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阪神・糸井嘉男の決断は?プロ野球界で野手転向後に大成した選手たち

2022 9/7 06:05SPAIA編集部
阪神・糸井嘉男,ⒸSPAIA
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糸井は球団と去就について話し合いへ

阪神・糸井嘉男外野手(41)が野球人生の岐路に立たされている。プロ19年目の今季は61試合出場で打率.222、3本塁打。一部で球団と去就について話し合いを持つことが報じられ、自身の公式ツイッターでも「紙面にぎわしてしまい… しっかり話し また、ご報告させてください」と投稿した。現役を引退するのか、続行するのか、球団に残るのか去るのかも含めて、決断すべき時が迫っていることは確かだろう。

近畿大から投手として自由獲得枠で日本ハムに入団したのが2003年。2年間、一軍で登板することはなく、3年目から野手に転向して人生が変わった。オリックス、阪神とわたり歩きながら最高出塁率のタイトルを3度獲得。オリックス時代の2014年には打率.331で首位打者、2016年には53盗塁で盗塁王にも輝いた。

高い身体能力で走攻守に貢献して「超人」と呼ばれたが、2019年に左足首を手術してからは出場機会が減少。通算では1726試合出場で打率.296、171本塁打、765打点、300盗塁の成績を残している。糸井が球団との話し合いでどういう決断を下すのか注目される。

「打撃の神様」川上哲治や権藤博も野手転向経験者

糸井のようにプロ入り後に投手から野手に転向して大成した選手は少なくない。投手時代は活躍できなかったため記憶に残っていないが、実は元投手だったという選手は意外にいるものだ。これまで野手転向して成功した選手を紹介していこう。

野手転向した主な選手


「打撃の神様」と呼ばれた川上哲治も実は元投手だ。熊本工のエースとして甲子園に出場し、1938年に巨人入団。戦前に投手として39試合に登板し、11勝を挙げている。打者としての活躍は説明の必要もないだろう。「ボールが止まって見えた」の名言を残すなど、通算2351安打、打率.313をマーク。監督としても巨人をV9に導き、名将の地位を不動にした。

初代「ミスタードラゴンズ」と呼ばれた西沢道夫は戦前、名古屋軍の投手として活躍。1942年にはノーヒットノーランも達成している。戦後に野手転向すると、1950年に46本塁打を放ち、1952年には打率.353、98打点で二冠王。投手として通算60勝を挙げ、打者として通算1717安打、212本塁打、940打点をマークした。

関根潤三は法政大のエースとして東京六大学通算41勝をマークし、近鉄に入団後も1954年に16勝を挙げるなど通算65勝94敗の成績を残した。1957年から野手転向し、通算1137安打、打率.279をマーク。引退後は大洋、ヤクルトで監督を務め、解説者としても穏やかな語り口で人気だった。

「権藤、権藤、雨、権藤」と言われるほど投げ続けた権藤博も野手転向している。中日1年目に35勝を挙げ、最多勝、最優秀防御率、沢村賞、新人王などに輝いたが、酷使の影響か3年目から成績が低迷。5年目の1965年から野手転向し、通算214安打を放った。引退後は横浜の監督を務め、1998年に日本一を達成している。

巨人V9時代のリードオフマンとして活躍した柴田勲も元投手だった。法政二高のエースとして甲子園で優勝し、プロ入り1年目は6試合に登板、0勝2敗の成績が残っている。2年目から野手転向し、通算2018安打、盗塁王に6度輝くスター選手となった。

石井琢朗は通算2432安打、愛甲猛は108本塁打

現DeNA野手総合コーチの石井琢朗も大洋入団後3年間は投手だった。高卒1年目の1989年に初勝利を挙げたものの3年間で1勝4敗。4年目から野手転向し、通算2432安打の名プレーヤーとなった。

横浜高のエースとして甲子園で優勝した愛甲猛も野手転向組だ。ロッテ入団後3年間で61試合に登板したが0勝2敗。4年目から野手転向し、通算1142安打、108本塁打をマークした。

テレビ番組「夢対決!とんねるずのスポーツ王は俺だ!」の「リアル野球BAN」コーナーでもお馴染みの吉岡雄二は、帝京高のエースとして甲子園で全国制覇。ドラフト3位で巨人入団後も3年間は投手だったが、野手転向してからは近鉄、楽天と渡り歩いて通算883安打、131本塁打をマーク、スラッガーとして活躍した。

福浦和也も習志野高からロッテ入団直後は投手だったが、1年目のシーズン中に野手転向。ロッテ一筋の現役生活で通算2000安打を放ち、名球会入りを果たした。

広島時代に松井秀喜を彷彿とさせる左の長距離砲として「赤ゴジラ」と呼ばれた嶋重宣も元投手だ。東北高のエースとして甲子園に3度出場し、広島入団後4年間は投手として2試合に登板、0勝1敗だった。5年目に野手転向すると、2004年に189安打、打率.337でタイトル獲得する大ブレーク。2013年に西武で現役を終えるまで通算868安打を放った。

元ヤクルトの雄平は東北高から2002年ドラフト1位でヤクルト入りし、将来を嘱望された左腕だった。高卒ルーキーとして1年目から5勝を挙げるなど通算18勝をマークしたが、2010年から野手転向。通算打率.291、882安打、66本塁打、386打点の成績を残し、2021年限りで引退した。

現役では木村文紀、川越誠司、佐野皓大ら

現役では、日本ハムの木村文紀が実績を残している。埼玉栄高からドラフト1位で投手として西武入団。通算41試合に登板したものの1勝に終わり、2012年オフに野手転向した。2019年は130試合に出場して10本塁打をマーク。2021年シーズン中に公文克彦、平沼翔太との2対2の交換トレードで佐藤龍世とともに日本ハムに移籍した。

西武・川越誠司は北海高時代に4番ライトで春夏連続甲子園に出場し、北海学園大では1年春から4番を務めた。投手としては3年春に初勝利を挙げ、通算8試合に登板。2015年ドラフト2位で投手として西武入りしたが、左肘の故障もあって1軍での登板はないまま4年目に野手転向した。今季もここまで50試合に出場している。

オリックス・佐野皓大は大分高から2014年ドラフト3位で投手としてプロ入りしたものの、2017年オフに野手転向。育成契約からの再出発となったが、2019年には開幕1軍を果たして12盗塁をマーク、初本塁打も記録した。

アマチュア時代から培ってきた投手としての自分に見切りをつけ、野手としてプロキャリアを築く苦労は想像に難くない。野手転向組はそれだけでリスペクトされるべき存在と言えるだろう。

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