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阪神で唯一日本一を経験した吉田義男監督【球史に名を残した偉人達】

2018 1/6 12:56cut
グローブとボール
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Photo by Dan Thornberg/Shutterstock.com

「牛若丸」と呼ばれた現役時代

吉田義男選手は、1953年に大阪タイガース(阪神)へ入団し、ルーキーイヤーから128試合に出場する。打率.267、2本塁打、34打点、22盗塁の成績を残し、入団1年目から内野の要である遊撃手のポジションのレギュラーを奪取した。翌1954年には51盗塁で盗塁王を獲得した後は、1969年まで17年間の現役生活を送り、2007試合に出場。打率.267(6980打数1864安打)、66本塁打、434打点、350盗塁の成績を残している。

打撃面では、やはり350個の盗塁数が目を引くだろう。これは、赤星憲広選手に次ぐ阪神歴代2位の記録となっており、3位の三宅伸和選手の198個を大きく引き離している。また2017年の現役選手では、鳥谷敬選手の121盗塁が最多となっており、当面、抜かされることの無い記録と言えそうだ。

しかし、吉田選手はなんといっても守備面での貢献が大きかった。当時は、現在のゴールデングラブ賞にあたる、守備の名手に贈られる表彰が無かったため記録としては残っていない。しかし、守備偏重ポジションとなる遊撃手ではベストナインがその役割を担っていたのだ。

吉田選手は、17年間の現役生活において1度しか打率3割を超えていないにも関わらず、9度のベストナイン受賞歴を誇っていることからも、守備での貢献度が高かったことがわかる。その華麗な守備は「牛若丸」とも呼ばれ、日米野球で対戦したメジャーリーガー達からも評価されていた。

吉田選手は、1969年に現役を引退。6年の時を経て、1975年に再び監督として阪神のユニフォームを着ることになる。

江夏豊選手をトレードで放出

1975年に監督へと就任した吉田氏。1974年に引退した長嶋茂雄選手が読売ジャイアンツの監督に就任しており、伝統の二球団がともに新監督となってのシーズンだった。1974年にV10を阻まれた巨人は、長嶋監督の初年度で意気込んでいたが、V9の主力メンバーは衰えが見られ球団史上初の最下位に沈んでいる。

優勝争いは「赤ヘル旋風」を巻き起こした広島東洋カープ、前年員V9を阻んだ中日ドラゴンズ、そして吉田監督率いる阪神で行われた。シーズン開幕当初に首位をキープしたのは阪神だ。田淵幸一選手が本塁打を量産し首位を奪取。8月まで優勝争いを繰り広げたが最後は力尽きてしまう。優勝は広島に譲ったものの、田淵選手は王貞治選手の本塁打王を13年連続でストップさせ初のタイトル獲得となった。

チームは、前年の4位(57勝64敗9分)から1つ順位を上げ3位(68勝55敗7分)。上々といえるこのオフに吉田監督は大型トレードを敢行する。

エースとして長年に渡り、チームを支えてきた江夏豊選手をトレードで放出したのだ。このトレードで阪神にやってきたのは、江本孟紀選手ら4人だった。このトレードの際に江夏選手へ通告したのはフロントだった。吉田監督はこのことを長年後悔しており、監督として自分で伝えるべきだったと語っている。

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