チームは低迷するも村上が開花寸前
今シーズン限りで、小川淳司監督と宮本慎也ヘッドコーチが退団すると発表したヤクルト。就任2年目はここまで最下位に低迷しており、クライマックスシリーズ出場争いからも早々に脱落したことで、責任を取る格好となった。
低迷しているチームとは反対に、ひとりの若き大砲が開花しつつある。高卒2年目の村上宗隆だ。9月12日終了時点で.229(480打数110安打)と打率は低いものの、33本塁打、92打点と持ち前の長打力を存分に発揮。高卒2年目や10代最多の記録を次々に更新している。
そして、過去の選手と村上の成績を比較する際に度々登場する名前が中西太だ。高校時代から「怪童」と呼ばれた中西は、1950年代に西武の前身である西鉄でプレーしたスラッガーだった。2年目当時の中西は、どのような活躍をしていたのだろう。
二冠王だけでなくトリプルスリーも達成
中西は1952年、高松一高から西鉄へ入団。後に日本シリーズで幾度も巨人と戦ったことから西鉄には強豪のイメージもあるだろうが、中西が入団したのは創設間もない時期で、「神様、仏様」と呼ばれた稲尾和久も入団前だった。
1年目から三塁のレギュラーに定着した中西は、打率.281(384打数108安打)、12本塁打、65打点で新人王を獲得。村上が1年目に残した打率.083(12打数1安打)、1本塁打、2打点とは比較にならない活躍を見せた。
2年目にはリーグ2位の打率.314(465打数146安打)で、表彰はなかったが最多安打をマークした。また、36本塁打、86打点で二冠王、さらに36盗塁で史上最年少の20歳でトリプルスリーも達成しており、まさにスペシャルな存在だった。
ちなみに、この年の首位打者は打率.318の岡本伊三美(南海)で、中西は高卒2年目にして三冠王クラスの成績を残していたことになる。
高卒2年目のオフには日米野球にも出場
中西は2年目のオフに行われた日米野球にも出場したが、この年の日米野球は少し複雑だった。それは、読売新聞社がニューヨーク・ジャイアンツを、毎日新聞社がロパット・オールスターズ(全米オールスター)を同時に招致したからだ。
そんな中、中西はロパット・オールスターズと対戦する日本チーム(主に全パ・リーグ)に選出された。高卒2年目ながら二冠王を獲得した実績を買われ、日本代表として戦ったのだ。本塁打こそ打てなかったが、8試合に出場して打率.313(32打数10安打)、2打点と好成績を残した。
現在に置き換えると、今オフに行われるプレミア12の日本代表で結果を残すようなものだろう。はたして村上は本塁打で中西を超え、さらには日本代表に選出され結果を残すことができるだろうか。残りのシーズンも村上から目が離せない。
※数字は2019年9月12日終了時点