17連続KO防衛のウイルフレド・ゴメス
プロボクシングの前世界バンタム級4団体統一王者・井上尚弥(29=大橋)が転向したスーパーバンタム級は、これまで日本から11人の世界王者が誕生している。
リミットは122ポンド(55.34キロ)。体格的に日本などのアジアや中南米選手の層が厚く、過去には日本選手と激闘を繰り広げたボクサーも多い。日本選手を破ったスーパーバンタム級の名王者を紹介しよう。
日本で初めて世界スーパーバンタム級王者となったのがロイヤル小林。「KO仕掛人」と呼ばれた強打で1976年10月にリゴベルト・リアスコ(パナマ)を倒して戴冠した。
ただ、皮肉な話ではあるが、小林は勝った試合より敗れた試合の印象が強い。1975年10月の世界初挑戦はフェザー級だったが、後に3階級制覇する名王者アレクシス・アルゲリョ(ニカラグア)に挑み、5回KOで玉砕した。
さらに王座陥落後の1978年1月にはWBCスーパーバンタム級王者ウイルフレド・ゴメス(プエルトリコ)に3回KO負け。ゴメスは17連続KO防衛の世界記録を樹立した名王者で、これが2度目の防衛戦だった。
1年後の1979年1月にはWBAフェザー級王者エウセビオ・ペドロサ(パナマ)に13回KO負け。ペドロサも19度防衛の名王者だった。
スーパーバンタム級に限ればゴメスのみではあるが、いずれにしても歴史に名を残した名王者に果敢に挑んだ小林は、記録より記憶に残るボクサーと言えるだろう。
辰吉の夢を打ち砕いたダニエル・サラゴサ
元WBAバンタム級王者・六車卓也も、王座陥落後はスーパーバンタム級に上げて2階級制覇に挑んだ。1988年10月、WBAスーパーバンタム級王者ファン・ホセ・エストラーダ(メキシコ)に11回TKO負け。豊富なスタミナと無類のタフネスで人気を博した「エンドレス・ファイター」は、この試合を最後に引退した。
バンタム級王者時代に六車と引き分けたウィルフレド・バスケス(プエルトリコ)も日本選手の挑戦をはね返した猛者だった。WBAスーパーバンタム級王者だった1993年11月に横田広明に判定勝ち、1994年3月には葛西裕一に1回KO勝ちするなど通算9度防衛。その後、フェザー級も制して3階級制覇を果たした。
日本選手以外で最も印象深い世界スーパーバンタム級王者はダニエル・サラゴサ(メキシコ)ではないだろうか。1991年6月にWBC王者だった畑中清詞に2-1の判定勝ちでベルトを奪うと、1996年3月には横浜アリーナでバンタム級から1階級上げた辰吉丈一郎と対戦した。
当時38歳だったサラゴサはピークを過ぎていると見られており、25歳の辰吉の2階級制覇を予想する声が多かったが、ゴングが鳴ると老獪なテクニックを発揮し、辰吉の流血により11回ドクターストップによるTKO勝ちで防衛。試合後には辰吉がリング上でファンに土下座するという衝撃的なシーンもあった。
さらに1996年7月には大阪で原田剛志の挑戦を退け、1997年4月には辰吉丈一郎と再戦して3-0の判定で返り討ち。66戦55勝(28KO)8敗3分けの生涯戦績が示す通り、強さといやらしさとタフネスを併せ持つ、まさに歴戦の強者だった。
井上尚弥のターゲット、アフマダリエフは岩佐亮佑にTKO勝ち
WBCスーパーバンタム級王座を7度防衛した西岡利晃が敗れたのが、井上尚弥とも2度対戦したノニト・ドネア(フィリピン)だ。西岡はジョニー・ゴンサレスやラファエル・マルケスらメキシカンの強豪を次々に撃退して本場アメリカでも評価を高めていたが、当時IBF・WBOスーパーバンタム級王者だったドネアに9回TKOで完敗。引退を余儀なくされた。
井上のターゲットの一人でもある現WBA・IBFスーパーバンタム級王者ムロジョン・アフマダリエフ(ウズベキスタン)は岩佐亮佑(33=セレス)を破っている。岩佐がIBF同級暫定王者だった2021年4月、ウズベキスタン・タシケントで行われた王座統一戦で5回TKO勝ち。その後も2度防衛し、今春にはIBF1位マーロン・タパレス(フィリピン)との指名試合が行われる見通しだ。
現在、WBOスーパーバンタム級1位にランクされる井上は、5月にもWBC・WBO王者スティーブン・フルトン(アメリカ)に挑戦と報じられているが、バンタム級に続く4団体統一を果たすためにはアフマダリエフも避けては通れない相手。11戦全勝(8KO)と負け知らずのWBA・IBF王者の今後の動向も注目される。
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