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巨人・菅野智之、広島・森下暢仁ら背負う日本の絶対エースナンバー プロ野球における背番号18の選手たち

2024 6/20 06:30SPAIA編集部
(左から)広島の森下暢仁、巨人の菅野智之、ヤクルトの奥川恭伸,ⒸSPAIA
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ⒸSPAIA

2024年現役選手の背番号「18」

エースナンバーのイメージが強い背番号「18」。2024年各球団の「18」は下記の選手が背負っている。

阪神:不在
広島:森下暢仁投手
DeNA:小園健太投手
巨人:菅野智之投手
ヤクルト:奥川恭伸投手
中日:梅津晃大投手

オリックス:不在
ロッテ:二木康太投手
ソフトバンク:武田翔太投手
楽天:田中将大投手
西武:不在
日本ハム:山﨑福也投手

不在:3球団
永久欠番:0球団
投手:9球団
捕手:0球団
内野手:0球団
外野手:0球団

2024年シーズンは、空き番の3球団を除く9球団で投手が「18」を着用している。今季変更となったのは3球団で、日本ハムではFAで加入した山﨑福也が着用。オリックスでは昨季までつけていた山本由伸がオフにポスティングシステムを利用してMLBへ、阪神では馬場皐輔が現役ドラフトで巨人へそれぞれ移籍したため、今季は空き番となっている。

巨人・菅野智之や楽天・田中将大ら球界を代表する投手が背負う一方、広島・森下暢仁やDeNAの小園健太らはドラフト1位で入団して「18」を着用。2020年に新人王にも輝いた森下は、かつて佐々岡真司監督やメジャーで活躍する前田健太のエースナンバーを受け継いだ。

DeNAでは三浦大輔監督が現役時代と二軍監督時代に着用していたが、2022年から小園が背負っている。市和歌山高から鳴り物入りで入団した逸材が、背番号に恥じないエースに成長するか、今後が楽しみだ。

ヤクルトでは奥川恭伸が2023年から「18」に変更。2022年からケガに苦しんできた右腕は、6月14日のオリックス戦で自身980日ぶりの白星を挙げ、ヒーローインタビューで号泣した。過去に伊東昭光、藤井秀悟らが背負ってきたエース番号をここから自分色に染め上げる。

次章以降では、背番号「18」を背負った歴代の名プレーヤーや球団の系譜などを紹介する。

受け継がれる巨人のエースナンバー「18」

巨人のエースナンバーは長らく「18」となっている。しかし、チーム創設期は必ずしも「18」がエースナンバーではなく、沢村栄治は「14」、スタルヒンは「17」を背負っていた(スタルヒンは1年だけ「18」を着用)。

しかし、1946年から中尾輝三(1948年から碩志に改名)が「18」を背負い通算209勝。以降、藤田元司、堀内恒夫、桑田真澄とエースが受け継いできた。いずれも背番号の重みに負けることなく好成績をマークし、球史に名を残している。

桑田がMLBパイレーツへ移籍後、2007年から欠番となっていたこの番号を引き継いだのが杉内俊哉。ソフトバンクからFAで2012年に巨人へ移籍した際に背番号「18」を巨人から提示された。「生え抜きではない投手に18を渡すのはいかがなものか」との声もあったが、移籍から3年連続2桁勝利を達成する活躍で雑音を封印した。

杉内の引退後、2019年から「18」を背負うのが菅野智之だ。それまでの「19」を上原浩治に譲り、エースナンバーを受け継ぐことになった。これまで最多勝に3度輝くなど、今や球界を代表する本格派右腕。今季もエースとしてチームのために腕を振る。

西武の「18」は郭泰源から松坂、涌井、多和田、そして松坂へ

1998年の甲子園で春夏連覇を達成した横浜高校のエース・松坂大輔。同年のドラフト会議では西武、横浜、日本ハムの3球団から1位指名を受け、抽選の末に交渉権を獲得した西武に入団して背番号「18」を与えられた。当時、西武の背番号「18」はエースナンバーというわけではなかった。

1987年から1997年まで「オリエンタルエクスプレス」と称された郭泰源が着用。1年の空白の後、松坂が背負ったことでエースナンバーと認識されるようになった。

松坂が2006年オフにメジャーリーグ移籍した後は、2年のブランクを経て横浜高校の後輩でもある涌井秀章が受け継いだ。涌井は背番号が「18」となった初年度の2009年に沢村賞を受賞。エースナンバーの責務を5年間全うした。

涌井がFA権を行使してロッテへ移籍した後は、2015年ドラフト1位の多和田真三郎が継承。多和田は2018年に16勝を挙げて最多勝に輝いた。さらに2021年に再び松坂が背負い、同年限りで引退。2022年以降空き番となっているが、背番号に相応しい絶対エースの出現が待たれる。

「人間機関車」こと米田哲也から山本由伸への系譜

「人間機関車」「ガソリンタンク」などの異名を取り、プロ野球史上2位となる通算949試合に登板した米田哲也。鳥取県の境高校時代には甲子園出場はなかったもののプロから注目を浴び、1956年に阪急入団、背番号「18」を与えられた。

2年目となる1957年に21勝をマークすると、以降、日本記録となる19年連続2桁勝利を達成。金田正一(巨人他)に次ぐ史上2位となる通算350勝を挙げた。また、先発登板626試合、被安打4561本、敬遠120、失点1940、自責点1659は日本記録だ。

米田は阪急で1975年途中までプレーし、阪神、近鉄へ移籍。その両チームでは「18」を背負うことはなかった。これほどの記録を残した選手ではあるが、阪急において永久欠番にはなっていない。

阪急からオリックスに親会社が変わった後も、背番号「18」は野中徹博、杉本友ら有望投手が背負い、具臺晟、山口和男、岸田護を経て2020年から山本由伸へと継承。2021から2023年までNPB初の3年連続投手4冠を達成した右腕は、ポスティングシステムを利用して今季からロサンゼルス・ドジャースへ移籍。背番号はオリックス時代と同じ「18」を背負っている。

メジャーリーグで「18」を背負う選手たち

メジャーリーグでは背番号「18」がエースナンバーという認識はない。そのためか、日本人投手が海を渡った際に背番号「18」を与えられることも多い。

現在もタイガースの前田健太、カブスの今永昇太、そしてドジャースの山本由伸の3人がこの番号を背負っている。マリナーズ時代の菊池雄星(現ブルージェイズ)やレッドソックス時代の松坂大輔、マリナーズ時代の岩隈久志らも「18」だった。

楽天で背番号「18」を背負う田中将大が、ヤンキース時代に付けていたのは「19」。これは田中がヤンキースに移籍した当時、黒田博樹が「18」を着用していたためである。

また、メジャーリーグで背番号「18」はクリーブランド・インディアンスとシンシナティ・レッズの2球団において永久欠番となっている。

インディアンスの「18」を背負っていたメル・ハーダーは、20年間のメジャー生活で通算223勝(186敗)をマーク。その後、コーチとしても20年以上にわたり複数球団で活躍した名選手、名コーチだった。ハーダーの功績を讃え、1990年にインディアンスは背番号「18」を永久欠番としている。

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