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読売ジャイアンツの18番を背負ってきた名選手5人

2016 7/20 18:19
背番号18
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多くの球団のエースナンバーである背番号18。読売ジャイアンツで、その伝統ある18番を継承してきた名選手5人をピックアップして紹介しよう。※()は18番を背負っていた年度

18番をエースにした男“中尾碩志”(1939年~1942年、1946年~1957年)

巨人では18番がエースナンバーとされており、中尾碩志投手が最初のエースだったと言われている。

途中戦争でチームを離れたものの、1939年から1957年までの16年の現役生活で209勝を挙げ、後に野球殿堂入りも果たした大投手だった。

コントロールが悪く四球が多かったが、剛球を武器にノーヒットノーランも2回達成。現役引退後にはコーチや二軍監督を務め、スカウトに転身した。

慶応のスターから大エースへ“藤田元司”(1958年~1966年)

1957年に入団した藤田元司投手は、17勝を挙げて新人王に輝く。その活躍が認められ、中尾碩志投手がつけていた巨人のエースナンバー18番を背負った。

18番を背負って挑んだ2年目は29勝、3年目には27勝を挙げ、2年連続でMVPに輝く。

なんといっても、藤田元司投手は長嶋茂雄選手のサヨナラホームランで有名な天覧試合の先発投手だった。あの天覧試合で藤田元司投手は、見事に完投勝利を収めている。

現役引退後も、監督として巨人を率いて日本一を二度達成するなど、名監督として名を馳せた。

悪太郎こと“堀内恒夫”(1967年~1984年)

1965年のドラフト会議で巨人から1位指名を受けた堀内恒夫投手は、1年目から開幕13連勝し、新人王はもちろん沢村賞、最優秀防御率、最高勝率のタイトルを獲得する。その活躍もあり、巨人のエースナンバーである18番を2年目から背負うことになった。

成績とは逆に、素行が良くなかった堀内恒夫投手は“悪太郎”と呼ばれ、当時の寮長から大目玉を食らっていた。大エースになるには、それくらい肝っ玉が座っていないといけないのかもしれない。

復活した18番“桑田真澄”(1986年~2006年)

1985年のドラフト会議で、巨人は清原和博選手を指名すると噂されていたが、フタを開けると早稲田大進学を表明していた桑田真澄投手を指名した。

桑田真澄投手は、中尾碩志投手、藤田元司投手、堀内恒夫投手と受け継がれてきた18番という栄光の番号を託される。1年目は15試合に登板して2勝1敗と、高卒ルーキーとしてはまずまずのスタートを切った。2年目に15勝を挙げると、以降6年連続2ケタ勝利をマークする。

1995年に肘を故障し、1年のリハビリを経てマウンドに戻ってきた際、マウンド上でプレートに右肘をつけた名シーンは、以降も肘のケガから復帰した投手の定番となった。

2006年オフに海を渡るまで、長きにわたり巨人の投手陣を支えた。

18番で口説かれた男“杉内俊哉”(2012年~)

福岡ソフトバンクホークスから、FAで巨人に入団した杉内俊哉投手は、4年20億円という超大型契約を結んだ。その際、エースナンバーである18番も提示され、前任の桑田真澄投手に相談の上で着用することを決意する。

巨人移籍後の4年間でケガがありながらも39勝。度重なるケガの影響で2015年7月以降、一軍での登板実績はないが、現在は二軍で調整を続けながら2017年中の一軍復帰を目指している。

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