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ついに引退…日本ボクシング界の激闘王・八重樫東の功績

2020 9/2 12:35SPAIA編集部
八重樫東Ⓒゲッティイメージズ
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Ⓒゲッティイメージズ

3階級制覇の「激闘王」

プロボクシングでミニマム、ライトフライ、フライの3階級で世界王者になった八重樫東が現役引退を発表した。2019年12月にIBF世界フライ級王者モルティ・ムザラネ(南アフリカ)に9回TKO負けした後も再起を模索してきたが、37歳という年齢もありグローブを吊るすことを決断。今後は大橋ジムのトレーナーを務める予定という。「激闘王」と呼ばれるほど激しい打ち合いでファンを魅了した八重樫の功績を振り返りたい。

アマチュア56勝の実績を引っ提げてプロ入り

1983年に岩手県北上市で生まれた八重樫東。黒沢尻工業高でボクシング部に入り、高校2年時にインターハイ・モスキート級で優勝。その後、ボクシングの名門、拓殖大学に進学すると国体ライトフライ級で優勝を果たす。

アマチュアでは70戦56勝(15KO・RSC)14敗の戦績を残し、2005年に大橋ボクシングジムに入門。何人も世界王者を輩出してきた猛者が集うジムでプロボクサーとしてのキャリアをスタートさせた。

2度目の世界挑戦で掴んだ世界王座

プロデビューから7戦目で初めて世界挑戦のチャンスをつかんだ八重樫。WBC世界ミニマム級王者のイーグル京和に挑んだが、2ラウンドに受けたバッティングで顎を2箇所骨折し、0-3の判定負けを喫した。

1年近いブランクを経て復帰後は、ノンタイトル戦を経て日本ミニマム級王座を獲得。3度防衛を経た2011年10月、WBA世界ミニマム級王者のポンサワン・ポープラムック(タイ)に挑戦することになった。

序盤から果敢に攻めた八重樫が、タフネスで鳴る王者を後退させ10ラウンドTKO勝ち。イーグル京和戦から4年の月日を経て初めて世界王座に登りつめた。

日本初の王座統一戦で繰り広げた井岡一翔との激闘

初防衛戦は2012年6月20日、WBC同級王者・井岡一翔との統一戦。日本人王者同士が王座統一戦を行うのは史上初ということで話題をさらった。

ポンサワン戦と同じく序盤から攻め続けて井岡を追い詰めようとするものの、反撃に転じた井岡のパンチにより、1ラウンドに左目、3ラウンドに右目を腫らす展開。ドクターストップを避けるために一気に勝負を仕掛けたが、井岡にかわされ、有効打を浴びた。

両目の視界を奪われる苦しい状況にもかかわらず、八重樫は中盤以降もほぼ互角の戦いを続けたが、フルラウンドを戦って0-3の判定負け。敗れたとはいえ、ジャッジ3人とも僅差で「激闘王」の名にふさわしい戦いぶりだった。

ローマン・ゴンサレスに初のKO負け

井岡に敗れて王座を失った八重樫は、2階級上のフライ級に転向。2013年4月にWBCフライ級王者・五十嵐俊幸に挑戦し、大差で判定勝ちで2階級制覇を達成した。

強力なメキシカンを相手に3度の防衛に成功し、2014年9月にはWBAスーパー王者に認定されたこともあるローマン・ゴンサレス(ニカラグア)との対戦が実現。海外でも高く評価されている「ロマゴン」との対戦は日本中の注目を集めたが、実力差は想像以上に大きく、9ラウンド2分24秒TKO負け。プロキャリア初のKO負けで、王座から陥落した。

IBFライトフライ級王座奪取し、3階級制覇

再起戦はいきなり3階級制覇をかけた戦いだった。2014年12月、1階級下のWBC世界ライトフライ級王座決定戦で同級1位のペドロ・ゲバラ(メキシコ)と対戦。2ラウンドに右ストレートでゲバラのフットワークを鈍らせたが、7ラウンドKO負けを喫して2連敗となった。

それでも執念は衰えず再起すると、ゲバラ戦から1年後の2015年12月にIBF世界ライトフライ級王者ハビエル・メンドーサ(メキシコ)に挑戦。最終ラウンドまで激しい打ち合いを繰り広げ、3-0の判定勝ちで、念願の3階級制覇を達成した。

同王座は2度防衛後、ミラン・メリンド(フィリピン)に1ラウンドTKO負けで陥落。再起後の2019年12月、IBFフライ級王者ムザラネに敗れたのがラストファイトとなった。

通算戦績は28勝(16KO)7敗。勝ちっぷりも負けっぷりもよく、ファンを飽きさせない、正真正銘のプロだった。

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