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10.19から1年後の歓喜・仰木彬監督【球史に名を残した偉人達】

2017 6/30 12:56cut
バットとボール
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語られることの少ない現役時代

名将として知られ、近鉄バファローズ、オリックス・ブルーウェーブ(現バファローズ)で指揮を執り、1996年には日本一にも輝いている仰木彬監督。2004年には野球殿堂入りも果たしており、プロ野球界に残した功績は大きい。その仰木監督にも選手としての現役時代があった。
仰木選手は、ドラフト制度が制定される以前の1953年に東筑高校で甲子園に投手として出場。その実績を認められ、翌1954年に西鉄ライオンズへ入団した。プロ入り直後の春季キャンプで、高校時代の投手から二塁手へとコンバートされる。
初年度から101試合に出場すると、2年目からはレギュラーに定着。豊田泰光選手と二遊間を守り、西鉄の黄金時代を支えている。1960年には114試合に出場し、打率.267、4本塁打、30打点の成績を残し初のベストナインを獲得。豊田選手と二遊間コンビで最初で最後の同時受賞となった。
1961年には、現役時代唯一のオールスターゲームへ出場。以降1967年まで14年間にわたり現役を続け、1328試合に出場し打率.229、70本塁打、326打点の成績を残している。打撃面での評価は高くなく守備、犠打など小技を生かした好選手としての印象が強かった。
1967年に現役を引退後は西鉄でコーチを行い、1970年に近鉄バファローズの守備走塁コーチに就任。指導者として第二の人生を歩むことになる。

コーチから監督就任

仰木氏は、現役を引退した翌年の1968年に西鉄のコーチに就任。中西太選手兼任監督の元で2年間コーチを行うが、1969年に中西監督が退任すると、仰木コーチも西鉄を退団。翌1970年から、同じパリーグのライバルである、近鉄の守備走塁コーチへ就任する。当時、監督は三原修氏が務めていた。
仰木氏は1970年以降、近鉄一筋でコーチを務め、三原監督以後は岩本堯監督、西本幸雄監督、関口清治監督、岡本伊三美監督と複数の監督に仕えていた。1987年シーズン最下位だったチームの立て直しを図るべく、1988年に監督へ就任。これは、仰木コーチが近鉄に籍を移してから18年目のことだった。
仰木監督自身の古巣でもあり、当時は森祇晶監督率いる西武ライオンズ(旧 西鉄)が、広岡達朗監督時代から続く連覇を3に伸ばし、黄金時代を築き上げていた。1988年は、その西武の4連覇を阻止するべくチームは始動することになったのだ。

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