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ヤクルトの出世番号、阪神とヤンキースでは永久欠番 プロ野球における背番号23の選手たち

2024 7/8 06:00SPAIA編集部
ソフトバンク・周東佑京、ヤクルト・青木宣親、オリックス・吉田輝星,ⒸSPAIA
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2024年現役選手の背番号「23」

2024年シーズンは永久欠番となっている阪神、空き番となっている3球団を除き8球団が使用している背番号「23」。投手、捕手、内野手、外野手ともまんべんなく使用されており、特定のポジションのイメージはついていない。

2024年各球団の背番号「23」は下記の選手が背負っている。

阪神:永久欠番(吉田義男)
広島:不在
DeNA:不在
巨人:立岡宗一郎外野手
ヤクルト:青木宣親外野手
中日:不在

オリックス:吉田輝星投手
ロッテ:石川慎吾外野手
ソフトバンク:周東佑京内野手
楽天:マイケル・フランコ内野手
西武:糸川亮太投手
日本ハム:伏見寅威捕手

永久欠番:1球団
投手:2球団
捕手:1球団
内野手:2球団
外野手:3球団
不在:3球団

永久欠番となっている阪神の「23」は現役時代に名遊撃手として活躍し、監督としては1985年に2リーグ制となって初の日本一に導いた吉田義男が背負っていた。永久欠番となったのは第二次監督を退任した1987年。1969年に現役を引退してから実に18年の時を経て、永久欠番に制定されている。

近年、背番号「23」で特筆すべき球団はヤクルトだろう。青木宣親、山田哲人とチームの顔とも言うべき選手が「23」から「1」に変更して飛躍を遂げた。青木は日本球界に復帰した2018年から再び「23」を背負っている。

また、ソフトンバンクの育成出身で、侍ジャパンの一員として2023年のWBCで世界一に貢献した周東佑京も、支配下登録された2019年から「23」を背負っている。

2024年に変更となったのは7球団。巨人は昨季まで付けていた松田宣浩が現役を引退し、新外国人のルーグネッド・オドーアが着用していたが、開幕直前に退団。5月に育成から支配下登録へ移行した立岡宗一郎が引き継いだ。

ロッテでは昨季まで背負っていた三木亮が現役を引退し、石川慎吾が「50」から変更。オリックスでは昨オフに日本ハムからトレード加入した吉田輝星、西武では社会人のENEOSからドラフト7位で入団した糸川亮太がそれぞれ「23」を受け継いだ。

広島では昨季まで背負っていた薮田和樹がオフに戦力外通告を受け、新球団のオイシックス新潟へ移籍。DeNAでは藤田一也が昨季限りで現役を引退、中日では福元悠真が今季から育成選手へ移行したため、いずれも空き番となっている。

次章以降では、背番号「23」を着用していた歴代の名選手たちを紹介していく。

阪神3人目の永久欠番・吉田義男

吉田義男は立命館大から阪神に入団し、俊足巧打のショートとして1年目からレギュラーを獲得。1954年に51盗塁、1956年に50盗塁で盗塁王に輝いた。1964年には打率.318をマークしてリーグ優勝に貢献。「牛若丸」と呼ばれた軽快な身のこなしと華麗な守備でもファンを魅了し、巨人で同時期にショートを守った広岡達朗と盛んに比較された。

引退後は3度も監督に就任。1975年からの第1期政権では背番号1をつけ、采配を振るった。2年目には2位に躍進したが、4位に終わった1977年オフに退任した。

第2期は1985年。ランディ・バース、掛布雅之、岡田彰布の強力クリーンアップを中心とした破壊力抜群の打線で21年ぶりのリーグ優勝を達成し、日本シリーズでも西武を破って日本一に輝いた。しかし、2年目に3位、3年目には最下位に転落し退任。球団は退任と同時に現役時代の「23」を永久欠番に指定した。

1990年から1995年までフランス代表監督を務めた後、1997年に3度目の監督に就任。長期低迷からの脱出を期待されたが、1年目が5位、2年目が最下位に終わり、退任した。

