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巨人の歴代監督と最高成績、「球界の盟主」の伝統受け継ぐ次期監督は?

2022 7/28 06:00SPAIA編集部
巨人・原辰徳監督,ⒸSPAIA
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藤本定義監督は歴代3位の通算1657勝

巨人・原辰徳監督は第3次政権で4年目、第1次政権から通算すると16年目のシーズンを戦っている。すでにV9を達成した川上哲治監督の通算勝利数を上回り、球団最多を更新中。球団史にとどまらず、日本球界を通して見ても、名将の一人に挙げられるだろう。

長期政権となっていることから次期監督候補の名前が取り沙汰されることもあるが、誰がなっても原監督の後任は相当なプレッシャーがかかることは間違いない。「球界の盟主」の歴史を紡いできた歴代監督を振り返る。

巨人の歴代監督


1934年に創設された大日本東京野球倶楽部の初代監督を務めたのが三宅大輔。1935年の第1回アメリカ遠征で指揮を執った。後に阪急の監督も務めている。

辞任した三宅の後任監督に就任したのが、総監督を務めていた浅沼誉夫だった。第2回アメリカ遠征でチームを指揮したが、帰国後に東京鉄道局に連敗したため解任されている。

第3代監督が藤本定義だ。第1回日本職業野球リーグ戦が開催された1936年から指揮を執り、1938年秋から42年まで5連覇。戦後は金星や阪急、阪神などでも監督を務め、歴代3位の1657勝を挙げた。

中島治康は1938年秋に打率.361、10本塁打、38打点で日本プロ野球史上初の三冠王に輝いたことで知られる。1943年には選手兼任監督を務め、チームを優勝に導いた。戦後の1946年シーズン途中から再び選手兼任監督を務めている。

藤本英雄は1943年に34勝を挙げ、現在もNPB記録の防御率0.73、19完封をマークした右腕だった。翌1944年に25歳で選手兼任監督に就任して2位。1946年シーズン中に中島治康に監督の座を譲るまで指揮を執った。

三原修から水原茂、川上哲治、長嶋茂雄へ継承

「三原マジック」で知られる三原修が監督就任したのは1947年シーズン中だった。中島治康からバトンを受け、同年は5位に終わったが、翌1948年は2位、1949年に球団として戦後初となる優勝を果たした。その後、西鉄や大洋、近鉄、ヤクルトでも指揮を執り、歴代2位の通算1687勝を挙げている。

1950年から長期政権を築いたのが水原茂だ。川上哲治、千葉茂、与那嶺要、別所毅彦らを擁し、1951年から3年連続日本一。さらに1955年からリーグ5連覇を達成した。1960年に巨人監督を退任後は東映、中日でも指揮を執り、歴代4位の通算1586勝を挙げた。

水原の後任に就任したのが川上哲治だった。現役時代に2351安打をマークした「打撃の神様」は、監督としても類まれな指導力を発揮。1年目の1961年にいきなり日本一となり、1965年から9連覇を達成した。1974年に2位となって退任するまで監督通算1066勝を挙げ、原辰徳に更新されるまで長らく球団最多勝記録だった。

その後を受けたのが、前年に引退したばかりの「ミスタージャイアンツ」長嶋茂雄だった。1年目の1975年は球団史上初の最下位に沈んだが、翌1976年からリーグ2連覇。1980年で退任したものの、1993年に監督復帰すると2001年まで指揮を執った。「メークドラマ」など多くの話題を提供してプロ野球界を盛り上げ、通算15シーズンで球団史上3位の1034勝を挙げた。

藤田元司は日本シリーズで3連敗4連勝

藤田元司は1980年オフに監督就任し、引退したばかりの王貞治が助監督に就いた。同年秋のドラフト会議で引き当てたのが原辰徳だった。1年目の1981年にいきなり日本一に輝き、1983年にもリーグ優勝。3シーズンを終えて王貞治に監督を譲ったが、王が退任した1988年オフに2度目の監督に就任した。第2次政権でも1年目の1989年に近鉄との日本シリーズで3連敗の後、4連勝して日本一に輝いた。

王貞治は1984年から5シーズン指揮を執り、4年目の1987年に監督として初優勝。その後、ダイエー、ソフトバンクでも監督を務め、歴代8位の通算1315勝を挙げた。

原辰徳が最初に監督就任したのは2001年オフ。長嶋監督の後任だった。1年目にいきなり日本一に輝いたが、翌2003年に3位となるとわずか2シーズンで退任。2006年から10シーズンにわたった第2次政権では、リーグ優勝6度、日本一2度と輝かしい実績を残してユニフォームを脱いだ。2019年からの第3次政権も4シーズン目。2022年5月には星野仙一の1181勝を超えて通算監督勝利数で歴代10位となった。

堀内恒夫は原の第1次政権後の2004年から指揮を執った。タフィ・ローズと小久保裕紀を獲得した史上最強打線は計259本塁打を放ったが3位。翌2005年は5位に終わり、わずか2シーズンで退任となった。

第2次原政権後の2016年から指揮を執ったのが高橋由伸だ。前年も現役として77試合に出場していたが、突如、現役引退して監督に就任。1年目は2位、2年目は4位、3年目は3位とペナントには届かず、2018年に現役時代から21年間着続けたユニフォームを脱いだ。

巨人が長年にわたって球界を引っ張ってこれたのは、名監督が伝統を受け継いできたことも大きいだろう。原辰徳の後任として第20代監督に就任するのは誰になるだろうか。

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