歴代1位は土橋正幸の162勝
2023年オフにメジャーへ挑戦する意向を表明した日本ハムの上沢直之。プロ11年目の2022年シーズンは23試合に先発登板して8勝9敗、防御率3.38の成績で、エースとしてチームを牽引していた。
その上沢がここまでに積み上げた勝利数は61。2023年現在、球団に在籍している投手ではトップの数字だ。では、これまでの球団史の中で最多の勝利を挙げた投手は誰だろうか。日本ハム在籍時の通算勝利数ランキングを紹介する(前身球団含む)。
歴代1位は土橋正幸の162勝だ。チームが東映となった1954年の秋にテスト入団すると、入団4年目には21勝をマークした。「江戸っ子投法」と呼ばれた真っ向勝負の投球スタイルでエースへと上り詰め、7年連続2桁勝利を記録。62年にはリーグ初優勝と日本一にも貢献した。
ただ、タイトルとは縁がなく、61年に30勝、防御率1.90とキャリアハイの成績を残すも、稲尾和久(西鉄)が42勝、防御率1.69を記録したため、いずれも2位に終わった。65年以降はケガに悩まされ、67年限りで引退。その後、投手コーチや監督を歴任した。
2位は138勝で高橋直樹。1968年のシーズン終盤に東映に入団したサブマリンは、実質プロ1年目となる69年に13勝を挙げた。チームが日拓となった73年にはノーヒットノーランを達成し、77年には3年連続5度目の2桁勝利、79年には自己最多の20勝をマークした。
だが、翌80年のオフに江夏豊とのトレードで広島へ移籍。その後も西武、巨人と渡り歩き、86年限りでユニフォームを脱いだ。
トレンディエースや怪童もランクイン
3位は131勝で米川泰夫だ。“ヨネ・ボール”と呼ばれた落ちる変化球を武器にした東映時代のエースで、下位に低迷するチームで先発、抑えとフル回転。3度20勝以上を記録した一方で、1955、56年と2年連続リーグ最多敗戦投手になるなど、シーズン20敗も4度記録した(パ・リーグ記録)。また、延長22回、264球という1試合最多投球回、投球数のパ・リーグ記録も持っている。
4位は西崎幸広で117勝。瀬田工高から愛知工大を経て1986年ドラフト1位で入団すると、1年目から15勝を挙げた。新人王は惜しくも逃したが、翌88年にも15勝で最多勝を獲得し、エースの座に。当時流行していたトレンディドラマになぞらえ、“トレンディエース”と呼ばれた。
5年連続を含む7度の2桁勝利を記録し、95年にはノーヒットノーランも達成。だが、97年にわずか8登板とプロ入り後最低の成績に終わり、同年オフにトレードで西武へ移籍した。その後2001年まで現役を続け、ユニフォームを脱いでいる。
5位は107勝で尾崎行雄。1961年の夏、2年生ながら浪商高のエースとして甲子園で全国制覇を成し遂げた“怪童“は、11月に高校を中退して東映へ入団した。スピードガンがあれば160キロ超とも言われた快速球を武器に、1年目から20勝を挙げ、リーグ優勝、日本一に貢献。史上最年少で新人王にも選ばれた。
その後も3年目の64年から3年連続20勝以上を記録したが、67年から成績が急降下。右肩を痛めてしまい、68年から4年連続で1勝もできないなど低空飛行が続き、プロ入り後最少の3登板に終わった73年オフに、29歳で現役を引退した。
6位は97勝で白木義一郎。慶應義塾商工から慶大を経て1946年にセネタース(日本ハムの前身)へ入団すると、1年目から30勝を挙げ最多勝を獲得した。翌47年には26勝を挙げ、防御率1.74で最優秀防御率に輝くなど先発として活躍。52年に阪急へ移籍し、同年限りで引退した。引退後にはプロ野球界出身者初の国会議員にもなっている。
日米通算188勝のダルビッシュが7位
7位は93勝でダルビッシュ有が現役唯一のランクイン。東北高から2004年ドラフト1位で入団すると、2年目の06年に12勝を挙げ、日本一に貢献した。07年には15勝を挙げてシーズンMVP、全7項目の選考基準を満たして沢村賞にも選出。11年オフに渡米するまで、NPB7年間の通算防御率は驚異の1.99を誇り、絶対的エースとして君臨した。
12年にポスティング制度を利用してレンジャーズへ移籍。1年目から16勝を挙げるなど、メジャーでもエース格として活躍し、パドレスへ移籍した21年にはMLB史上最速となる197試合目で1500奪三振を達成した。2022年終了時点で日米通算188勝をマークしている。
8位は金村曉で88勝。仙台育英高から1994年ドラフト1位で入団すると、4年目の98年に一軍へ定着し、防御率2.73で最優秀防御率のタイトルを獲得した。その後は度々故障で離脱するもエース格として働き、4度の2桁勝利をマーク。07年オフにトレードで阪神へ移籍し、10年に退団した。11年は独立リーグの信濃に所属し、同年限りで現役を引退。16年から6年間、阪神で一軍投手コーチを務めた。
9位は84勝の金田留広。愛知高から愛知学院大、日通浦和を経て1968年ドラフト4位で東映へ入団した。400勝投手の金田正一(国鉄など)を兄に持つ右腕は、1年目から59試合に登板して18勝。球宴では打席に立った兄との兄弟対決も実現した。2年目は24勝、4年目は20勝で最多勝を獲得。74年にトレードで兄が監督を務めるロッテへ移籍した。
10位は武田勝の82勝。変則的なフォームから多彩な変化球を操る左腕は、4年目の09年から4年連続2桁勝利をマークした。14年以降は成績が低迷し、16年限りで現役を引退。引退後は独立・BCリーグでコーチ、監督を歴任し、20年から22年まで日本ハムの一軍コーチを務めた。
トップ10の顔ぶれは以上の通りとなった。7位のダルビッシュには日米通算200勝が目前に迫っており、2023年にも達成する可能性がある。一方、現在在籍する投手で最多勝の上沢は2023年オフにも渡米する可能性が高い。今後トップ10にランクインしてくるような新たな投手の台頭が待たれる。
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