阪神の永久欠番は「初代ミスタータイガース」と呼ばれた藤村富美男の「10」、「2代目ミスタータイガース」村山実の「11」に次いで3人目だった。長い球団の歴史上でも間違いなく大きな足跡を残した一人だ。

青木宣親、山田哲人が着用したヤクルトの出世番号

2015年、2016年、2018年と3度のトリプルスリーを達成したヤクルト・山田哲人。現在の背番号はミスタースワローズの象徴でもある「1」だが、入団時に背負っていたのは「23」だった。

山田は2010年ドラフト1位で履正社高から入団。新入団選手発表会では舞台上で倒立歩行を披露するなど、入団時から注目を浴びていた。このドラフトでヤクルトは斎藤佑樹(日本ハム)、塩見貴裕(楽天)の抽選を外しており、山田は外れ外れ1位指名だった。

青木宣親が着用していた「23」を与えられたことからも山田への期待の高さがうかがい知れる。1年目の2011年シーズンでは一軍昇格できなったものの、クライマックスシリーズでメンバー入りし、第2戦で先発出場。高卒新人のクライマックスシリーズ先発出場は史上初のことでもあった。

その山田が覚醒したのは2014年だった。セカンドでレギュラーをつかむと、143試合に出場して打率.324(596打数193安打)、29本塁打、89打点、15盗塁の大ブレイク。最多安打のタイトルを獲得し、ベストナインにも選ばれた。

翌2015年には柳田悠岐(ソフトバンク)と同時にトリプルスリーを達成。シーズンオフに背番号が「23」から「1」に変更となった。背番号変更の際には山田の前に「23」と「1」を背負っていた青木がサプライズで登場し、山田を驚かせている。

青木、山田が着用し、ヤクルトの出世番号となった「23」。現在はメジャーからヤクルトに復帰した青木が2018年から再び背負っている。

7年連続3割達成のロバート・ローズ

横浜(現DeNA)だけでなく、日本球界全体を見渡してもトップクラスの外国人選手と言えるロバート・ローズ。1993年から2000年までの8年間日本でプレーし、背番号は1度も変わることなく「23」だった。

日本初年度である1993年に打点王を獲得。1994年から2000年まで7年連続打率3割をマークした。1999年には打率.369(521打数192安打)、37本塁打、153打点の成績を残し首位打者、打点王の二冠に輝いている。翌2000年も最多安打のタイトルを獲得するなど衰えを見せることはなかった。

しかし、このシーズン終了後に球団との契約交渉が決裂し、アメリカへ帰国。アメリカの自宅などでトレーニングを続け、2003年にロッテ入りしたが、キャンプ中に退団、現役を引退した。

ロッテではプレーできなかったが、日本で大きなケガをすることもなく8年間で1039試合に出場。通算打率.325(3929打数1275安打)、167本塁打、808打点をマークした。打撃だけでなく二塁の守備でゴールデングラブ賞(1998年)も受賞。攻守において信頼の厚い外国人選手だった。

ローズ以降は小川博文、藤田一也、内村賢介、松尾大河と二遊間の選手がこの番号を着用した。2020年から助っ人外国人のオースティンが背負い、2023年に藤田一也が再び着用し、この年限りで現役を引退。2024年は空き番となっている。

ヤンキースの永久欠番、ドン・マッティングリー

2023年からトロント・ブルージェイズのベンチコーチを務めているドン・マッティングリー。現役時代はニューヨーク・ヤンキースで14年間にわたりプレーし、首位打者も獲得している巧打者だった。メジャーリーグでは珍しく、1球団のみで現役を終えた選手でもある。

メジャーデビュー3年目の1984年から引退する1995年まで背番号「23」を背負った。14年間の通算成績は1785試合で打率.307(7003打数2153安打)をマークし、引退後の1997年に永久欠番となった。

引退後はコーチに就任し、2004年から2007年までを古巣ヤンキースで指導。2008年からロサンゼルス・ドジャースに移り2011年には監督に就任した。2013年から2015年まで地区3連覇を果たしたが退団。2016年~2022年までマイアミ・マーリンズで指揮を執り、2023年からトロント・ブルージェイズのベンチコーチを務めている。

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