歴代1位は米田哲也の338勝
2022年はリーグ連覇を達成し、26年ぶりの日本一に輝いたオリックス。投手ではエースの山本由伸が15勝、防御率1.68、205奪三振、勝率.750で、2年連続となる最多勝、最優秀防御率、最多奪三振、最高勝率の投手4冠に輝き、獅子奮迅の活躍を見せた。
2年連続で沢村賞にも選ばれた山本はここ2年で33勝を積み上げ、プロ6年間の通算では54勝に。現役では平野佳寿の52勝を抜いて球団トップに躍り出た。
では、これまでの球団史の中で最多の勝利を挙げた投手は誰だろうか。オリックス在籍時の通算勝利数ランキングを紹介する(前身球団含む)。
歴代1位は米田哲也の338勝だ。1年目から15年連続で200イニング以上を投げた鉄腕は、その驚異的なスタミナから「ガソリンタンク」と呼ばれた。阪急、阪神、近鉄と3球団を渡り歩き積み重ねた949登板、5130イニング、そして350勝はいずれも歴代2位のレジェンド投手だ。
ただ、意外にも最多勝を獲得したのは25勝を挙げた1966年の1回のみ。68年にはキャリアハイの29勝をマークしたが、皆川睦男(南海)の31勝に及ばずタイトルを逃した。現役引退後は、阪神、近鉄でコーチを歴任し、2000年には野球殿堂入りしている。
2位は284勝で山田久志。史上最高のサブマリン投手は、最多勝を3度、最優秀防御率を2度、そして最高勝率はNPB最多タイ記録となる4度獲得した。また、MVPも投手最多の3回、ベストナインもパ・リーグ投手最多タイ記録となる5回受賞し、12年連続で開幕投手も務めた。284勝はアンダースローとしてはNPB最多。2006年に野球殿堂入りした。
3位の梶本隆夫まで200勝超え
3位は254勝をマークした梶本隆夫。多治見工高から1954年に入団したサウスポーは1年目に新人ながら開幕投手を務めた。最終的に20勝を挙げたが、新人王は最多勝・最優秀防御率の投手2冠に輝いた南海の宅和本司だった。新人で20勝を挙げながら新人王になれなかったのは梶本だけだ。
阪急一筋20年間で12度の2桁勝利、5度の20勝以上をマークしたが、最多勝のタイトルは1度も獲れず、73年に現役を引退。1979~80年の2年間は監督も務めた。2007年に野球殿堂入りしている。
4位は足立光宏で187勝。山田久志とともに阪急黄金時代に活躍したサブマリン。1959年に大阪大丸から入団すると、67年には初の20勝を挙げ、防御率1.75で最優秀防御率、そしてMVPにも輝いた。9度出場した日本シリーズで計9勝をマークし、67年と72年に敢闘賞、69年には優秀選手、76、77年には最優秀投手に選ばれるなど、シリーズ男としても活躍した。
5位は168勝で星野伸之。速球は最速でも130キロ台ながら70~90キロ台のスローカーブとフォークを操り、先発として長年活躍した細身左腕だ。旭川工高から1983年ドラフト5位で入団し、4年目の87年から11年連続2桁勝利をマーク。また、86年から10年連続100奪三振以上を記録し、7度の開幕投手も務めた。2000年に阪神へFA移籍し、02年限りで引退した。
6位は165勝で佐藤義則。函館有斗高から日大を経て1976年ドラフト1位で阪急に入団。阪急、オリックス一筋で22年間活躍した右腕は、85年に21勝で最多勝のタイトルを獲得、95年にはNPB史上初となる40歳以上でのノーヒットノーランを達成している。
引退後は、オリックス、阪神、日本ハム、楽天、ソフトバンクの5球団で投手コーチを務め、ダルビッシュ有、田中将大らを育てた。
昭和最後の完全試合投手・今井雄太郎が7位
7位は石井茂雄の143勝。勝山高を中退して1957年に阪急へ入団した右腕は、63年に17勝を挙げて頭角を現すと、64年に28勝、65年に21勝をマークするなど主力投手として活躍した。73年に太平洋(現西武)、79年に巨人へ移籍し、同年限りで現役を引退した。
8位は天保義夫の131勝。豊国商高から1942年に阪急へ入団すると、翌43年5月2日の南海戦でノーヒットノーランを達成した。44年に指先を欠損してしまうが、ナックルボールを習得して球界へ復帰。46年から5年連続で2桁勝利をマークし、57年限りで現役を引退した。
9位は129勝の今井雄太郎。中越高から新潟鉄道局を経て1970年ドラフト2位で阪急へ入団すると、78年の8月31日ロッテ戦で史上14人目の完全試合を達成した。その後も81年に19勝で最多勝、84年には最多勝、最優秀防御率の投手2冠に輝き、チームの優勝に大きく貢献。91年にダイエーへ移籍し、同年限りで現役を引退した。
10位は金子千尋の120勝。長野商高からトヨタ自動車を経て2004年のドラフト自由獲得枠で入団した右腕は、4年目の08年に初の2桁勝利をマークした。10年には3試合連続完封を達成するなど13連勝を記録し、自己最多の17勝で最多勝を獲得。14年には最多勝、最優秀防御率を獲得するとともに沢村賞も受賞し、球界を代表するエースとなった。
しかし、その後は度重なるケガに悩まされ、2桁勝利は17年の1度のみ。18年オフに自由契約を希望して退団し、日本ハムへ移籍した。22年限りで現役を引退し、日本ハムの特命コーチとして指導者の道を歩み始めている。
以上の通り、阪急時代の名投手たちが数多くランクインした。今後この記録を打ち破るような大投手が再び現れることを楽しみに待ちたい。
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