五輪は男子フルーレ団体4位で、その44年後の2008年北京五輪で太田が日本史上初の表彰台となる銀メダルを獲得し、一躍脚光を浴びた。

だが当時の日本協会はフルーレに強化予算を集中投下する戦略。2012年ロンドン五輪でフルーレ団体も銀メダルに輝くと、外国人コーチの指導でエペの強化にもようやく本腰を入れるようになった。

見延は2018~2019年ワールドカップ(W杯)など国際大会の個人で計4勝を挙げ、日本勢初の年間世界ランキング1位にも輝いた。2019年のW杯個人では加納が初優勝。その後も山田がW杯より格上のグランプリ(GP)で初制覇と着実に力をつけた。

今大会は卓球の混合ダブルスでも水谷隼(木下グループ)伊藤美誠(スターツ)組が五輪で初めて中国の壁を破り、日本卓球界初の「金」に輝いたが、欧州の壁を初めて突破したエペの偉業も歴史的な快挙だった。

リザーブ宇山賢の投入光る、加納虹輝も活躍

各チーム3選手が総当たり戦で計9試合を行うエペ団体戦。日本は開催国枠ながら初戦の米国戦を8点ビハインドから45-39で制した逆転劇で勢いに乗った。リザーブだった宇山を投入し、チーム最年少23歳の加納が最後の大役を担う戦略も当たった。

準々決勝では五輪3連覇中かつ世界ランク1位のフランスを45-44で撃破。準決勝でも韓国を45-38と圧倒した。決勝は個人資格で参加しているロシア勢のROCを45-36で下し、歓喜の瞬間を迎えた。

日本協会前会長の太田氏は自身のツイッターで補欠に回ったキャプテン見延の役回りに触れ「見延選手はユニホーム姿でベンチに。試合には出れないけど、『共に戦う』姿勢が見れた瞬間。本物のチームワークがそこにあった」とコメントした。日本フェンシング界にフルーレだけでなく「エペの時代」がようやく到来した。

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