福留は日米通算2450安打、327本塁打
球界最年長の福留孝介(中日)が9月8日、現役引退を表明した。
PL学園時代の1995年ドラフト会議で7球団競合の末、近鉄が交渉権を獲得するも入団を拒否。日本生命を経て1998年のドラフト1位(逆指名)で中日に入団し、プロ野球人生をスタートさせた。
日本では中日と阪神の2球団でプレーし1952安打、285本塁打を記録。MLBでもカブスなど3球団でプレーし498安打、42本塁打を放った。日米通算2450安打、327本塁打は超一流といっても過言ではない成績だ。日本代表としても2度のWBC、アマチュア時代を含め2度のオリンピックにも出場した。文句なしのレジェンドと言っていい。
福留をはじめとしてPL学園出身のドラフト1位指名選手は、桑田真澄(1985年/巨人)や清原和博(1985年/西武)に前田健太(2006年高/広島)ら多くの名選手が生まれている。一方、ドラフト1位で入団したものの、プロの世界では結果を残すことができなかった選手もいる。
PL学園出身のドラフト1位指名選手を振り返ってみたい。
野手では清原、立浪、福留と3人が名球会入り
PL学園出身のドラフト1位指名野手は過去9人いた。
その9人の中に福留以上の成績を残した選手がいる。安打数で上回っているのは、今シーズンから中日の監督を務めている立浪和義(1987年/中日)。2480安打で現役を引退した。福留はまだ残り試合があるものの、30本以上の積み上げは現実的には厳しい。
本塁打数では清原の525本が燦然と輝いている。福留も日米通算で327本ものアーチを架けているが200本近い差があり、更新は不可能だろう。ちなみに清原は2122安打で引退しており、日米通算の安打数では福留が上回っている。
福留以上の成績を残している2人以外にもサブローこと大村三郎(1994年/ロッテ)や今岡誠(1996年/阪神)ら、主力としてチームを優勝に導いた選手も複数いる。
ドラ1でプロ入りした9人のうち清原、立浪、福留の3人が名球会入り。半分以上の5人が1000試合以上に出場し、100本塁打以上を記録した。その他でも西田真二(1982年/広島)、木戸克彦(1982年/阪神)らの名前も挙がってくる。
プロの世界では目立った成績を残せなかった選手もいるが、それでも全員が300試合以上に出場している。PL学園出身のドラフト1位野手は、プロでの成功率も高かったようだ。
50勝以上は桑田真澄と前田健太のみ
一方、PL学園出身のドラ1投手は過去11人いた。そのなかで最も勝ち星を挙げているのは桑田で173勝。現在ツインズでプレーしている前田が97勝で続いている。前田はMLBで59勝を挙げており日米合算だと156勝だ。トミー・ジョン手術を受けた影響で今シーズンの登板はなさそうだがまだ34歳。日米通算で桑田を超える可能性は十分にありそうだ。
その他で50勝以上挙げている投手は1人もいない。桑田、前田に続くのは新美敏(1972年/東映)と入来祐作(1996年/巨人)の35勝。桑田や前田と異なり中継ぎでの登板も多かったこと、高卒でのプロ入りではなく新美は高卒社会人、入来は大卒社会人での入団だったことも勝ち星が伸びなかった理由のひとつだろう。
その他では橋本清(1987年/巨人)や朝井秀樹(2001年/近鉄)らが、ドラフト1位でプロ入りを果たした。しかし単年で戦力となったシーズンはあるものの、長きに渡って貢献することはできなかった。また登板試合が10試合にも届いていない投手も複数いる。野手の錚々たる顔ぶれと比べると、投手はやや物足りない感があるのは否めない。
唯一の現役選手である前田が、PL学園出身のドラ1投手として初の名球会入りを果たすことができるだろうか。来シーズン以降の登板に注目だ。
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