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“強打の外野手”の代名詞 プロ野球における背番号9の選手たち

2023 5/7 06:00SPAIA編集部
広島の秋山翔吾と西武の蛭間拓哉,ⒸSPAIA
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2023年現役選手の背番号「9」

強打者が多いイメージの背番号9だが、2023年シーズンはどのような選手が背負っているのだろうか。

オリックス:野口智哉内野手
ソフトバンク:柳田悠岐外野手
西武:蛭間拓哉外野手
楽天:吉野創士外野手
ロッテ:不在
日本ハム:中島卓也内野手

ヤクルト:塩見泰隆外野手
DeNA:大和内野手
阪神:高山俊外野手
巨人:不在
広島:秋山翔吾外野手
中日:アリスティデス・アキーノ外野手

不在:2球団
永久欠番:0球団
投手:0球団
捕手:0球団
内野手:3球団
外野手:7球団

12球団中7球団が占める外野手の番号というイメージが強い背番号「9」。広島では2022年途中に日本球界へ復帰した秋山翔吾が背負う。過去には緒方孝市(1996~2009年)や丸佳浩(2014~18年)などチームの顔といえる外野手たちが付けていた番号。通算2000安打を目指すベテランには「9」を自分色に染め上げる活躍が期待される。

西武ではドラフト1位ルーキーの蛭間拓哉が着用。秋山が移籍して以降、外野手のレギュラーが定まらないチームにおいて、即戦力として大きな期待がかけられている。また、2022年に福留孝介が引退した中日では、今季加入した強肩強打の新外国人、アリスティデス・アキーノが背負っている。

ほかにもソフトバンクの柳田悠岐やヤクルトの塩見泰隆ら強打の外野手がつけているが、不在となっているのも2球団ある。ロッテは22年間「9」を背負っていた福浦和也が2019年限りで現役を引退、巨人は松原聖弥が「59」へ変更したため、空き番となっている。

次章以降では、背番号「9」を背負った歴代のスタープレーヤーを紹介していく。

侍ジャパン監督も務めた小久保裕紀

第4回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)日本代表を率いた小久保裕紀。監督としての背番号は「90」だったが、現役時代の多くを過ごしたソフトバンク時代の背番号は「9」だった。

1993年ドラフト逆指名でダイエーに入団。バルセロナオリンピックで大学生として唯一の代表入りを果たし、長距離砲として大きな期待が掛けられていた。

小久保は期待通りの活躍を見せ、1995年に本塁打王、1997年には打点王を獲得。2003年オフに無償トレードされた巨人では清水隆行が「9」は背負っていたため「6」をつけた。

巨人では右打者として球団史上初となる40本塁打をマークするなど結果を残し、2007年からソフトバンクに復帰。背番号「9」をつけて2012年までプレーし、通算2041安打で名球会入りも果たした。

最後の4割打者・テッド・ウィリアムズ

メジャーリーグで伝説となっている選手の一人であるテッド・ウィリアムズは、三冠王を2回獲得している大打者だ。日本では三冠王よりも最後の4割打者として聞くことが多いかも知れない。

ウィリアムズは1939年にボストン・レッドソックスでメジャーデビュー。145打点をマークして1年目から打点王を獲得した。3年目には打率.406(456打数185安打)、37本塁打、120打点の成績を残し首位打者、本塁打王を獲得。同時に史上最年少(23歳1カ月)で打率4割を記録した。これ以降、メジャーリーグで4割打者は誕生していないのだ。

1960年まで現役を続けたウィリアムズは通算打率.344(7706打数2654安打)、521本塁打、1839打点の成績を残し1966年に殿堂入り。現役時代に背負っていた背番号「9」はレッドソックスの永久欠番となっている。

ヤクルトの主砲ロベルト・ペタジーニ

1990年代以降に多くの外国人選手が活躍してきたヤクルト。そのうちの一人が1999年に入団したロベルト・ペタジーニだ。背番号は杉浦享やミューレンらがつけた「9」となった。

来日1年目から実力を発揮し、打率.325(452打数147安打)、44本塁打、112打点で本塁打王。ヤクルトでは2002年までプレーし、松井秀喜(巨人)と熾烈なタイトル争いを繰り広げた。

2003年からはメジャー挑戦した松井に代わる主砲として巨人へ移籍。2004年まで変わらぬ活躍を見せ、メジャーリーグに復帰した。2010年にソフトバンク入りして日本球界に復帰したが、往年の力はなく1年限りで退団している。

ペタジーニは25歳年上のオルガ夫人と「おしどり夫婦」としても話題になるなど、グラウンド外でも注目を浴びた。

背番号9の象徴になることを期待したい選手たち

現役の「9」を背負う選手では、ソフトバンクの柳田悠岐と広島の秋山翔吾が実績では抜けている。

柳田は入団当初は「44」だったが、2015年から「9」に変更。すると同年に打率.363、34本塁打、32盗塁でトリプルスリーを達成した。その後もハイレベルな成績を残し、今や球界を代表する強打者の一人となっている。

秋山は2010年ドラフト3位で西武に入団。背番号「55」を背負い、5年目の2015年にはNPB新記録となるシーズン216安打を放った。その後も球界を代表する外野手として活躍し、19年オフにメジャーへ移籍。22年シーズン途中に日本球界へ復帰した広島で、空き番となっていた「9」を託された。35歳となった今季も打線の軸として野手陣を引っ張っている。

ヤクルトの塩見泰隆やオリックスの野口智哉、楽天の吉野創士、西武の蛭間拓哉ら楽しみな若手も多い。今後、背番号9を代表するような選手に成長することを期待したい。

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